日曜日のひとりごと 2014

 

2014年12月28日(日)

先週のつづき。41年この店で生きてきた

思い出として主だったこと、特に心に残っていることを書いていく。

先ず開店早々、隣の店との音の問題が始まった。

ベニヤ板一枚のような薄い仕切りで、もうがんがん

隣の音が聞こえてくる、お互い様だと話合いに行ったら

逆に怒鳴られてしまった。

区の騒音課にまで来てもらったが、全然駄目だった。

そんな苦しい生活が20年続いたが、ある日、ふと、

「仲良くしていくしかない」と気づき、相手のことを

思えるようになった。

そして代が次々と代わり、5・6代目の今のオーナー、

とても良い関係になった。

やっと平和が来た、私もひとつ気づかせてもらった。

今はお互い仲良く、ほんとうに夢のよう。

今年も終り。来年から新しいひとりごとでいきます。

 

2014年12月21日(日)

今年もあと僅かとなった。考えてみると、

41年もここでお店をやり続けてきたこと、

本当に長くきびしい道のりだったと思う。nenn

総てをかけ、契約どおりに越してきたら、

建物が全部出来ていない、住むところもなく、

近くの旅館に泊ることになり、何週間もいることに。

子供のお弁当に困って、夜の食事から少し

とりわけて持っていった。朝子供を幼稚園に送り、

その足で現場に来て、一日もはやく住めるよう

見張っていた。お店の電気屋と建物の電気屋

が大喧嘩して困り果てた。

住まいの入り口もなく、外階段と建物の狭い隙間を

やっとのこと通りぬけ中に入れる。

大幅に遅れたが、無理やり開店をした。

今思うとよくまあこんな所でと思う。次回へ。

 

2014年12月14日(日)

今月12月5日はわたしの誕生日だった。

一日遅れて6日に或るホテルに出かけた。

毎年来ているのだが来る度にとても落ち着く。

いつもとはぜんぜん違う雰囲気、ゆったりと、

静かに時が流れていく別世界………。

昔はよくお正月休みに家族とホテルに

泊った、日常の忙しさから開放されて、

この短い時間を優雅に過ごしたものだ。

いろいろなことがあった人生に悔いはない。

これからもマイペースで輝やいていこう。

それから来年から15行にこだわらないで、

短くても記憶として残していきたい。

世の中の事そのときの自分を書いていこう。

ずいぶん長い間ひとりごと続けてきた。

どこまで書けるのか最後までいきたいです。

 

2014年12月7日(日)

先週の土曜日お店の41周年パーティを終えた。

ギターソロでいこうと思っていたのに思わぬ、

よっちんの本格的ライブになって大人の、

落ち着いた雰囲気に、この店にぴったり。

とても素敵な一夜になった。うれしかった。

来てくれた皆さんもリクエストしたりして、

いつもいつも来てくださってありがとう。

最近改めて感じることがある、相手の、

お客さんが帰るとき自分のことばかり、

話してしまってとよく言われる普通に、

聴いているのだが相手がだんだんに、

自分の事をしゃべりたくなるそんなものを、

私はごく自然に持っている事に気づいた。

これは最高の持続力と共に大きな大きな

私の宝!!ジャズの探求と共にしっかりと。

 

2014年11月30日(日)

神田”タック”へよっちんのライブを聴きにいった。

何年か前このライブハウスを知ってこじんまりと、

したとても雰囲気のある店だなと思っていた。

今回行きますといってしまったがお店のパーティ、

が近ずいているのでちょっと考えてしまったが、

神田駅から歩いた記憶をたどりながらタックを、

目ざしたが夜はオフィス街は人通リもまばらで、

とてもわかりにくく、全然迷ってしまった。

30分以上もおくれてやっと到着した有様。

落ち着かないままに隣の女性に話しかけられた。

もう10年も毎月1回ライブ聴きにきているという。

この店が気に入っているらしいミュージシャンを、

追いかけるよりこっちの方がよっぽどいい。

月1回のライブを楽しみにしているこの女性、

単調な生活の中にこんなよろこびを味わっている。

 

2014年11月23日(日)

