日曜日のひとりごと 2006

 

12月31日(日)

今日は大晦日。

おおつごもり(大晦日のこと)といえば

樋口一葉の”おおつごもり”という映画を思い出した。

大店に奉公している貧しい娘。

大晦日にどうしても年が越せない、

何とか少し都合をつけてくれと母親が言ってくる。

優しい娘は見るに見かねて、

大店のお金に手をつけてしまう。

しかし、この家の放蕩息子が何故か

自分が盗んだと言いはって、見逃されてしまう。

芝居でもよく演じられるけど切ない。

やっと手に入れたお米を抱えて急ぐあまり転んで

ぶちまけてしまう‥‥

一粒一粒拾う少女の頃の回想シーン、

身につまされる。

あの頃は心があった !!

 

12月24日(日)

先日、岸田今日子が亡くなったという

ニュースをテレビで知った。

最近昔の映画”破戒”を見直したばかりだった。

その中でとても心に残ったのが、岸田今日子扮する

猪子連太郎夫人だった。

部落民の夫の下で楚々として、そこはかとなく、

しかし一本芯の通った明治の女性をすばらしく演じていた。

たんたんと花を摘む姿、

夫の位牌を抱いて泣き崩れる姿、

あの重ったるいしゃべり方がほんとうにいい。

あと、”弟”という映画でのちょい役も

とても印象に残っている。

個性的な名脇役。

しかし舞台では晩年、思いきり主役を演じていたと思う。

忘れがたい好きな女優さんの一人。

 

12月17日(日)

私の持ち味について。

この店に来るとほっとすると言ってくれたお客さんがいた。

その言葉で思い出した。

前にもそのことについて書いたことがある。

すっかり忘れてしまっていた。

私は何年か前ある所でそのことに気づかされた。

私が何もしていないのに、意識もしていないのに、

私がいるだけでほっとするという。

そう、これが私の持ち味なのだ。

人それぞれにほかの人にはない良いものを持っている。

私は以前にはっきり気づいた。

それなのに又もや前に出て何かしようとしたり、強がったり‥。

一歩下がって人の話を聴く、まるごと聴く、

自分の持ち味生かしてマイペース、

すごく無理してるのかなー。

 

12月10日(日)

12月5日は私の誕生日。

いつもどこかに出かけて祝ってもらっているが、

別にどうということもなく、

気持ちはいつも変わりなく元気だった。

しかし今年はいつになく考えさせられた。

築33年のこの店もどこか1つづつ壊れていくように

私もいつか壊れていく。

こんなこと今まで実感したことはなかった。

元気でびっくりなんて云われるけど、

実際のところ気力はあっても体力がつづかない。

お元気ですかという言葉、

昔は只の挨拶でしかなかったが

今は本当に元気なのか訊いている。

めちゃ元気と云った人がいたがいいなーと心から思う。

今を精一杯生きて愛して仕事するのみ。

 

12月3日(日)

また年齢の事について書きたくなった。

前に何度も書いたと思うけれど

私は自分の年齢の事は言わないことにしている。

聞かれたらご想像におまかせしますと。

日本人ってどうして年齢で人を見るのだろう。

年齢で下になったり、逆にえばったりする。

外国では年齢はさりげなく聞くけれど、

それでその人間をどうこう思ったりはしない。

義理の父親を平気でファーストネームで呼ぶ。

そんな平等感覚。

相手と先入観なしに対等に話し合っている。

肩書きも学歴も年齢も関係なく、

何かにやろうときらきらしている人、

すごく魅力的。

私もそうありたいと思っている。

 

11月26日(日)

33周年ジャズパーティが終わった。

しばらく何もする気がなくて、ぼーっとしてしまった。

今やっと気がついたこと。

それは私がパーティを主催するには向いていないということ。

それにもかかわらず毎年毎年来てくれる

人たち本当にありがとう。

このお店のことを思ってくれる人たちがいる。

でもこの先のことなどまるでわからない。

続けていったほうがいいのかどうか、

POSYの会のメンバーに聞いてみることにしようと思う。

私のことをとても元気そうでびっくりしたと

言ってくれた人がいた。

みんな少しずつ年を重ねていく。

元気な姿をみせてくれるだけでうれしい。

ホームパーティのようにやれたらいいなーと思っている。

 

11月19日(日)

今年もパーティの時期が近づいた。

随分長い事やってきてやっと判ってきたこと。

このお店らしいパーティにしようという事。

グラス片手に会話を楽しむ、そんな大人のパーティに。

日本人ってもり上がるのがパーティだと思っている人が多い。

しかしホームパーティのように、なごやかで、

心暖まる、きてよかった、楽しかったといってもらえるような、

そんなパーティがいい。やり続けます。

なんとなく始まってなんとなく終わる、そんなのがいい。

隣の人身近な人に愛し愛される幸せ、

ジャズを聴きながらふと考えています。

去るものは追わず、来るものは拒まずの心境をめざして。

 

11月12日(日)

東京新聞の”わが街わが友”という欄に

荒木経惟(アラーキー)の記事が載っていた。

何度か来店していて親近感をもっていたが、

この記事を読んで深く共感した。

デ・シーカの”自転車泥棒”、ロッセリーニの”無防備都市”

すごく好きだということ。(イタリアンリアリズム、私の映画の原点)

「一番愛しい人が死んでくれた。写真とるために。

そう思っている。」(このくだり泣けます、原文のまま)

「ほれこんだ女って後で会うとたいていがっかり、

会わない方がいい。」(男も同じだと思う)

「今しみじみ思うことは人、やっぱり隣の人、

身近な人に愛し愛される幸せ。

身近な人の愛が本当の豊かな幸せを生む。

これが究極の幸福論。」

(私も全く同じ考えです。すごくうれしい !!)

