日曜日のひとりごと  2004年

 

12月26日(日)

おとといはクリスマス・イブ、人々はケーキを買ったり、プレゼントを求めて、

街はすっかりクリスマスムード。

海の向こうではイブの日は教会にいって敬虔な祈りを捧げ、

当日は遠くにいる家族が年一度集まって、手作りの料理で楽しむのだそうだ。

勿論1ケ月前からクリスマスの準備をしていて、カードを送ったり、

プレゼントを買ったりして。

でも日本とはちょっと違うみたい……。

とはいいながら、若いカップルにキャンドルホルダーをプレセントされた時は、ほんとうに嬉しかった。

雑踏の中、二人であれこれ捜してくれたんだと思うと、その気持がうれしくて、じわーと心にしみた。

二人がこれからどんな道を歩いていくのか、見守っていきたい、とても楽しみだ。

それからシンガース・アンリミテッドのアカペラのクリスマスソング、

教会にいるようで、とてもいいです。

 

12月19日(日)

黒澤明の”我が青春に悔いなし”という映画を観た。昔観たような気がしたが…。

なんと1946年の作品…、なのにちっとも色褪せていない。

原節子が主演の、京大事件をヒントにした、

一人の女性が最後に本当の幸せとは何かをつかむ、感動の名作です。

原節子って永遠ですね…。もうこのような大スターは出てこない。

ハリウッド映画のイングリット・バークマンを思い出した。

おいしい物を食べたり、高価な物を買ったり、資産を持ったりすることが、

幸せだと思っている人が多いけれど、それは幸福感であって本当の幸せとは違う。

心からの自由と無償のよろこび…この映画はそんな事を強く感じさせてくれた。

初期の頃の黒沢明って、なんて純粋ですがすがしいのだろう!

 

12月12日(日)

毎日をしこしこと生きていく。

怖いくらいほんわかと楽しい。

この店を始めた頃はそうではなかった。悲壮感がただよっていた。

あのころの写真の険しい顔をみると、ほんと一気に30年前がよみがえってくる。

10年ひと区切りというけれど、30年をはっきりと分けられる。

最初の10年は馬車馬のように忙しく、後から追い立てられるような、分刻みの毎日、

寝て起きて次々とやることがあって、物を考えたりする暇などほとんどなかった。

次の10年は、どーんと地の底につきおとされたような、精神的苦しさが続いた。

何故かわからない、とにかくいてもたってもいられなくて…。

今考えると自分を見つめ、自分に気づく時期だったのだと思う。

次の10年、これはもう、苦しみの先に喜びが…です。

サッチモの“What a wonderful world”ではないけれど、なんと素晴らしい日々。

愛するよろこび、愛されるよろこび、今はどんな状態になっても、

にっこり笑って生きていける、うれしい !!

 

12月5日(日)

師走に入った、一年たつのは早い。

しかし今年のこの異常気象は何なのだ。

何もかも自然を壊しつつある地球人に、しっぺがえしをしているとしか思えない。

地球を壊していけば、このような目にあうのだと言っているみたいだ。

真夏のうだるような暑さが終わったと思ったら、10回も上陸した台風、そしてあの中越地震……。

もう何が起こるかわからない、覚悟しなくては。

太陽系の中で地球だけが、生物が育ち人間が生きられることを知った時、なんかこの地球の中でいがみあったり、争ったり、悩んだり、欲張ったりしているのが、あほらしいと思うようになった。

富も貧も皆一つになって人間も自然と一体となって行けたら…、いや行くべきだと思う。

私の出来ること、身近に出来ることを、やっていく。

 

11月28日(日)

昨日11月27日、恒例の一年のしめくくりのパーティを開いた。

アニバーサリーではなく、ジャズパーティにしていこうと思ったのだけれど、

やはりみんなは「31周年おめでとう」と言ってくれた。

当日参加できると返事があった人がとても少なかったので、

もうパーティなんかやめてしまおうと思ったりしたけれど、

いざ始まってみると、メールのトラブルで出席の返事が届いてなかったり、

来られないといっていた人が来てくれたり、

毎年来ているから返事しなくても大丈夫と思ったという人が来たりして、

いつもなじみの顔ぶれが集まった。うれしい !!

生き生きといろんな話に花が咲き、楽しいパーティだった。

来てくれる人がいる限り、こんなささやかな集まりをつづけていこう。

ほんとうに皆さんありがとう !!

 

11月21日(日)

1964年4月、ノルウェーのオスロで、チャーリー・ミンガス・セクステットが演奏したビデオを見た。

昔渋谷のスイングで見た記憶があるが、今改めて見てやっぱりとても面白かった。

チャーリー・ミンガス、ジョニー・コールズ、クリフォード・ジョーダン、ダニー・リッチモンド、そしてエリック・ドルフィー、

そうそうたる連中がステージ(学校の講堂のような所)にかたまり、フロントの3人は椅子に腰掛けている。

みんなスーツを着ていて、若い(40年前だもの)。

ミンガスはドルフィーのことを、「この人はすぐいなくなってしまう…ソロはとらせません」とか、

曲のあいまにポンポン言う。

でもドルフィーってすごい、他の人のソロのときは興味なさそうにしているが、自分のソロになると急に立ち上がって、

バスクラも交えてすさまじく、えんえんと吹きまくるので、ミンガスは後のほうに下がってしまう。

この2ケ月後に、ドルフィーはヨーロッパであえなく病死した。

最も充実していたこの年、歴史に残るアルバム”アウト・トウ・ランチ”、”ラスト・デート”も……。

モノトーンの画面、美しい……。

 