今週はいろいろな事があってとても忙しかった。

水曜日はディスク。ユニオンからの取材だった。

金曜日はよっちんの神田タックへのライブへ。

土曜日はお店の41周年でパーティの準備に。

どれも1つづつ思ったこと書いていこうと思う。

ディスク。ユニオンから来年2月発売されるという、

全国ジャズ喫茶、ジャズバーを洩れなく紹介する、

という雑誌の取材だった。日本列島北から

南まで280軒もあるそうだ。昔のジャズ喫茶、

のように聴かせる店は殆んど無くなっている、

と言うのに未だこんなにジャズの看板を掲げて、

頑張っている店がこんなに残っているという。

うれしい限りだ。ジャズはアメリカが生んだ

最高の芸術だと思う。深く深く心の中に入って、

人生の大事な大事なものをきずかせてくれる。

 

2014年11月16日(日)

最近出版された村上春樹編訳”セロ二アス

・モンクのいた風景"という本をやっと読み終えた。

ロレインゴードン(ヴィレッジヴァンガードのオーナー)

メアリールウウイリアムス(アレンジャー兼ピアニスト)

トマスフィッタリンク(ドイツの高名なジャズ評論家)

スティーブレイシー(ソプラノサックス奏者)

ナットヘントフ(アメリカの有名なジャズ評論家)

ディヴィットカスティン(パノニカの伝記二カの夢から)

ダンモーゲンスターン(ラトガース大学ジャズ研所長)

ベンラトリフ(ファィヴスポットの誕生その経緯)

バリーファレル(雑誌タイムのスタッフライター)

レナードフェザー(アメリカの知名ジャズ評論家)

オリンキープニュース(リバーサイドプロジューウサー)感動!!

ジョージウエインニューポートジャズの創始者

モンクの思い出数知れず天才モンクのすべて!!

 

2014年11月9日(日)

先日ラジオ深夜便で札幌の楠見書店の、

(どんな字を書くのかわからないので当て字)

オーナーが本屋が街から消えていく現状を

細かに話していた。毎月の支払いが出来なく、

なり止められてしまう状態になってしまった

思い切って”楠見書店が無くなる”という、

見出しでネットで訴えた所大勢の人々からの、

支持があって一時はこの窮地をなんとか、

のがれたそうだがこれから先どうしようかと。

本屋のない街には住みたくないという人々、

本には力がある本で人生を変えた人もいる。

街の文化のためにも本屋は必要です。

結論として本屋は営利でやってはいけない。

借金は絶対にいけない家賃のない所を。

全くジャズ事情と同じ、すごく共感しました。

 

2014年11月2日(日)

今年も又暖房器具を押入れから出す時期に。

”パーフェクション”という古い石油ストーブ。

お店で使う前からもう50年以上も使っている。

アンバーな暖かい色がガラスに映えて、

とてもお客さんが喜んでくれるのです。

このガラスの波の形が一層おもしろいと。

しかし芯はもう売っていない、いろいろ、

ネットで探したのだが何とブログのなかに、

パーフェクショんマニアがいて代用芯という、

芯があることを教えてくれた早速ハンズ、

に問い合わせたらとても親切にしらべてくれ、

取り寄せてくれることになった。うれしい。

この古いストーブ今年もなんとか使えそう。

ぼろぼろの暖かいストーブ愛着ひとしお。

すてられない!!お店と共にありがとう!!。

 

2014年10月26日(日)

もう10年以上も前から月に2,3回来店する、

男性がいる。今までは余り気にならなかったが、

最近ジャズのCDを買い始めて来るたびに、

何枚か買ってきたCDをうれしそうにみせる。

ちゃんとした評論のできる人の書いたものから、

選んで買ってきてほしいと思っているのだが。

(その方が早く全体のながれがつかめると思う)。

その数枚のCDの中によっちんのアルバムが。

聞けば全然知らなかったがジャケットがすてきで、

買ってしまったとか、ジャケ買いも楽しいけれど。

よっちんは日本ジャズ界の草分けのシンガー。

今もたんたんと歌いつづけている………。

わたしにはこれしかできないのだからと言って。

この女性ともずっとつきあって行きたいと思う。

若い人にも人気があってほんとうにうれしい。

 

2014年10月19日(日)