 

11月5日(日)

昨夜お店が終わりかけた頃、一人の女の子が入ってきた。

(友達の撮った写真の中に、ビル・エバンスの看板が写っていたそうだ。)

聞けば沖永良部という小さい島に育って

就職先が美容関係しかなく、職業を選ぶ間もなく、

高校卒業と同時に上京して、美容室の見習いになったそうだ。

寮に入って4年半、きびしい生活のなかで

通信教育で美容師の資格を‥‥。

シャンプーしている時、お客さんに喜んでもらえるのが

一番うれしいとか。

やっと髪を切らせてもらえるようになったとか。

素直だなーと思った。

見た目はその辺にいる女の子と変らないが、

この子は一人前になっていくなと思った。

”与えられた仕事の中にやりがいをみつけていく。”

とても参考になった。

 

10月29日(日)

最近新作の見本盤が送られてくることが多い。

どこで調べるのか、全然知らない所からくる。

{ise/伊勢}古野光昭

このCDもその中の一枚で、

出来上がったジャケットではなく

紹介のチラシが一枚入っているだけ。

彼のライブは大分前に一度聴いた事がある。

(古野という名前はふるのと読むそうです)

ベースが好きでいろいろなミュージシャンを聴いている。

なにげなくスタートボタンを押してみたら、

4曲目の”AVE・MARIA"すばらしい !!

人生の深い深い所から聴こえてくるような

美しいアルコのひびき、心にぐっとしみこんでくる、

いいですねー。

この一曲でもう私の好きなべーシストの一人に‥‥。

ウッドを抱えて遠くをじっと見つめている姿しぶいです。

 

10月22日(日)

2週間位前から眼の前に小さな黒いものが、

ちらちら多数飛んでいてとても気になっていた。

よく言われる飛蚊症かなと思って、

眼科医にいったところ、眼底出血と言われてびっくり。

私の生活の一部になっている運動を止められ、

重いものも持たないで安静にしているようにとの事。

今までのリズムがくずれてしまって、

急に気力がぬけてしまったみたい。

内科で血液検査もして異常ないし、

何故出血しているのか理由がわからない。

今まで健康にとても自信があったので

多少のオーバーワークは容認していたが‥‥。

今回は過労からくる症状だと私は思う。

ライフワークのこの仕事、最後までやり続けるために、

はやく治してしまおう。疲れ眼なのだから。

 

10月15日(日)

連休の最後の一日、誘われて駒場東大キャンパスを散策した。

空は澄みわたり、とても気持ちがいい。

北沢八幡神社を通り抜けて池の上に‥‥‥。

井の頭線に沿って、都立国際高校の前をゆっくり歩いた。

古い建物が林の奥深くたたずんで、

何とこんもりとした木立だろう‥‥‥。

お茶のできるテラスを見つけた。

街のお店と違ってシックで品がいい。

小鳥のさえずりと木々のこもれび‥‥‥ぼんやりとして。

お店から30分位で、こんな素適な処があるなんて、

お店もいるだけでこんなふうにすばらしく落ち着けて

豊かな気持ちになれるような、そんな空間にしていく。

 

10月8日(日)

”ニューヨークの石田くんについて”というメールをもらった。

同じ大学で85年に一緒だったという女性から

石田くんのアドレスを知りたいという問い合わせだった。

しかし私の知っている石田くんは1989年に

渡米しているから、年代的にずれているし、

その女性から電話連絡があってくわしく話したが、

名前も顔の様子も違うしやっぱり人違いのようだった。

私も今の石田くんの様子が知りたい。

絵の勉強がしたいと片道切符でニューヨークへ‥‥。

機内で隣り合わせた女性から

その日の安宿をやっと見つけてもらって‥‥。

毎日ホットドックばかり食べながら夢を追い続け‥‥。

そんな生活を3年半もした人。

とても魅力のある、先の見えない人。

今どうしているかとても知りたい!! 

 

10月1日(日)

デューク・ジョーダン(ジャズピァニスト)が8月に亡くなった。

それも私の大好きなコペンハーゲンで。

教会で10人ほどの人でお別れをしたそうだ。

思えばデューク・ジョーダンは、ビバップの頃から

パーカーとも共演しているし、いい曲いっぱい書いている。

(“フライ・トゥ・ジョーダン”なんかいいですねー)

「危険な関係」というフランス映画の中に

“危険な関係のブルース”という曲を創って、

クラブのなかで演奏しているワンシーンもあった。

一時はタクシーの運転手までしていたという、波乱万丈の生涯。

晩年はその一音一音に彼の人生がにじみでている。

日本人に最も愛された”フライ・トゥ・デンマーク”、

雪のなかにひっそりと佇んでいるジャケット。

いつまでも忘れない‥‥ありがとう。

 

9月24日(日)

ヨーロッパを旅していた友達がひったくりにあったという。

夕方5時頃、まだけっこう明るかったそうだ。

皆が憩う静かな公園の中を、鞄を前にかかえて歩いていた。

男が後ろから歩いてくるなと思ったが、

前に女性が一人歩いていたので安心していた。

しかし、まわりに人がいなくなったと思った瞬間!