11月14日(日)

今年もまた一年のしめくくりとして、皆と集まって楽しくやりたいと思います。

アニバーサリー・パーティーは30周年をきりにして、去年で終わりにしました。

でもちょっと誤解されてしまったようで、もうパーテーはやらないと思った人もいました。

そうではなくて、これからは親しい人達と、素敵なひとときを過ごしたいと思います。

最近とみに自分のことがよく見えてきて、派手なことする人じゃないなーとつくづく思う。

私は何もしていないのに「お店落ち着きますね」と、皆に言われる。

「お店の前を通って、とても気になっていた」とほとんどの人が言う。

気になる店、落ち着く店、これは長い間に培われた雰囲気がそうさせるのではないだろうか。

ともかく、どんな人にでも喜んでもらえるようなそんな店でありたい。

「いい時間をありがとう」といって帰っていくお客さんに、こちらこそありがとうといいたい。

 

11月7日(日)

”ドイツ・浪費が止まる節約生活の楽しみ”という本を読んでいる。

まだ読み始めたばかりだというのに、もうとても共鳴してしまっている。

この本の著者はドイツ人の30歳前後の女性だが、考え方がとても進んでいる。

夢はシングルマザーになること。ドイツの結婚事情をみてみると、始めの何年間はうまくいっていても、

一人の人と一生暮らしていくのは、とても難しいらしい。

嫌になっても我慢しなければいけない、表面だけの結婚生活はつづけたくない、

そんなことはしたくないので、シングルマザーになりたいのだと彼女はいっている。

私の友達も、「一人の人と一生暮らしていくのは、しんどいものよ」としみじみいっていた。

そうなんだよね、別れて新しい人生を前向きに切り開いていくほうが、よっぽどすばらしいと思う。

日本の女性も、結婚結婚と考えないで、自立した一人の人間としてまず生きていくことを…。

本の題名から遠ざかってしまったが、こちらも次回書きます。

 

10月31日(日)

先週書こうとおもっていたのだが、地震が起こってしまって……。

村上春樹の”やがて哀しき外国語”という本を読んだ。

ときどきこの人のエッセイが好きで読んでいるけれど、何かひきずられるようにどんどん読めてしまう。

何気ないことを、わかりやすい口語体ですらすらと書いている。決して断定的な物言いはしないで。

この人は書けなくて苦しむというのはないのでは?

これも才能だろうけど……こんな風に書けたらいいな。

そういえば東大生だった彼もとても書ける人だった。

私が書いたら2・3行で終わってしまうところを、とても興味深く、読んでいて笑ってしまったくらいおもしろかった。

物書きになって欲しいなーと思う。今頃どうしているだろう、メールしてみよう。

この本のジャズのこと、外国語のこと、こんどまた書きます。

 

10月24日(日)

昨日の夕方震度4の地震があった。

横揺れだったせいか、体にはあまり感じず、電気の傘だけがものすごく揺れた。(実際、冷静さを欠いてしまう。)

つい2・3日前に台風の大雨で、兵庫県の方が大洪水になったばかりだというのに、

今度は新潟県の方が震度6強で大混乱、“ふんだりけったり”。

人ごとではない、いつ東京にだって、すごいのがやってくるかもしれない。

何にも準備してないし、もうその時はその時と覚悟していよう。

でもこんなにいろいろ、日本が直撃されるのは何かおかしい……。

日本人の経済的奢りが、こんな“しっぺがえし”を受けているのかなと、ふと思う。

もう一度原点にかえって、人と人とのつながりを大切にするということを、

天災にでもあわなければ気がつかないというのか?

それでも”住めば都”、どこの国でもそうだろうが、

やっぱり今住んでいるところに、ずっと住みつづけていきたい。

 

10月17日(日)

ブラジルは見るだけのところではない、おおいに感じるところだとつくづく思った。

5つ星ホテルの豪華さとは裏腹に、一歩外に出れば物乞いが……。

海岸沿いにあるポンフィン教会の前で見た、お守りのリボンを売りつける黒人達……。

おいしかったバイーア料理のムケカ、外にはこんなもの食べられない人達がいっぱいいるのに……。

この矛盾、本当に考えさせられた。

日本は確かに経済的に豊かかもしれない、しかしお金を得るためにストレスをいっぱいためて、

またそれをはき出すためにいっぱい消費する、そのくりかえし、

自殺者が毎日80人~100人もいるというし、陰湿な事件が毎日のように起る日本、決して幸せとはいえない。

バイーアの子供達は目を輝かせて教室の代りにタイコをたたく、いつかオロドゥンのようになろうと夢中でたたく。

ああ、日本の元気をなくしている人達に聴いてもらいたい。

今、私に出来ることは?