41周年パーティのお知らせをやっと書き終えた。

時代が変わっても一枚一枚手書きで、

アドレス名前のつづり書き間違えないようにと、

丁寧に書き終えた、けっこう疲れたが……。

早速30年来の友達からメールが届いた。

その内容うれしくてうれしくて跳びあがってしまった。

スペインのポートレートとても素敵、独りで仕事も、

子育てもやりとげた女の輝きがあふれていましたと。

子供を通じてのお知り合いだったが、今は大事な、

大事な友達の一人になった。たまにしかあわない、

でもほんとうに辛かった時手を差し伸べてくれて、

それがとても控えめでさりげない忘れません。

下北に永年住んでいる地元の人なのでいつも、

合言葉が大映で(スーパー)又会いましょうという。

最後までお付き合いをしていこうと思う女性です。

 

2014年10月12日(日)

どうしてこんな場所でお店始めたのかと昔お客に、

聞かれたことがあった、自分だったら、どんなに

高くても中心街でやると言っていたが。

今はっきりと自信をもって答えられる。

子供を鍵っこにだけはしたくないと思っていた。

とにかく小さくてもいい住まいも付いている所、

幼稚園や学校に近い所をさがしあるいた。

あの頃のこと鮮明に覚えているとにかく、

子供を放さない、どんなところでもいい、

学校から帰ってきたらお帰りといってやれる、

環境を第一に選んだお店の場所が悪くても。

結果はほんとうによかったと今でも思っている。

親思いのやさしい大人に成長してくれた

熱い思いがこみあげてくるこの店に愛着もでて。

最後までやろう、わたしのライフワークです。

 

2014年10月5日(日)

先日NHKの深夜便でベトナムに住んでいる

日本人が出演していたが、前にテレビで紹介

されていた女性だなとすぐにわかった。

深夜便でも前に取り上げたことがあった。

当時81歳の、すでに認知症だった母親を連れ、

猛烈な反対を押し切り、ベトナムのハノイに移住した。

ハノイでの貧しい暮らし、母親は何もわからず、

「ここは雪がふらなくていいね」と言っている。

一人ふらふらと歩いていても、現地の人はとても家族的で

アパートまで送ってくれる。皆よく知っている仲のようだ。

その母親も94歳で亡くなったと言っていた。

母親を連れてこの地に永住しようと決意したときは

どんな気持ちだっただろう。

それが日本で映画化されることになったそうだ。

主演は松坂慶子、監督大森一樹。

 

2014年9月28日(日)

ずっとプール泳ぎ続けている、ゆっくりときれいに、

泳ぎたいと思っているのだが、中々その通りに、

ならない、でもほんの少しでもいいから、うまく、

なってほしいと泳ぎつづけているのだが……。

4種目をらくに泳げるよう、40分間のあいだに、

休まないでつづけてゆっくり泳いでいる……。

先日片手バタフライをやるなんてすごいですね、

と近くで泳いでいた女性に言われてびっくりした。

片手バタフライなんて名前知らなかったから。

これは練習の為両手バタフライが目的なのだが。

バタフライってそんなにむつかしいものではない、

と言われているが、体力が落ちているので……。

私流にゆっくりときれいに楽にできるように…。

お幾つですかとよく聞かれる、幾つに見えますか、

と聞いてからプールでは話すことにしている。

 

2014年9月21日(日)

今週末駒場東大の中にあるカフェに出かけた。

とても気に入っていて、月に何回も出かける。

駒場東大駅迄、よく知っている裏道を歩いていく。

八幡神社の横から登って池の上近くに出て、

菜の花通り(今は咲いていない)を井の頭線に

沿ってとても気持ちのいい道をゆっくりと歩く。

東大の中も欝蒼とした樹木の多さは他の公園と

比べよりすばらしいと思う、お茶を飲みながら、

こんなゆったりとした時間持てる、本当に幸せ。

帰りプールの常連の一人と会う。感じのいい人。

背筋がぴんと伸びている、その人の家の近くで、

小学生が車にひかれてつい最近亡くなったそうだ。

本当にもう、歩道を歩いていても安心出来ない。

自分で身を守るしかない、車は止まってくれない、 

車が来たら脇に行き過ぎるのを待つしかない。

 

2014年9月14日(日)