男が前にまわって‥いろいろ入っている大事な鞄をひったくった。

“襲われる、こわい”が先で、大声で叫ぶ事も

助けを求める間もない、一瞬の出来事だったそうだ。

どこの国でも、いい人悪い人はいる。

この若者も生まれた時は真っ白、純真無垢だった。

世の中こういう犯罪が、どうしたら無くなるのだろうか。

罪を憎んで人を憎まず、こんなことわざ思い出した。

怪我もなく無事でほんとによかった。

 

9月17日(日)

世界文学全集ジョン・スタインベックの”怒りの葡萄”を読み終えた。

上下471頁、今の私にとってはとっても大変だった。

でも文庫本で読むよりずっと手ごたえがあったように思う。

とにかくすごい、圧倒されてしまった。

悲惨な季節労働者達が、餓死の危機に追い込まれていく。

息づまるような緊張感の中で、豊かで暖かい心を持ち続け、

たくましく生きぬいていく。

永遠に続いていく人間の一大叙事詩!

映画”怒りの葡萄”のラストで、ヘンリー・フォンダ扮するトムが

この圧制から立ち上がっていく、最後の別れに

“トミー”と恋人を呼ぶように声をかける母親の姿、忘れられない。

私のベストワン、映画”怒りの葡萄”。

 

9月10日(日)

手紙の束を何げなく見ていたら2枚の絵葉書が出てきた。

何時か北欧に旅した時、知人があらかじめ、

知らせておいたホテルに、こちらが到着する前に、

絵葉書を届けておいてくれた。

チェックインのとき、ホテルのフロントから渡されて、

とてもびっくりしたことを思い出した。

スウェーデンのストックホルムではストリンドベリーの

”令嬢ジュリー”の事が書いてあるし、ノルウェイのオスロでは、

イプセンの”人形の家”の事などがさりげなく‥‥。

さすが作家志望、独特の筆致が一つの作品のよう。

今読み返してみても、とても文学的。

あの人は今も書き続けているだろうか。

どうか書き続けていてほしい。きつい仕事だけど。

 

9月3日(日)

今日は北沢八幡宮のお祭りの日。

毎年のことだけどだんだん寂しくなってきたように思う。

テキ屋がいっぱい店を並べていた頃の賑わいは

まるでなくて地元の人達が、わずかに守りぬいている

といった感じ。

下北沢も異常な人気になってしまって、古着屋が多い

からか、くずれた格好をした人達が多い。

こんな人達に商店街はもっと宣伝して一日実費のみで、

お祭りのハッピ一式を貸したりしたらどうだろう。

かつぎやも増えるし、盛り上がるし、

何よりも本人達が心の底から発散できてストレスなど

ふっとぶのでは‥‥

祭りのハッピを着た女の子って、きりりとしていて

すごくかっこいい。

日本の伝統ってすばらしい!!

 

8月27日(日)

今月の一枚でチャーリー・ヘイデンのことを

書いているうちに、何か今、私に出来ることで、

参加出来ることはないかなと思うようになった。

お店のアナログ・ノートの中にも

”戦争と殺戮のない世界で”という一文をみつけたが、

多様性のオマージュと題したCDをリリースして、

いまだくすぶっている、アメリカでの人種差別撲滅運動に

力をそそいでいるジャズミュージシャンもいる。

一日1ドル以下のお金がなくて飢えに苦しんでいる

アフリカの難民の子供たち。

(2ドルあれば生きのびられるそうです。)

戦争や人種差別や貧困、どれもあってはならないと思う。

アフロ・アメリカンの人々とも手をたずさえて、

日本で今出来ることから、ささやかでいい、

おそまきながら、参加していこう。

 

8月20日(日)

ジョン・スタインベックの”ブレックファースト”という短編を読んだ。

(日本訳「朝めし」となっているが、そのものずばりの直訳)

いろいろな作家の短編が載っている中の一つなのだが、

たったの5頁、ここに全文を載せたいくらい。

夜が明けてまもない頃、主人公がまだ寒々とした山道のテントの側で、

朝めしをごちそうになる、それだけの事なのだけれど、

その描写のあたたかいこと。人間の生きる喜びが伝わってくる。

1930年頃、アメリカ・カリフォルニア南部の、大恐慌が起きる少し前。

貧しいけれど、すばらしい季節労働者の一面が描かれている。

ぜひぜひ読んでほしい !!

このあと大作、怒りの葡萄へ。ノーベル文学賞受賞。

そして私の短い今年の夏は終わる。思い出の夏。

 

8月13日(日)

先日キャピタル東急ホテルに出かけた。

そしてバリー・ハリス、リチャード・ディビス、ルイス・ナッシュに会うことが出来た。

残念ながらその夜のライブ(Place:B flato)は

電通の貸切となっていて聴くことはできなかったけれど、

ホテルで会った3人の人となりに、とても身近なものを感じた。

バップ一筋に生きてきたジャズの伝道師バリーハリス、

片方の足をひきずっていたけれど、相変らずのやさしい笑顔、

ノースシー・ジャズフェスでの楽しそうなピアノ弾き語りを思い出す。

大きな体に暖かい人柄のリチャード・ディビスに、ビックハグをされて、幸せいっぱい。

一緒に食事をしながら、改めて、ジャズの歴史を創りあげてきた人の

偉大さを今更ながら感じた。豪腕べーシスト健在。

今最も売れていて、ひっぱりだこのルイス・ナッシュ、でも食事中も控えめでとても感じいい。

そういえば10年位前にジム・ホールのメンバーで、ブルーノート東京で聴いている。

誰とでもあわせていける柔軟な中堅ドラマー。

最高の思い出となった。

 