それはこの店にきて、心から元気になってもらうこと、それが私のライフワーク。

 

10月10日(日)

いよいよ待望のバイーアヘ。

ガイドの太田さん(日系3世)、運転手のカルロス(ジーコにそっくり)に見送られて小さな飛行機に乗る。

2時間位で上空からサルヴァドールの風景が見えてくる。

世界遺産にもなっているブラジル第三の街、サルヴァドール(バイーアともいう)。

ジョアン・ジルベルトを始め、MPB4人組や近くはカルリーニョス・ブラウン、そしてオロドゥンの生れ育ったところ。

道端で子供達が空き缶をたたいている、そんなものでもいいから聴きたいと思っていたら、

着いたその日に、オロドゥンのライブを聴くことができたのだ。

夜は気をつけてと言われていたので、緊張の極度でタクシーに乗る。

ペロウリーニョ広場はものすごい人だかり、あちらこちらでサンバのリズムにのって、

少女達の、子供達の、力強いタイコの音がきこえてくる。

黒人がもたらした宗教音楽と、原住民の音楽が一つになって出来たというサンバ、

お腹の中から湧き上がってくるような力強さ。

胸がこみ上げてくる生命力、オロドゥンのサンバへギ、皆踊り狂った。

はるばるこんな遠くまでやって来たかいがあった。

生きる歓び、このエネルギー、貧しさを音にぶつけたような……。

ああ、すばらしい !! 生きていてよかった !

 

10月3日(日)

コパカパーナのホテルから1ブロックで海岸に出る。

イパネマ、レブロンまで海岸通りをゆっくり歩いた。

着いた日に食べたシュラスコ料理、肉が次々と出てきて胃にもたれてしまった。

リオは丁度冬から春になるところ、湿気がないので35度位まで気温が上がっても、木陰に入るととても涼しい。

リゾート地だけあって皆すごいビキニ姿、泳いでいる人、遠くにサーファーの波乗り、ビーチバレーもそこここで…。

何といってもイパネマ海岸がいい。打ち寄せる波をぼんやり眺めながら、砂の上に寝転ぶ。

その夜、イパネマのモライス・バーで本場のボサノバを聴く。

ボサノバの生れたしっとりとした街、地元の人達はとても優しくて親切。

湖のそばにあるMistura Finaというクラブでジャズを聴く。

ブラジル人は自分が楽しむ事を知っていて、まわりにどう思われようが平気。

ファベーラ(貧民街)のモーホ(丘)がすぐそこに……この経済的落差……。

私は深く考えるようになった。

さあいよいよバイーア出発です。

 

9月26日(日)

9月10日~20日迄、ブラジルのリオ・デ・ジャネイロ、そしてバイーアにいってきました。

あまりのすばらしさに、未だ頭が呆然としている。

とにかく地球の反対側、えんえんと24時間かかって、やっとたどり着いたという感じ。

ロス経由、サンパウロを通過点として、ボサノバの生れたイパネマのある街、カルロス・ジョビン空港に降り立った。

迎えに来てくれたガイドの太田さんと、そのままキリスト像のあるコルコバードの丘に向かう。

機内で飲んだ眠剤のおかげでよく眠れたせいかとても元気、登山電車でゆっくり登っていく。

ちょっと前までは沢山の階段を登ったというが、今はエレベーターなどもあって、すっかり観光化されている。

キリストの足元から見るリオの眺めはほんと絵葉書そのまま。

帰り、日本ブラジル文化局長の柳井さんに会う。

探していたトム・ジョビン記念館はまだまだ出来ていなかった。このつづき来週です。

 

9月5日(日)

今日は年一度の北沢八幡宮の祭りの日。(毎年9月最初の土、日)

数年前に、暴力団とのつながりを断つためにテキ屋を一掃したので、すっかり淋しくなってしまった。

あの頃のお祭りはものすごく賑やかだった。

神社の境内から茶沢通りまで、ぎっちりお店が並んでいて、色々な出店がいっぱい…。

未だ口上を並べて(そう、寅さんのよう)、唐辛子を七色混ぜあわせて、おまけをつける…。

その口上が面白くて、その仕草が面白くて、何度も足を運んだっけ。

ドンドンと祭りの太鼓、ピーヒャララと祭りの笛の音、ワッショイワッショイという神輿をかつぐ人たちの熱い息ぶき、

粋な半纏のお姉さん達,何故か胸が高鳴った。

あんなに夢中になれる神輿かつぎ、一度やってみたいな…。

今年も又来たよと大声で入ってくる祭りばやしのおじさん達、今年も来てくれたよ。

次の2回分は、お休みさせていただきます。

 

8月29日(日)

ブラジル映画、セントラルステーション(1998年度ベルリン映画祭受賞)という映画を観た。

前にも一度観ているのだが、改めてじっくりと観終わって、

陽気にサンバを踊りまくるブラジルのイメージとは違う、心ゆさぶられる映画だった。

ふとした出会いから、孤独な中年女と父親を想うちょっとませた子供との心の交流、

直ぐに人を殺したり子供を平気で売買したりする、まだまだ危ないブラジルで、

すさんだ心の女と、あのままいったら見事に悪くなってしまうだろう子供との、

いつしかわいてくる情愛が細やかに描かれている。

風光明美な観光都市リオとは違って、セントラルステーションの喧騒と雑踏!