先日来店したお客さん、スティーブ・グロスマン

のチラシをみて前回来日した時の事話してくれた。

サムデイ(ライブハウス)が未だ大久保にあった頃、

だから何年前になるのだろう、その頃の彼は、

酒におぼれていて来日はしたものの最初の、

3日間はまともにステージで吹けなくて観客を、

がっかりさせたようだ、最後の4日目サムデイの、

森さんが(オーナー)観客の前で演奏前演奏中、

は絶対飲まないと誓わせたそうだ、やっとのこと、

いつものグロスマンの演奏を聴くことができたと。

森さんよっぽどグロスマンに入れ込んでいるよう。

永らくヨーロッパに滞在していてシーンからは、

遠ざかっていたがどんな演奏をしてくれるのか、

容ぼうも大分変わっていて昔の面影うすい。

そのお客さん必ず聴いてくるといっていた楽しみ。

 

2014年9月7日(日)

9月に入った、今月も気を引き締めていこう。

先日来店したお客さんの事書きたくなった。

初めての方、座りながらいいお店ですねと。

ジャズも中々くわしく深く聴いている感じ。

すてきなお店ですねずっと続けてくださいと、

いってくれた、うれしい素直に。うれしいです

とても勇気もらったような気がする、

これからも体の続く限り大変なこと多いけど。

不思議なことにありがとうとても楽しかった、

と言ってくれるお客さんが多いです。幸せです。

それからどうにも名前が思い出せなかった、

16年前のライブ調べないでやっと思い出した。

ジェームス・カーター(s)ジョン・ヒックス(p)、

リチャード・デイビス(b)中村達也(d)なつかしい!

 

2014年8月31日(日)

スペイン人は話しかけてはこないがとても親切。

足元が危ない時など必ず手を貸してくれる。

ここの名物はピンチョス(小さく切ったパンにいか、

たこ、マッシュルーム等串に刺して)ワインと。

B&Bのおばさん(宿)洗濯までしてくれた。

28日から3ヶ間列車で向ったバルセロナ。

バルセロナは大観光地もう地元の人が全然、

見当たらないほど観光客でいっぱいです。

なるほどこれではバルセロナがスペインから、

独立したいといっている様子分かるようです。

ガウディの未だに未完成の教会は人の山、

山の上、ミロ美術館でやっとおちついた。

ゆったりとしたホテル、えびのおいしかった事。

翌日帰路にすぐ近くから空港行きのバスが。

全て観光客の為に動いている街のようでした。

 

2014年8月24日(日)

25日から3日間ジャズフェスは野外でのライブ。

スペイン人は夜晩くまで外で見かけるが、

夜中子供が遊んでいるこれには驚いた。

エンリコ・ラバ、ボビー・マクファーリン、ニコラス・ペイトン、

ジョン・スコ、チック・コリア&スタンリー・クラーク、

デイブ・ホランド、サン・ラ、ディーディー・ブリッジウォーター、

ワダダ・レオスミス、秋吉敏子&ルー・タバキン…

こんなにも沢山聴けた。

ルーの最近の円熟ぶり、ワダダのフリージャズ、

このイベント毎年行われていて地元の人々は、

とても楽しみにしているようだ、山の中腹で

会った犬を連れた女性今年もジョン・スコ来るよ、

とうれしそうに言っていた、ライブで隣に座って

いたドイツのデュッセルドルフから来たという、

父子とてもなつかしい。次回につづく。

 

2014年8月17日(日)

23日正午モンパルナス駅をTGVで出発。

いつの間にかスペイン領に、夜行列車に乗り換え、

やっとサン・セバスチャンへ、宿に到着一日が終わる。

24日からいよいよジャズフェスの始まり、最初は、

天井桟敷の人々を思い出す古い建物の中で、

シカゴ前衛派AACMの創立者ムハール・リチャード・

エイブラムスのソロピアノを聴く事が出来た。

我が思想は我が未来に今そして永遠に……。

60年代から今も少しも変わらないこの姿勢2時間近く、

全てが終わったとき客席に向って手を合わせて、

祈るようにお辞儀をしたその時の笑顔もうこの笑顔、

すべてがここに偉大なアーチストのほんものの姿

これがジャズの未来にかけてきたゆるぎない自信、

これだけでここまで聴きに来たかいがあった。

途中で帰ってしまった観客とても残念でした。

 

2014年8月10日(日)