8月6日(日)

何げなくPosyのアナログノートを見ていたら、

ある人の書いたものが目に入った。

ずっと続けてほしいから、必ず来ますと書いてある。

うれしい !! 目頭が熱くなり、胸がいっぱいになった。

お店のこと、なかなかうまくいかない時など本当につらい。

よくやってきたなーとつくづく思う。

今でも苦しくて崩れおちそうになることがあるけれど、

こんなふうに想ってくれている人もいるのだ。

去るものは追わず、来るものは拒まず、と言うけれど

なかなかこの心境になれない。

長い間にはずい分いろんな人が去っていった。

どれだけの人との出会いと別れがあったことか。

去っていく人を追いかけたり、来る人を拒んだりしては絶対いけない。

究極のしあわせにどれだけ近づけるか。

ずっと続けてほしいから、必ず来ます、この言葉忘れない、

苦しい道のりが楽しい道のりになっていけるように‥‥。

 

7月30日(日)

市川雷蔵主演の映画”破戒”を観る。

リアルタイムでこの映画観ているのだが、

島崎藤村の原作をちょっと読んでいるうちに、もう一度観たくなった。

私は昔からすごく感動した名作は、そっと心の奥底にしまっておきたい、

ましてや映画館で観たあの頃の思い出はこわしたくない‥‥、

そう思いながら、こわごわ観たこの映画、ぐっときた。

雷蔵は勿論のこと、脇役のすみずみまで思い出して思わずのりだしてしまった。

時代は明治の始め、長野の飯山あたりの貧しい寒村、

もういまでは考えられない位の、部落民としての差別に苦しんだ主人公が

最後に隠していた身分を皆の前に明かして、

敢然と立ち上がっていく姿を描いたもの。どの俳優もいい。

全ての画面が絵になる。永久不滅の名画です。

こんなすばらしい作品を残してくれた市川昆監督に感謝します。

雷蔵の時代劇観たくなった。

 

7月23日(日)

田舎に住んでいた叔父さんが亡くなったと知らせがあった。

とても優しい叔父さんだったことを思い出すけれど、

正直いって長いこと会っていなくて、思い出も遠くなってしまった。

離れて暮らしていると、遠くにいる人達とだんだん疎遠になってしまう。

30年以上いるこの町会で今思い出されることは、

先年92歳で亡くなった、クリーニング屋のおじいさんのこと。

生涯アイロンをかけ続けた慈愛あふれる人だった。

私の娘が大学の卒業式の日、大正時代の着物に袴、ブーツをはいて

お店の前を通り過ぎようとしたら、おじいさんは窓越しに

無事に卒業できたことをとても喜んでくれて、

あとから和菓子屋のお赤飯を買ってきて祝ってくれた。

物ではなくその気持ちがうれしくて、すごく感激したことを覚えている。

遠い親戚より近くの他人とはよく言ったもの。

これからもご近所の人と、誰彼なく仲良くしていこう。

 

7月16日(日)

少子化のこと。

最近子供を生まない人が増えている。

子供を一人前にするには経済的にすごく負担がかかるとか、

すっかり治安が悪くなってしまったこの国で、

子供を育てるのは不安とかいろいろあるかもしれない。

今考えてみて、私は子供を生んで育てたこと、

ほんとうに良かったと思っている。

泣いたり笑ったり、苦しい事もあったけど育児は華だった。

私も大きく気づかせてもらった。

子供って黙っていてもしっかり親の行動をみている。

親は子供の一歩前を自信をもって歩いていく。

労働力が不足するとか、年金がもらえなくなるとか、

少子化をどうしたら防げるのか。

この国のストレス社会、格差社会をなくし、

何の心配もなく子育てが出来るような社会にしていきたい。

 

7月9日(日)

“ジャズジャイアンツの知られざる顔”と題して

ノルウェーを訪れるジャズミュージシャンと親交を重ね、

ほぼ半世紀にわたってジャズジャーナリストとして活躍した、

故ランディ・ハルティン(女性)。

その著書“Born under the sign of jazz”。

スイング・ジャーナルに毎月、ハルティンの輝かしいジャズ体験が

載っているが、これが昔の写真がいっぱいで楽しい。

1965年ごろだろうか、キース・ジャレットがチャールス・ロイド・カルテットの

一員としてノルウェーを訪れた際の写真がある。

ハルティンのゲストハウスでお茶を飲んでいて、全員こっちを見ている、

みんな若い、キースはアフロヘアーでとてもかわいい。

キースにもこんな無邪気なときがあったのかと思ったりする。

ジャッキー・バイアードが家族と一緒にくつろいでいる写真がある。

1967年ごろ、奥さんや子供たちとおだやかなひととき。

その彼が、後にブルックリンの自宅で、撃たれて死ぬなんて、

とても考えられない。

ニューヨークで聴いたピアノソロ、ブラックジョークを交えながら、

皆を笑わせていたことが思い出される。

毎月ハルティンの記事と写真、とても楽しみにしている。

 

7月2日(日)

たしかジャンヌ・モローが出ていたような気がして、

ルイ・マル監督、モーリス・ロネ主演の”鬼火”を観た。

昔観たような記憶がある。

映画の内容は、中年にさしかかったアル中患者のモーリス・ロネが、

(アルコール依存症というよりずっとリアリティがある)

次第に自殺に追い込まれていく。

そんな内容だが、私の好きなジャンヌ・モローが、

ほんの脇役でちょっぴり出ているのです。

死刑台のエレベーターで有名だけど、彼女はただの、

きれいなだけの女優ではない。

ボロボロになっても最後までやりつづける人なんです。

ルイ・マル監督とは結婚しないで、

公私共にパートナーだった。

(一説によるとマイルスも片思いだったとか?)