ベルナンブコ州へと走るバス、荒れ果てた乾燥地帯、すてきな映像だ。

あの女優はイタリアの名女優、ジュリエッタ・マシーナのよう。

心ひかれた巡回伝導師が、黙って去っていく時の女の切ない表情…いいですねえ…。

こんなに内面的に深い映画を創るブラジル、びっくりです。

 

8月22日(日)

泳ぎ始めてからもう何年になるのだろう。そう、お店と同じ30年になる。

子供が一緒に行かなくなってからも、泳がないと気持が悪いという感じ、

そしてお店を続けることと泳ぐことを、同じことだと考えるようになった。

だから泳ぎは生活の一部、もう習慣として出かけている。

精神的にとても泳ぎたくない時もあるけれど、終わったあとはよかったといつも思う。

この前全然知らない人から、「黙々と泳いでいますね、いつも見かけます」と言われてとても嬉しかった。

やりつづけていることは、つらくても必ず誰かが見ていてくれる、

結果ではなくプロセスが大切。(田中雅美選手にエールを…)

ゆったりと自分の泳ぎをしていこう。スピードではなくきれいな泳ぎをしていこう。

楽しい泳ぎをしていこう。

 

8月15日(日)

今日は終戦記念日。

戦争が終わってから、もう59年もたったのかと思う。

夢を見た、じりじりと暑い日、みんみん蝉の鳴き声が山いっぱいに聞こえる、

こんもりとした農家の軒先で、母と伯母がひそひそと何か話している。

戦争が終わった、日本は負けてしまった、これからどうなるのだろう、

そんな事を話しているように思える。

私はいないのに、突然こんな夢を見るなんて…。

世界で唯一の被爆国日本。あんなに恐ろしい目にあっていながら、もう日本人は忘れかけている。

今の若者があの当時の写真を見て、違う国の人みたいだと思ったという。

世界の国々が皆、核をもたないようにするにはどうしたらよいのだろう、

どうして核をもつことが許されている国があるのだろう、

むつかしいことはわからない。ただ、あんなものを作ったり使ったりするのだけは、止めてほしい。

 

8月8日(日)

私の友達に連絡がとれなくなってしまった。

お引越しをするとは聞いていたけど、その後何の音沙汰もなくて…。

中々話があう人って少ないけれど、その人は私の生きかた、いいないいなといってくれた。

年齢や学歴で人をみたり、資産のあるなしで人をみる事が多い世の中で、とてもリベラルな考えをしている。

服装も自分で創ったユニークな格好で(オーダー服を創る仕事をしている)、

まだこんなに自転車が多く流行らない頃から、マウンテンバイクのように走っていた。

すいすい車をよけて、長い髪をなびかせて…今より何十年も前。

きっとどこかでイギリス風ブレークファーストをつくって、優雅に食事をしていることだろう。

大きなモーニングカップでカフェオレをのみながら…。

一生付き合える友達って一人か二人ですよね。

 

8月1日(日)

I君、Yちゃんから暑中見舞いの葉書が届いた。

時々噂にのぼる位思い出深い二人だったので、その後どうしているのかなと心配していた。

I君が始めてお店に現れたのは、18歳の4月、東大に入ったその年、とてもよく覚えている。

友達と一緒で、スーツなんか着ちゃって(雑誌HANAKOを見てきたがスーツを着るような店に思えたらしい。)、

はきはきとよく通る声で「ウエス・モンゴメリーのフルハウスをかけて下さい」といった。

それから下北沢での4年間、マージャンを知り、そこでYちゃんと出会い、新聞社に入社して、

地方に配属されるまで、とても楽しそうだった。

半年で新聞社をやめて、家系である医者の道を選んだとのこと

今予備校に頑張って通っていますと、Yちゃんのけなげでかわいい言葉。

とてもとても前向き、とてもいい。

今のまま二人で、思い切り人生をenjoyしてほしいと思う。

 

7月25日(日)

先週またまた、アラーキー(荒木経惟)が大勢の取り巻きを連れて現れた。

相変わらずの元気さ、クーラーがきかなくて暑いせいか、タンクトップ一枚のような格好になって大声でしゃべっている。

ずばずばと思ったことをはっきり言っているが、聞いていて気持がいい。

とにかくあのエネルギーと積極性!

不思議と毒舌が気にならない、何故だろう。

普通の人がよっぱらってあんな事言ったら、もういやだと思うのに、彼の言葉は気にならない。

それはその奥にある純粋さ、あたたかさがみえるからではないか。

ずっと独りでいるのも、亡くなった彼女のことを今でも愛しつづけているからではないかと思う。

そんな風に愛されたい、どんなに年を重ねても愛しつづける心を持ちつづけたい。

アラーキーからこんなことを感じた。

お店のこととても気に入ってくれているみたいだから、もっと来店してほしいです。

 

7月18日(日)

戦場カメラマンが書いた“イラクの中心で、バカと叫ぶ”(橋田信介)という本を読んだ。

読みやすい語り口という事もあったけど、好奇心いっぱいの攻撃精神にひかれて一気に読み終えてしまった。

一番つよく心に残ったところは、日本にも見えない戦場がある、

空爆や砲撃はないのだが死者の数から言えば、イラクよりはるかに悲惨な戦場なのだという。

バグダッドでは誤爆で一日40~50人が死んでいるが、日本では毎日約80人の自殺者があるという。

戦時下の国ではウツ状態に陥ったり、風邪をひいたりする人はいないそうだ。

生き抜くために、命はかけがいのないものとして大切にされる。

それなのに精神の均衡を失って、自殺したり簡単に人を殺したり、命が粗末にされている平和な日本、見えない戦場なのだ。

はからずも彼はイラクで壮絶な死を遂げた。さぞや本望だったでしょうと奥さんも言っていた。(彼女素敵)