7月22日ー8月1日スペインのサン・セバスチャン、

ジャズフェスティバルにいってきました。

今回も4回に分けてかいていこうと思う。

22エールフランスで羽田からドゴール空港へ。

お昼ごろカルチェ・ラタンのホテル到着。

学生街と聞いていたが落ち着いた街並み。

大きなスーツケースを引きずっていたら、

親切な紳士が声をかけてくれた、とても、

自然体でさりげない人々が大人だなーと思う。

すぐ近くにあるリュクサンブール公園にいく。

サンジェルマンデブレの立派な本屋、

その隣に見つけたギャラリーどれもこれも、

どっしりとした歴史と文化を感じさせる。

これからジャズフェスに向うところなのに…。

明日はモンパルナス駅からスペイン国境へ。

 

2014年7月20日(日)

このひとりごと書き始めて10年以上経つ。

書く事がなくて困ったこともあったし、

直接名前を出してしまって迷惑かけた、

こともあった、公開されていると思うと、

こんなこと書いてはいけないなと自分の、

心の中をさらけ出せないもどかしさを、

感じる事も多々あるがこのひとりごとは、

私にとっては大事なもの、書きつづけます。

最近知り合の方に会って感じた事です。

社会一般では娘は嫁にやって一段落、

老後は嫁に診てもらうという考え方が、

未だに残っていて仲良く出来ない嫁姑が。

いる、おかしいと思う、この事は又次に。

来週2回のひとりごと今月の一枚お休みします。

 

2014年7月13日(日)

(このひとりごとは7月10日に書いたもの。)

台風8号がゆっくりと日本列島に近づいている。

今まではどんなに大荒れな台風がきても、

決めた日にはびしょびしょになっても出かけた。

こんな悪天候な日はかえって人が少なくて、

泳ぎいいなんて軽く考えて出かけていた。

風邪をひいてごほんごほん咳しながら、

たいしたことない位に考えて泳いでいた。

しかし今は全然違う、明日は大雨の予報に、

どうしようか迷ってしまった。午前中はまだ、

大丈夫とのことその間に出かけることに。

大型台風の到来嵐のまえの静けさ不気味。

世界中で異常気象が起こっている、人間が、

自然を破壊して地球を壊しているのだろうか。

 

 

2014年7月6日(日)

探し物をと久しぶりにレコード棚に向った。

しかし手の届かない上の段は脚立が必要、

一枚一枚確認しながら探すしかない。

体力が無くなってきているので脚立の上は、

ちょっと怖い、おそるおそる上ってみたが、

レコードも重なるととても重くてひっくり返りそう。

疲れてしまった。もうこの作業一人では出来ない。

でも探し物は見つからなかったが意外なものが、

アンソニー・ブラクストンのアルバム2枚見つけた。

すごい収穫うれしい!疲れが吹っ飛んだ。

彼はシカゴ派の前衛ジャズの一人、リチャード・

エイブラムスの門下生でバリバリのフリージャズ。

一枚は私の好きなステープルチェイスのアルバム、

テテ・モントリュウなど相手にすんなり入って、

中々いいですねえ、生で聴きたくなりました。

 

2014年6月29日(日)

久しぶりにMちゃんのことを書こう。

もう30年以上も来店してくれている。

Mちゃんの20歳の頃の事よく覚えている。

親元を離れてお店の近くに住んでいた。

どこか専門学校に通っていたようだが、

とても印象に残っているのは先輩に、

付いて来いと言われてはいと言って、

知らない店に連れていかれたこと。

ちょっと弱弱しいけど従順なんだよね。

それから結婚、離婚いろいろあった。

でもあのナイーブな性格はちっとも、

変わっていない繊細過ぎる、だから。

病気になってしまった立ち上がって、

ほしい、Mちゃんの生き方してほしい。

あなたは孤独ではない、そのままで…。

 

2014年6月22日(日)

先日40年も昔の知人が突然現われた。

初めてのお客さんだと思い込んで、何を

おかけしましょうかと聞いたりして全く、

判らなかったが名前を言われてびっくり。

しばらくぽかんと見つめてしまった。

全く変わった、人は40年も経つと判らなく

なってしまうほど変わってしまうものか。

どんなに頑張っても人はそれなりに年を、

取るがどんなふうに年を取るかはその人の、

生き方で決まると思う。

私はお幾つですかと聞かれたときは、

ご想像にお任せしますということにしている。

何故かというと日本人は年齢で人を見る

傾向があるように思う、さまざまな、

生き方をしてきているのだから年齢で、

人を判断するのはすごくおかしいと思う

 

 

 

2014年6月15日(日)