こんな生き方している人、ワンダフルワンダフルです。

 

6月25日(日)

時々”かわらばん”というチラシが配られてくる。

下北沢の街を分断してしまう54号線のことが

今大きく問題になっているが、

”かわらばん”はいつもこの事について特集をしている。

人が街の中をゆったりと出来て、小さな路地や小さなお店がひしめく

庶民的なこの下北をずっと守りつづけていきたい。

こんな考えのグループのようだ。

でも私は30余年前の静かな住宅街のなかに、

個性的な店が少しずつ出来てきた頃が一番好きだ。

今はキャピキャピした街になってしまって、

この安っぽい変りよう、すごくいやです。

”かわらばん”さんはこのことはどう思っているのだろう。

 

6月18日(日)

梅干を漬けてみたくなった。

友達が実家のお母さん(鳥取の田舎)に電話して

教えてもらったものをそのままに。

梅干の作り方。

梅を一晩漬けておく。

梅1Kに対して塩180gの割合でまぶす。

また水に漬けておくと汁がうき上がってくる。これが梅汁。

赤じそを塩でもんでしぼりだす。

ボールに梅、赤じそ、梅汁をあわせて土用の日までそのままに。

(土用の日っていつだっけ?)

天日干しです、3日3晩干し。

出来上がり !!

けっこう芸術品が出来上がるかも。

ああ、すべての流れが、自然のままに、

なんとなくふあっとした気持ち。

 

6月11日(日)

今日は、NHKテレビのクローズアップ現代で取り上げていた

割り箸のことを書いてみようと思う。

最近、中国からの輸入に頼っていた割り箸が、

急に3倍に値上がりして困っているという。

今まで日本では、山林を間引きした樹木の皮の部分を

廃物利用した割り箸工場が成り立っていたのに、

中国からの安い割り箸が入ってきて、日本の小さな製造業者は

やっていけない状態になってしまっているのだという。

私は思うんだけど、もう使い捨ての時代は終わったのだから、

この際、割り箸使うのは止めにしたらと思う。

お店では殺菌して、何度でも使ってもらいたい。

みんな自分でお箸を持ち歩けばいい。(お弁当の時は持ち歩いているのだから)

平気で捨てていく、割り箸の山たまらない。

 

6月4日(日)

週末2人の男性が来店した。

始めてのお客なのでしばらく話を聞いていたが、とても気になる内容だった。

「まわりには歯を喰いしばって仕事をしている人が多い。

もっと楽な生き方があるんじゃないか、

のんびり釣りでもしながら暮らしていくことだって出来るはず」

もちろん、生き方変えなければだめだけど‥。

ああ、そんなに歯を喰いしばって仕事をしている人多いんだと、

今更ながら愕然とした。

そしてこの店のことをすごく評価してくれて、

「この33年の時間の流れは、お金では代えられない。

必ずみてくれている人がいる」と言ってくれた。

うれしい!! とても勇気がでた。

これからもこのまま、どこまでやれるのかやっていこう。

 

5月28日(日)

昨日は毎年恒例の一品持ち寄りパーティーの日だった。

皆思い思いに一品づつもってきてもらうのだけれど、

一人が一品づつもってきてくれるだけで

こんなににぎやかになる、持ち寄りってすばらしい。

少ない人数ではちょっと淋しいかなといつも気にしていたけど、

思わぬ人がきてくれたりして。

今回はとても和やかで楽しいパーティーだった。

これからもこんな感じでいきたい。

”去るものは追わず、来るものは拒まず”

これ、本当に出来たらすごいなー。

毎年必ず来てくれる皆さんほんとにありがとう。

来られなかった皆さんこの次はお会い出来ますように。

 

5月21日(日)

今日は近くに住んでいる水道屋のおじさんのこと書いてみたくなった。

落語なんかによく出てくる、昔の長屋の長老みたいに、

会うたびに一言嫌みみたいなこと言わずにはいられない人物。

これってどこにでも一人はいるよね。

田舎から出てきて地方訛りに劣等感を感じながら、水道の仕事えいえいと‥‥。

お金さえあればすべてよしと思っている典型。

でもこの人にも、お金では買えない心の幸せを感じとってもらえたらと思う。

毎日ステーキを食べていても幸せではない人、

おかゆをすすっていても、すごく幸せな人がいるということ。

(経団連の奥田会長談、けっこうこの人判っている)

何を言われてもにっこり、私の課題です。

 

5月14日(日)

日によって気温が上がったり下がったり、5月だというのにとても寒い。

珍しく風邪をひいてしまった。

喉の奥からつきあげてくるような咳き込み、

止まらない、けっこう苦しい。

でも病気なんかに甘えていられないと、咳き込んだらやめようと、

週3回のプールに通っているが、今のところ大丈夫。

かかりつけの先生に知れたら怒られるだろうな。

でも最近やっと泳ぎが楽しくなってきた。

飛び込みも4種目も何とか出来るようになったけれど、

私ってつくづく運動神経がにぶいなと思う。

でもこれからは気持ちよく泳げればそれで充分。

バタフライも楽しくなって水泳はもう生活の一部になった。

お店を続けることと水泳を続けることは、私にとっては同じです。

 