ほんとうにそう思う。すばらしい。私も益々悔いのない生き方をしようと思う。

 

7月11日(日)

先日ラジオ深夜便のワールドネットワークという番組で、

オーストラリアでは“キャリアブレイク”という、

休暇を取ることができるという話をしていた。

それは一つのところで長く仕事をしてきた人が、

1年間の充電期間が取れる長期休暇のことです。

もちろんその間は無給。すばらしいと思った。

日本では、出産とか病気ならまだ休みやすいが、

そうじゃない休みなんて取りにくいのでは。

何か違う体験をしてみたいという、そんな理由での休暇に対してはまだまだ理解がない。

仕事をやめるしかない。

最も進んでるデンマークではどうなっているのだろう。

きっと一ヶ月以上のバカンスはあるし、ゆったりした時間を持てる国だから、

そんな長期休暇を取る必要がないかもしれない。

新たな気持で出発できる、“キャリアブレイク”を日本でも早く進めて欲しい。

 

7月4日(日)

今日は何を書いたらいいのか、やたら落ち込んでいる。

いつも一生懸命やってきたつもりなのに、思ったようにいかない。

もう先を考えないで、思い切りやるだけ。

思うどおりにならなくて、もうだめだと思った時、思いもよらない事が起こることがある。

“苦しみの先に歓びが必ずある”

これは私のモットーなんだけど、実感として感じている。

あんなに毎日時間に追いまくられていたのが、今はうそのよう。

やりたい事がこんなに出来る時間がもてるようになった。

この間ジャズ・ボーカルを歌っているという女性が、お店を出る時に、

とてもいい時間をありがとうといってくれた。

こんなお客が増えてくれたらいい。それが私のライフワーク、やっと気持が前向きに…。

来てくれた人がほっとしてくれる店、生き生きとして帰っていってくれるような店、

ジャズを通して、やります !!

 

6月27日(日)

先日、“ブラジル・ボディ・ノスタルジア”というブラジル現代美術展を見に、国立近代美術館にいった。

ブラジルミュージックにとても関心があるので、ブラジルという字を見つけると、直ぐに吸い寄せられてしまう。

カボエイラという格闘技のような踊りをしている二人の少年に、

とてもエネルギーと美しさを感じる。

90年代以降のストレートチルドレンの実態を、大きな画面でドキュメンタリータッチで放映していた。

どうしてこんなに多くの子供達が路上で暮らさなくてはならないのか…。

すりや万引きを繰り返すうちに、だんだん犯罪に巻き込まれ、平気で銃を持つようになってしまう。

一人一人の子供達の夢が語られていたけど、とても無邪気でかわいい。

15歳の女の子、もうじき子供が生れる、「男の子がいい」なんて、とてもストレートチルドレンとは思えない。

大好きなキューバ、暮らしはとても貧しいけれどストレートチルドレンはいない。

ブラジルの貧富の差、どうしたらいいのだろう。

 

6月20日(日)

昨日北沢川緑道を世田谷線の山下まで歩いた。

風は強かったけれど、すばらしく晴れて初夏の気分。

“卯の花の匂う垣根に ほととぎす早も来なきて 忍びねもらす夏はきぬ”

“明日からうれしい夏休み まぶしく晴れた青空に 真白い雲が浮かんでいる”

とても好きな歌、歩きながら思い出してしまった。

途中梅丘でお茶をしながら(梅丘は緑が多くて下北の近くとは思えない)、

豪徳寺(ここもお寺が多くて落ち着いていていい)を通って山下へ。

小さな小径のような緑道は、とても楽しくどこまでも歩いていけそう。

ささやかな幸せ、今を生きられることがとてもうれしい。

これからも前を向いて日々を重ねていこう。

 

6月13日(日)

貧富の差が激しいブラジルも、やっと失業率が下がってきたという。

東北地方のペルナンブコ州(乾燥地帯のとても貧しい州)でも、地元の人が仕事にありつけるようになってきたとか。

現大統領が労働者出身だから、先ず子供達に教育を、その結果が犯罪を減らしていく方法だと言っていた。

ブラジルというと犯罪が多い、危ないというイメージがつよい。

しかしキューバのように無料で教育が出来れば、きっと変わっていくと思う。

何億の人々が飢えに苦しんでいる一方、飽食の時代を迎えている人々もいる。

この矛盾はどう考えてもおかしい。

一方的な情報が飛び交っている中、何が本当で何が本当でないか見極めていこう。

 

6月6日(日)

板垣真理子著、“バイーア・ブラック”という本を読んだ。

いまブラジルの第二の観光地として、バイーア(サルバドール)が注目されている。

そして音楽の発祥地として最も有名。

アフリカから沢山の奴隷が連れてこられて、原住民インディオとの合流がサンバを生んだという。

あのボサノバの教祖、ジョアン・ジルベルトもこの地の出身だし、

カエターノ・ヴェローゾ、ジルベルト・ジル、マリア・ベターニア、ガル・コスタ、

そしてフィリーニョス・ブラウン、オロドゥン等々、

宗教と結びついた土着の音楽は、人々の生きる支え。

黒人であろうと白人であろうと、人々は死ぬまで踊り歌いつづける。

ああ、石畳の古い街、“サルバドール”

 

5月30日(日)

