1992年6月26日から7月23日まで、あこがれのモントルージャズフェスティバルに行ってきた。
ヨーロッパで一番古く、一番大きなフェスティバルと聞いていたので、一度行ってみたいという何ともいえない気持ちで。
今回は、女友達との2人旅。大冒険だった。
大韓航空の便を予約したが、成田空港で最初からオーバーブッキングというハプニング。頭が真っ白になったが、何とか別便のブリティッシュ・エアラインズに乗せてもらった。
フェスティバルは7月4日から18日までなので、その前にロンドンでちょっとくつろいでいこうという目論見。飛行機の中では2人とも眠れなくて、赤い2階だてのバスで最初の宿であるプレジデントホテルに着いた時はすっかり疲れていて、食事も取らずに眠ってしまった。
それから1週間、ロンドン市内をぶらぶら。ウィンザー城、キューガーデンなどを見てまわった。
いよいよモントルーへの旅立ちの日。わざわざドーヴァー海峡を船で6時間、ベルギーのオステンドに向かう。
ヴィクトリア駅からドーヴァー港へ着くまでの間、ダンサーだというアメリカ人の女の子と同席した。持っていたりんごをひとつあげたら、とても喜んでくれた。あの笑顔が忘れられない。
よどんで荒々しいドーヴァー、7月だというのに船のデッキに立っていられない寒さ。(セーターは夏でも絶対必要)
地元の人から、「パーソナルトリップ? オーワンダフル!」と言われて勇気百倍。
さびれたオステンドの駅は人もまばらで、ドイツ・オランダ・スイス方面と、どの列車に乗ればいいのかよくわからず心細い限り。スイスのパーセル行きの列車にやっと乗り込むと、音もなく発車した。夜行列車はどこもガラガラ、通路で一夜を明かすものと思っていた私たちは、椅子に横になって眠ることができた。国境を越えるたびに、「パスポート!」と大声で言う駅員が入ってきて飛び起きたりした。
夜中のうちにスイスに入り、朝に見る車窓は一変して、絵葉書のような風景。 バーセルで乗り換えてモントルーまで、思い描いていた景色がそのまま眼前にひろがる。アルプスの山々、窓辺に花が咲き乱れている白い小さな家々、もうワンダフルの一言。
ついにモントルーに着いた。これから2週間のジャズフェスティバル、わくわくする!
日本人は私たちを含めて4人しかいない。それも2週間通して日本でチケットを買ったという人は私たちだけ。VIP待遇で会場は出入自由、2階の一番前を私たちの指定席にしてくれた。
クインシー・ジョーンズ、VSOP、ブレッカー・ブラザーズ、ジミー・スミス、ステファン・グラッペリ、トーツ・シールマンス、ミルト・ジャクソン、ゴンサロ・ルバルカバ、etc…。
エリス・マルサリスが盲目であるマーカス・ロバーツの手を引いてステージへ。マーカスの演奏に本物を感じた。
VSOPはウォレス・ルーニーのトランペット、他にはウェイン・ショーター、ハービー・ハンコック、ロン・カーター、トニー・ウィリアムスがメンバーで、なぜかトニーがMCをやっていた。虫が知らせたのか、その後間もなく他界した。
ステファン・グラッペリはあの時で80才を超えていたと思う。ジャンゴ・ラインハルトとやっていた生き証人のような人。椅子に腰掛けてヴァイオリンを弾いていたが、優雅で、美しい。
トーツ・シールマンス、彼のハーモニカの音色も、何とも言えず物悲しい。
期間中、2週間通しでチケットを購入した人の特典で、フェスティバルの主催者の別荘で開かれるパーティーに招待された。別荘は山の中腹にあり、モントルーの街が一望できるロケーション。野外パーティーだったがプールに飛び込む人もいたりして、ミュージシャンも一緒になって楽しんでいた。
夜はフェスティバル一色だったが、昼間はローザンヌ、ジュネーブ、ツェルマット、ユングフラウヨッホなどを見てまわった。(氷河のすごさを目の当たりにした) モントルーの街では地元の典雅な教会のミサに行ったり、レマン湖で泳いだりした。(他には誰も泳いでいない)
モントルーではずっと同じ宿(パンシオン)に滞在した。パンシオンのマダム、メイドのパトリシアの弾くフォルクローレが忘れられない。
7月22日、チューリッヒ空港よりモスクワ経由で帰国。
本当に素晴らしかった旅。もう思い残すことはないだろう。
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