5月7日(日)

ノルウエーのオスロで見つけた“オリジナルネルソン”というジャズバー、

とても参考になったので、書いてみます。

現地の新聞を壁や天井一面に貼ったりして、

ほんのりとランプが灯されているとても渋いお店。

外は白夜だったので、夜の10時頃なのにまだ明るかったが、

常連客だろうか、グラス片手にワイワイ楽しそう。

ライブが終わるごとに帽子がまわってくる。

入るものも少ないが、出るものも少ない環境先進国北欧。

贅沢はしてないけれど、一日の疲れをこんな所でとる。

ストレス社会の日本と違って、ゆったりとした

時間をこんなふうに、とても健康的。

ワークシェアーの国になって、みんなが精神的に豊かになっても、

こういう店なら残っていけるのではと思った。

ストレスを解消させるような店は必要なくなるのだから。

 

4月30日(日)

三谷幸喜原作・脚本の”笑の大学”という映画を観た。

私はどちらかというと、真っ直ぐでひたむきな正統派の作品が好きなので、

このようなドタバタ喜劇の中に人間らしさを見いだして

いく作品って久しぶりに観た。

第2次世界大戦前夜の不気味な社会情勢の中、

浅草喜劇を守ろうとする一座付き作家と、言論の自由を潰してしまおうと、

小さなことに目くじらたてて上演許可を与えない一官僚との、

一週間のちぐはぐなやりとり。おもしろい‥‥‥。

言われても言われてもまた書き直す青年、稲垣吾郎。懸命、いじらしい。

じょじょに芽生えてくる心のふれあい。

この辺の役所広司すごい、さすが無名塾出身。

驚いたのは高橋昌也が、おじいさん役の制服警官(廊下の見張り役)で出ていたこと。

昔の2枚目を思い出して愕然とした。

どうしてもあのかっこよかった頃と結びつかない。

 

4月23日(日)

時々来店する、50代後半の元べーシストのことを書きます。

この男性、30代中ごろにバイクに乗っていて、

トラックに正面衝突をするという、大事故をおこした。

幸い九死に一生を得て、満身創痍になりながら、

なんとか生活が出来るようになったけれど‥‥。

現役時代は借金関係、女性関係でめちゃめちゃな生活していたそうだ。

家族にも見放され(ジャズミュージシャンにはこういう人多い)、

ガードマンの仕事をしていたが、アパートで火事を起こしてしまい、

今は施設のやっかいになっているという。

これで病気にでもなったら、もう終りじゃないかとおもった。

九死に一生を得て生まれ変わったようなものだから、

今までの生活を終りにして、これからは少ない収入でも、

人々と喜びを分かちあえるような、そんな生き方をしてほしいなと、

ひそかに思っている。

生き方は死に方に通ずるから。

 

4月16日(日)

今週NHKの番組で勝ち組・負け組という考え方について、

3人の就職活動をしている学生を追って意見を聞いていた。

「ものすごく頑張ったら、それだけの上昇は欲しい。

勝ち組・負け組は有りです」というエリート学生。

(頑張るという言葉はいやだ)

大手に入って勝ち組と言われたいと、50社も渡り歩いて

いまだ鏡に向かって笑顔の練習をしている、間抜けな学生。

大手に入らなくても、中小企業で喜びを分かち合いたいと

悩んだ末に決めた女子学生(心を決めた時の彼女輝いていた。)

ゲストで出ていた天野祐吉さん(コラムニストかな)が

「死ぬ時になって一生を振り返り、

すばらしい人生だったと思える人が勝ち組、

ああすればよかった、こうすればよかったと悔いの残る人は

負け組だと思う」と言っていた。その通りだと思った。

本当の豊かさって何なのかもう一度考えてみてほしい。

 

4月9日(日)

先日”雨あがる”という日本映画(2000年作品)を観た。

黒澤明監督の最後の脚本で(山本周五郎原作)、

完成を待たずして亡くなられた由。

剣はめっぽう強い下級武士だが、人のことを思うやさしい心根の持ち主、

なかなか御召しかかえされることもなく、浪人のままの旅ぐらし。

観終わってほのぼのとした気持ちになるような

作品にとの遺言のもと、その意思を次いで創られた作品なのだそうだ。

今の人達はこれを観てどう思うのだろうと思った。

こういう人が増えていったら、殺伐とした今の世の中が変っていく。

この映画を観て、ほのぼのとした気持ちになるだけではなく、

何か自分も人のことが思えるそんな人間になっていこうと思う。

(寺尾聡、宮崎美子、主演)

 

4月2日(日)

このところ毎日のように来店してくれるお客さんがいる。

彼は去年は具合がわるかったのだけれど、

このところ俄然元気になって、「こういう店に投資しなくては」といいながら、

何本もビールを飲んでくれたりしている。ほんとうにうれしい!! 