エルビン・ジョーンズが亡くなった。

何かやりきれない気持、また一つジャズ界から巨人が……。

コルトレーンカルテットのドラマーとして“至上の愛” ほか、たくさんのアルバムを残してくれた。

そうだ、みんないなくなっても、心に残るアルバムを、私たちは沢山持っている。

エルビンはコルトレーンがフリーの世界に入っていった時、ついていけないといって、

マッコイタイナーと一緒にカルテットを脱退した。

エルビンは保守派ですと言っていたから、やはりモダンジャズの世界の人かとも思われるが、

リチャード・デイビスとの壮絶な“ヘビィサウンド”の中の“サマータイム”は忘れられない。

すばらしいアルバムを残してくれてありがとう。

リチャードは大丈夫かな。

 

5月23日(日)

モントルー・ジャズフェステイバル事務局から、今年もまたプログラム入りの案内状が届いた。

ヨーロッパ最大のジャズフェスティバル、熱い思いで出かけたのは1992年7月だったと思う。

もう12年も過ぎてしまった。

一人で企画して、一人で凡ての準備をやったのは後にも先にもこの時だけ。

なつかしい!ものすごくなつかしい。

ハプニングの連続で写真を撮る余裕すらなかったけれど、

今考えると14日間のイベントが終わった後、

レマン瑚で泳いだり、教会へいったり、結構のんびりしたっけ。

スイスに入る前ロンドンでも結構ブラブラしていたし。

ドーバー海峡を船で、それがすごくよかったんです。

7月だというのに、ものすごく寒くて大荒れの海。

ああ、肝心のジャズの事を書くスペースがなくなった。

何時かまた書きます。

案内状を手にしてあの旅がよみがえった !!

 

5月16日(日)

5月29日は毎年恒例の一品持ち寄りパーテイです。

人数は少ないのだけれど、必ず来てくれる人達と、また楽しいひとときを過ごしたいと思う。

半年に一度の集まり、遠くに越してしまった人、結婚したり子供が生まれたりと、皆それぞれ変わっていく。

でも、青春のひとときを過ごしたこの店を時々思い出してほしいな…。

考えてみたら、30年もたてば周りの環境は変わっていくのが自然。

このお店が変わらないでいられる方が不思議な気がする。

でも世の中どんなに変わっていっても、自分の生き方は変わらないと思う。

ジャズをライフワークに、シンプルライフで……。

今はとても幸せ、考えてもいなかった幸せです。

 

5月9日(日)

昨夜遅く、ビル・エヴァンスの看板を見て、車を途中で止めて歩いて戻って来たという、

30代の男性が来店した。

とても気にいったらしく、コーヒーを2杯もお代りして、じっくりアンダーカレントを聴いていた。

こんなお客が増えてくれたら理想的なのに…。

そういえばその前日も、30代の男性が夜遅くふらっと入ってきて、

日本のフリー・ジャズはすごい、日本のジャズも捨てたものではないと話していた。

表の看板をちょっと変えただけで、お客の反応が変わるのだろうか。

こんな感じでいって欲しいと思っている。

怪しい店なんて言われて“ガクッ”ときていたが、

それはジャズがよくわかっていない人が言ったことなんだと思って、

今はとてもすっきりした。

 

5月2日(日)

昨夜お店に、(前にも何回も来ているが)明日で18歳になるという高校生が来店した。

今時の高校生は皆遊び呆けている人が多いと思っていたが、本当にしっかりしている。

行きたければ大学は今どうにでも行く方法はあるのだから、

4年間のモラトリアム生活を送ってからでも、進路を決めるのは遅くはないと思っていたが、

「来年は就職します」と言った。

親にこれ以上迷惑をかけたくないと言って、夜はバイトしている。

友達とは結構今を楽しんでいるようだが。

親に仕送りしてもらって学生生活を送っている人や、進学コースに躍起になっている人ばかり見てきたが、東京の地元で育った子供達の中には、意外に現実を見据え、先を見つめて生きている子供達が多いと思った。

 

4月25日(日)

先週の日曜日、“World Peace Now”が主催するデモに参加した。

イラクの自衛隊派遣反対のデモ。

渋谷の宮下公園に1時半ごろ着いた。

いっぱい人が集まっていて、いろいろな人が拡声器でしゃべり、

いろいろな人がビラを配っていた。

教職員組合のグループに入れさせてもらって、明治通りを新宿方向に進んで、

途中区役所の方向に左折、そして公園通りを駅に向かって歩いた。

大きな声でイラクの自衛隊派遣反対と言いながら。

何十年ぶりだろう、こんな風にデモに参加するなんて!

黙って考えているだけではなく、何か行動を起こさなくては。

“アームチェアーインテリ”にはなりたくない。

 

4月18日(日)

イラクの人質事件のことで皆いろいろ言っている。

昨日も喫茶店でお茶していたら、近くに座っていた40台ぐらいの女性二人が、

憤懣やるかたないしゃべり方で激怒していた。

“あんな危ないところへ行ったのだから自己責任だ”とか

“家族の弟妹が生意気だ”とか…。

しかし、どんな事情であれまず命を救おうとするのが一番でないだろうか。

その後でいろいろ話し合ったらいいと思う。

イラク人は何よりもまず、その人物がどんな人であるかよくたしかめるという。

どんな交渉も、その人が信用できなかったらだめになるという。

だから2つの事件の人質は助かったのだ。

イラク人の手で、イラクが再び平和になりますように。

 

4月11日(日)

昨日はイラク日本人人質事件に抗議するため、

国会議事堂前の議員会館での集会に出かけた。

急に思いたったので何の準備もなく気軽に行くことにした。

千代田線の国会議事堂前で降りて階段を上がっていくと、

もうそれらしき人々が議員会館にいっぱいで入りきれない位。

抗議している人の顔も見えず声のみで盛大な拍手が何度もおこる。

昼は1000人位集まったようだが、この力で国を動かしていけるだろうか?

しかし小さな力でも今やれることをしていかなくては。

最終的にキューバのようになる覚悟があるか?

カストロのような偉大な指導者がいればのことだが。

 

4月4日(日)

3月末で日曜日のひとりごとを書き始めてちょうど一年になる。

最初は軽く始めたのだが、毎週書いていくというのは結構しんどいものだなと思う。

書くことが見つからないとか、書く気分になれないとか、

いろいろな思いが出てきて、結局ジャズのこと、お店のこと、プライベートなこと、みんな自分の考えが出ます。

それでいいのかな?

まあ公開日記なのだから、自分の考えを思いきり書いてposyのこれからを考えていこう。

yahooのjazz喫茶の欄に登録されたので、これからどんなお客がきてくれるかとても楽しみだ。

もう迷わない、妥協などしないでこのやり方一筋でいこう。

(posyのホームページをみて、リンクさせてほしいという人も現れたようだ。)

 

3月28日(日)

最近勝ち組・負け組という言葉が流行っているようだ。

“負け犬の遠吠え”という本もベストセラーとか。

とても嫌な言葉だ。

一人の人生に勝つとか負けるとか、そういうものをどこで決めるのだろうか。

精一杯生きた結果がどんなであろうと、勝ったとか負けたとか決めるのはおかしいと思う。

自分で選んだ生き方をした結果がどんなであろうと悔いはない筈。

今はいろいろな生き方ができるのだから、この世の中の時流に合わせることではなく、

自分の本当の生き方、心からの豊かな生き方を見つけていくことだと思う。

結婚適齢期とか、“時は金なり”なんていう言葉、死語です。

 

3月21日(日)

今日は何を書こうかと迷ってしまった。

先週2人づれの女性が来店したが、去年発行された東京ウォーカーを見てきたとのこと。

この店が一般の雑誌に載るなんて珍しいのに、それを見てきてくれたなんて嬉しい。

一人は鳥取から友達の所に遊びにきたとか。

鳥取にはどんなジャズの店があるのかときいてみたら、

偶然知っている店があって、話が盛り上がった。

本格的なジャズの店がどんどんなくなっていくなか、

鳥取でも真摯にやり続けている店があると思うと、勇気が出ます。

若い人たちの中には、ジャズに関心のある人は多いと思う。

どうかBGMで聴くのではなく、一歩踏み込んで聴いてほしい。

 

3月14日(日)

先日来店したお客さんが、ビル・エバンスのサインを数万円で譲り受けたが、本物かどうかを鑑定して欲しい、といった。

そういうものはお金で換算するものではないと思う。

そのautographが本物かどうか、それを信じるか信じないか、

本当に信じて持っていたら、それで幸せなことではないかと。

ビル・エバンスのautographがどんなオークションにかけられても、欲しくありません。

彼の一枚のレコードから本物の音を聴いていたい。

アナログレコードもすぐにお金に換算して驚く人がいるが、

お金では換えられない財産だと思う。

 

3月7日(日)

先週、荒木経惟氏が2回来店した。

外を通る人にも聴こえる程の聞きしにまさる大声で、静かな店が一転。

このとき一番印象に残ったのは、1940年代のシンガー、ミルドレッド・ベイリーのロッキンチェアーをリクエストして、

「こんなアルバム置いてあるところは他に新宿に一軒あるのみ」とすごく喜んでくれた。

ミルドレッド・ベイリーは、ビリーホリデーの影にかくれて一般的にそれほど知られていない、通好みのボーカリスト。

荒木氏とは対照的に、囁くように訴えかけるようなせつない“ラバーカムバックトゥミー”。

豪放な荒木氏の内面を覗いたような気がして好感が持てた。

西新宿ギャラリーで開催中の写真展を見てみたくなった。

題名は“色情花”。

 

2月29日(日)

先週の続きで街のことを書きます。

一言で言って、何て人々は親切なんだろうと思った。ここアメリカ?

全然知らない人でもすれ違う時、にこっとするし、

バレンタインの日には、ハッピーバレンタインと声をかけてくる老人もいた。

風光明媚、温暖な気候がこんな明るくフレンドリーな人々を生み出しているのか。

アメリカは州によってまるで違う。

英語力のつたなさなんかどこかへふっとんでしまう位、誰とでも仲良くなれた。

ケーブルカー楽しかった !!