この店の価値をみつけて、何を言われてもまたやってくる、

実に愛すべき人物である。

自分にとってきっと何かプラスになっているからなのだろう。

投資というのは辞書でしらべてみたら、

財産を殖やすために、又利益をもとめて資本を出すこと、出費となっている。

違う、彼の言っている投資は利益を求めているのではない。

お金ではない心の充実をもとめて言っているのだと思う。

本当にうれしい、ジャズの中に喜びを求めて、

生きる勇気を見いだしてくれれば、こんなにうれしいことはない。

こういうお客が増えてくれるよう祈るばかりです。

 

3月26日(日)

今回で丸3年毎週書き続けたことになる。

旅行以外は休まなかったし、よく書いてきたなーとふりかえって思う。

もうそろそろ終りにしようかなと思ったりする。

今とても気分がのらなくて毎回気合を入れて書くことに疲れてしまった。

世の中矛盾だらけ、‥‥‥。

こんなふうに世の中がせかせか余裕のない方向に向かっていると、

口先だけでスローライフとか何とかいってみても、何の役にも立ちはしない。

私の考えはもうはっきりしている。

何度も書いたけれど、これ以上の便利さはいらない、

便利になった分何か大事なものが失われていくような気がする。

結婚がすべてというような考え方はなくなりつつあるけれど、

お金がすべてという考え方もそろそろ考え直していってほしいと思う。

 

3月19日(日)

今週木曜日の12時近くものすごい風雨の中、

看板が倒れるのではと心配していたそのとき、一人の黒人青年ががたっと

ドアを開けて窓際に座り込むなり、水、水と叫んだ。

見ればラッパーのような長い髪をして、長身の黒っぽい身なり、

ぶつぶつと「警察は黒人を殺そうとしている」とか何やらつぶやいている。

とっさに怖いという思いが先に走って、頭の中がぐるぐる、

110番しようか、Closeと言おうか、隣の店のお兄さんに助けを求めようか。

緊張感が走った。

一組いたカップルから帰り際、「Close」と言った方がいいという

紙切れをそっと渡されてやっとその気になった。

黒人だからといって差別しているつもりは毛頭ない。

相当酔っ払っていたのだろう、全然会話にならなかった。

後日談。翌日の早朝、丸井の前で倒れている黒人を

3人の警察官が取り囲んでいたとか。

どうも同一人物らしいが。

怖いという気持ちが先にきて多様性を欠いてしまった。

 

3月12日(日)

子供があぶないという声をよく耳にする。

どこかの小学校では携帯などを持たせて、いざという時に

知らせられるよう練習しているほど。

でも学校で人の出入りを厳重にしたり、登下校に保護者が付き添ったりしても、

また次の手口で犯罪が起こるのではないかと思う。

社会からはじき出され、そのいらいらを誰かれなくぶつけていく、

追いつめられていく、そんな人間がふえている。

経済的には豊かにはなったけれど結果だけを求めるこの社会、

大事なものを失ってしまったように思う。

小泉さんが、「子供をしっかりと抱きしめてあげてください」と言うCMがあったが‥。

ワークシェアーが根づくような、本当の豊かさって何だろう ?

 

3月5日(日)

スイングジャーナルに或る記事が載っていた。

その内容は

「この間横浜の”ビタースィート”というジャズの店が閉店した。

ご主人一人でかいがいしく働いていたそうだが、

いつ行ってもお客は少ないようだった。

お客はその時この店やっていけるだろうかと、考えるだろうか、

やっていけるわけがないと思ったら、お替りしてやろうと思ってほしい、

ジャズファンならもう一杯飲んでやろうと思ってほしい、

最初の意気込みもむなしく潰えていくジャズの店云々‥」

読んでいて何か悲しい‥‥‥。

私は一人でやれる範囲でやるのがベスト。

とてもいい時間が過ごせたといってくれるお客さんがいる限り

私はひたすらやっていく !!

 

2月26日(日)

家の近くにトム・ピアソンというジャズピアニストが住んでいた。

ちょっと暗めの顔をした背の高い白人アメリカ人、

いつもお店の前を通っていたのだけれど、

4,5年前にソロピアノのCDを出した時わざわざ届けてくれた。

2枚も同時に出すほど、意欲作だった。

日本に来てもう10年以上になるというが、居酒屋の2階なんかに

部屋を借りていて生活とても大変なんだろうなと思った。

でも日本が好きで日本語も上手い。

彼は日本の地下足袋をとても気に入っていて、

こんなすばらしい履物はないと、どこへいくにも履いていた。

(もっとも新宿のニューヨークバーで、黒人ボーカルと共にピアノを弾いていた時は

さすがに革の靴を履いていたが)

ウディアレンの”マンハッタン”という映画の音楽を担当したり、

新大久保の”サムデイ”でオーケストラの指揮をとったりと

序序に活動を広げていたのに、最近とんと見かけない。

何処へいったのだろう !! 

 

2月19日(日)

アルバムを少し整理した。

旅行の写真を撮ったものの中から毎年気に入ったのを壁に貼っていく。

25年位前のきびしい顔をした写真が出てきてびっくり、

こんなにこわばった顔をしていたんだなー。

それから10年位前からだろうか、だんだん表情が変っていく。

とても柔らかく穏やかになっていく。

毎年同じ構図で(バックはその都度違うけれど)

ちょっと体を斜めにして左足を浮かして写っている格好は変らない。

今の方が別人のように幸せそうな顔をしている。

ほんと私今幸せなんです。

健康で愛されている、やりたいことがやれている。

もうこれだけで充分。これ以上何が望めるの?