バスも庶民の足だからとても乗りやすく便利。

色々な人が乗っていて興味深かった。

とにかく、帰りたくなくなるという気持わかる。

さわやかなウエストコーストジャズの発祥地。

 

2月22日(日)

2月11日から17日まで、サンフランシスコにjazzを聴きに行って来た。

急に決まったことなので、あまり気負いもなく、楽しんでこようと思った。

日本の感覚では、サンフランシスコはjazzは盛んではないと思っている人が多いらしいが

知る人ぞ知る所で本物のjazzにふれることができた。

そこは繁華街の街から電車で5~6つ行った、夜は人気もなくこわいような所。

訪ね訪ねやっと見つけたけれど看板も出ていない。

その日の出演者の名前が小さく書かれているだけ。

倉庫のような建物に一歩入って愕然。

セシル・テーラーやマックス・ローチにインスパイヤーされたという、

同世代のトランペッター、エデイ・ゲール。凄い。

もうめちゃめちゃ圧倒された。無名でもやり続けている実力者を応援していこう。

次週は街のことも書きます。

 

2月8日(日)

ジョン・サーマン(イギリス)の“UPON RIFLECTION”というアルバムを聴く。

フリー系の人かなーと難解さを覚悟していたら、透明なサウンドにひきつけられた。

どこかクラシックにも通じる、どこかで聴いたような、

静かで深い、サーマンミュージックの水源のようなものに触れたよう。

ECMレーベルだからとは思えない。

ノルウェイのカーリン・クローグ(vo)とのコラポレーションが、60年代末から今まで続いて色々なアルバムを出している。

ちなみに二人は公私共々のパートナー。

都合により、来週ひとりごとをお休みさせていただきます。

次の2月22日から、又よろしく。

 

2月1日(日)

先日聞いた話です。

私の知り合いがいつも乗る電車に乗っていた時、近くの座席に座っていた若い男性が大きな声で携帯で話をしていたので、側までいって注意したところ、止めないで続けていたので、もう一度注意したところ大声で言い返してきたそうです。

その人は静かな方なので話し合いをしようとしたのに、つかみあいのけんかになってしまって、車掌が間に入り、警察に連れていかれて調書までとられたそうです。

その人は相手の男に「私はどうしたらいいのですか」と聞いたら、「2万8千円くれ」と言ったそうです。

それで「今2万5千円しかないのでこれで和解しましょう」と言ってお金を渡して別れたそうです。

一体どうなっているのでしょう、こんな国になってしまって。

このぎすぎすした世の中、どうしたらいいのでしょうか !!

 

1月25日(日)

私は本当は手紙を書くのが好きで、胸の思いをいっぱい書くことで、

自分の思っている事が再確認できます。

そして自分の心が相手に伝えられます。

ふだん言葉が足りなくて誤解を招くことが多い私としては、手紙はとても嬉しい存在。

そして日数が何日もかかるのが又いい。

外国に出す時は一週間かかりますと郵便局の人に言われて、

ああ、来週の何日に着くのだなーと楽しみながら待つ。

そして今ごろ着いたんだーと想像しながら返事を待っている時の、ほんわかした気持。

この忙しい世の中でこんなに時間がかかっても、幸せな時を与えてくれる手紙。

私はずっと続けます。

 

1月18日(日)

昨夜の大雪ではきっと積もるだろうなと思って、今朝カーテンを開けてみたら、びっくり。

すばらしい天気、何故か暖かい。とても気分がよくなり、体もよく動く。

今日は、今月のおすすめの一枚も書きたいのだが、中々筆がすすまない。

最近でもないが、巷ではよく、「頑張ってください」という言葉をよく耳にする。

挨拶代わりに使うこともあるけれど、よく見るとこの「頑張る」という言葉、頑なという字を書くので、

とても力が入っていて、遮二無二突き進む感じがして好きになれない。

私はその代りに、「思い切りやってください」ということにしている。

「思い切り」という言葉は思いを切る、色々な思いが頭に浮かぶが、それらをすべてなくして、無の状態でのぞむという風に使っています。

悔いのないように凡てを出してやって下さいという意味も含んでいます。

 

1月11日(日)

今年は寒さが身にしみる。

心を引き締めてこの冬を乗り切らなくてはと思う。

スイングジャーナルを読んでいたら、あるお店のマスターがライブにお客が来ないと嘆いていた。

最初はミュージシャンがお客を呼んでくれたが、だんだん減ってきて、お客が4人という日もあったとか。

出演者は誰であれ、ライブの雰囲気を楽しもうとするお客を、取り込むことが出来ないと言っていた。

私なんか、出演メンバーがよっぽど魅力のある人しか聴きにいかないから。

雰囲気だけを楽しむなんて、それではジャズでなくてもいいのでは?

ジャズに関心をもっている若い人は多いと思うけれど、一歩踏み込んで聴いてみる、

これはと思うものに行きつくまで、とにかく聴いてみる。

そうすることによって、その先にすばらしい歓びが待っていると思うのだけれど。

 

2004年1月4日(日)

新しい年が明けた。

毎年思うことだが、この一年何を目標にして生きていこうかと。

自分のやりたい方向は決まっているのだから、それを掘り下げていくだけのことだけれど。

毎日をしこしことやるべきことをやっていく。

その積み重ねだけれど、今年は大きな目的が待っている。

昨日渋谷で、“モロ・ノ・ブラジル”というブラジルの音楽映画をみた。

この前にも書いたと思うが、ミカ・カウリスマキというフィンランドの映画監督が、すっかりブラジルに魅せられて創りあげたドキュメンタリー映画です。(有名な人は殆ど出てこない)

貧しさ故に暴力や売春に走る子供たちを、何とか歌と踊りで生きる支えにと、涙ぐんでつまってしまった若者、とても印象に残りました。

すばらしい今のブラジル音楽。