ジャズと共に誰とでも仲よくしていく、これがこれからの課題です。

 

2月12日(日)

昨日恵比寿ガーデンプレイスの中にある東京都写真美術館ホールに

”ガラスの使徒”(つがいと読むらしい)という映画を観にいった。

プロデューサーの女性からのお誘いなのだが、

久しぶりにちゃんとした映画館で新しい映画を観ることができた。

主演はアングラ演劇のカリスマ唐十郎の

原作、脚本、出演の一人三役、その外原田芳雄や佐野史郎などが

脇を固めていた。(監督金守珍)

伝説のレンズ職人とガラスの精のおとぎ話というキャッチフレーズだが、

正直いって何か心にずしんとくるものがなかった。

世間から取り残されようとしている不器用な人間達の人生模様を

大人のメルヘンとして描いているというけれど‥‥

映画は映画的であってほしい。

映画と舞台は全然ちがうと思う。

何か舞台の一場面を観ているような感じだった。

 

2月5日(日)

今夜はもうお店閉めようと思っていたところ、

2人連れのカップルが来店した。

「まだいいですか」と言われて12時近かったけれど、

少しならと座ってもらった。

2人でとても話し込んでいるので、ついつい時間が過ぎてしまったけれど、

帰る時「とてもいい時間をありがとう」と男性が言ってくれた。

うれしかった !! この店がほんの少しでもお役にたっている。

最近こんな風に言われることが多くなったけど、

自然なやりかたとやりたい事がマッチしたのだろうか。

どんなに大変でも、これをライフワークにしていこうと思う。

願わくばこの店を出て、厳しい社会に戻っても、

この気持ちを忘れないで、持ちつづけてくれたらなーと思っている。

 

1月29日(日)

2,3日前、もうこれが最後になるかもと聞いて、

横浜ランドマークタワーのホテルに、

大好きな彼女のライブショーを聴きにいった。

新宿から新宿湘南ラインに乗り、横浜から桜木町駅へ。

さすが70階からの夜景は素晴らしく、別世界へ入りこんだよう‥‥。

でも低音の魅力いっぱいの彼女のステージ、ほとんど誰も聴いていない。

まるで雰囲気の一つとしてしか扱われていない。

しかし彼女は全然いつもと同じ、淡々とうたっている。

そういえば数十年も前になるけれど、彼女がサンフランシスコに

留学するというので見送りにいったことがある。(まだ羽田だった)

タラップの前でこれからもうたいつづけていくと

挨拶していたのを思い出す。

あの頃は水さかづきで海外へ出かけたものだ。

うたいつづけてほしい !!

 

1月22日(日)

本屋の軒先で村上春樹の新刊をふと手にして、立ち読みしてしまった。

いろいろなジャンルのミュージシャンや演奏家を取りあげているが、

トップにシダー・ウォルトンのことを書いていて一寸驚いた。

どうしても村上春樹が好きになるような、ジャズピアニストではないと思ったから。

ニューヨークの”スィート・ベィジル”でも(たしかロン・カーターがリーダーだったと思う)、

オランダのノースシー・ジャズフェスティバルでも(ベニー・ゴルソンが盛んに

シダーウォルトン、シダーウォルトンと紹介していたが)、

全然印象に残っていない。

ハードバップの王道をいく、堅実なピアニストだなとしか思っていなかった。

本当に地味でマイナーな人をよくぞとりあげてくれました。

探してみたら彼のリーダーアルバム2枚も出てきた。

 

1月15日(日)

先日”劇団新宿梁山泊”の金守珍さんや皆さんが、

突然現れてびっくりした。

聞けば下北沢”ザ、スズナリ”で年末から年始にかけて

公演しているという。

何年位前になるのだろうか、この店にみんなが集まって、熱く語り合った頃、

あの旗揚げ公演から18年も経つなんて。

とにかく金さんのパワーはものすごい。

パワーがすべてですといわんばかりのダイナミックな舞台は、

本当に観る物を圧倒する。

今はすっかり変ってしまった汐留跡地でのテント芝居を、

今でも鮮やかに思い出す。

手づくりおにぎりを差し入れし、寒風吹きすさぶ荒れ果てた線路脇で、

ふるえながら観た。

凄まじいまでの情熱と迫力、上手い下手はともかくとして、

栄養ドリンク剤を飲みながら、テントに寝泊りして、

この公演にかけたあのメンバー達、今はほとんどいない。

胸が締め付けられる思い。

 

1月8日(日)

おそまきながら、やっとクリントイーストウッドの

”ミリオンダラーべイビー”を観た。

一気に観終わって、何かやりきれなさが伝わってきたが、

皆が言っている程の感動はなかった。

どんな理由で子供と断絶したのか分からないが、人生に対する絶望感が、

この主人公を益々不幸にしていく。

こんなに厭世的な結末を迎えてしまう主人公は、本当に

クリントイーストウッドの考え方なのだろうか‥‥

心の中にあれほどまでの追い詰められた思いがあるのだろうか‥‥

誰にでも大なり小なり耐え難い孤独感はあるが、

考え方次第でいくらでも前向きに生きられると思う。

私は映画の中の主人公にクリントイーストウッドの本心を見た。

 

2006年1月1日(日)

あけましておめでとうございます。

今年もすばらしい年でありますように。

本当に It‘s a Beautiful Day の毎日。

何時頃からこんな気持になれたのだろう。

何もかも自然にまかせて、その流れにそっていく。

もう無理しないで思い切り毎日を生きていこう。

このままずっと先をめざして‥。

33年目の決意です。

皆さんに支えられて、こんなにも幸せを与えてもらったこと、

ほんとうにありがとう。