ずっと前から一度行こうと思っていた銭湯に行った。

知り合いかだとら近くに温泉の銭湯があると聞いて

いたのだがなかなか足が向かなかった。

歩いていける範囲なので夕方思い切って出かけた。

たしかに煙突はなかったが普通の銭湯に見える。

中に入ったら昔ながらの懐かしい番台があった。

親しみやすそうなおじさんが座っていた。

とてもこじんまりとして、清潔な感じ。

湧き出るお湯が何を含んでいるのか、黒っぽい。

でも久しぶりに肩までつかって、

ゆったりと心のなかまで洗われるよう。

昔は銭湯が近くにあった常連もいて、

出会うと楽しい世間話が出来たものだ。

すっかり少なくなってしまった銭湯、残していってほしい!!

 

 

2014年6月8日(日)

近くの煙草屋が長年やっていたお店を閉じた。

一人でやっていたおばさんの顔が目に浮かぶ。

いつも笑顔でお店の煙草ケースの前に座っていた。

だんだん年と共に歩き方がおかしくなってきて、

道端にしゃがみこんで何かを捜している。

食欲はあるようでお寿司の包みををみせて、

梅が丘までバスに乗って買ってきたのだと、

うれしそうに笑っていた、もう食事も作れなくて、

近くの中華屋に夕方5時になると決まっていく。

私は子供がいないのでと口癖のように話した。

ずっと続けてきた商売辞めるわけにはいかないと、

言っていたが辞めてしまった。後はわからない。

どうしているだろう、最後は誰かのお世話になる、

人間一人では生きてはいけないのだから。

何処ででも誰とでも仲良く先ずここからスタート。

 

 

2014年6月1日(日)

5月24日恒例の一品持寄りパーティ無事終えた。

今年も大勢来てくれ(17名)大賑わいだった。

皆が持ってきてくれた一品自家製もあり中々のもの。

このパーティは最初周年パーティの反省会みたいで、

2,3人が集まっていろいろ話し合っていた。

年々参加者が増えて今回は満杯(椅子が足りない)

とてもうれしい、しかしいろんな人達がいる。

みんな楽しくなかよくひとときを過ごすのには、

言うべきことははっきり言わなくてはと思う。

お店を気に入ってきてくれているファンもいる。

年2回の集まりには必ず来るといってくれている人。

30年以上も前からずっと来てくれている人も。

只騒ぐパーティではなく心に残るようなパーティに。

酒癖の悪い人もフェアでない人も皆仲良くしていく。

事柄を話してその人の人格は切らない生きかた…。

 

 

2014年5月25日(日)

5月21日よっちんのライブに出かけた。

新宿にあるライブハウスはがらんとしていて、

広いスペースはお客はちらほら、この前の、

アケタの店とは大違い、こんなにベテランが、

揃って質の高い音楽を聴かせてくれるのに、

世の中ってまるで上辺だけで中身を見。ていない

誰かがその流れをつくってしまうと右へ習えで、

皆ついていく、日本人は特にその傾向が強い。

音楽だけでなく全てがそんな状態のように思う。

よっちんはどんなにお客が少なくても自分の、

考えを変えないで歌い続けていくだろう。

こんな友達をもって私はとても誇りに思う。

VIOLET FOR MY FAR  よかった…!

やっと歌の深み理解出来たように思う。

この一曲聴いただけでも大収穫だった。

 

 

2014年5月18日(日)

5月14日西荻窪のアケタの店に山下洋輔トリオ、

を聴きに行った(ピットインと2度目)。

アケタの店は何十年ぶりだろう、汚さとせまさは

日本一と言われているが相変わらず、それに加えて、

受付のもたもたぶりにはびっくり、店の前には人が、

あふれて、予約しておいたのに名前もおぼつかない。

しかしお客はとても協力的、みんなでつめあって、

階段までぎっしり。何といっても林栄一(as)20年位前、

吉祥寺の曼陀羅で聴いたことがある。、その頃は

ばりばりのフリー奏者だったがすっかり年輪を重ねて、

別人かと思った。でも最後のバラード凄みさえ感じた。

よかった!!胸がいっぱいに!!

山下洋輔ちょっとメジャーになってしまったよう

小山彰太メールスジャズフェスの頃を聴きたい。

 

 

2014年5月11日(日)

"傷だらけの天使”という日本映画を観た。

相棒で人気の出た水谷豊の若い頃を観たいと、

思っていたのだけれど萩原健一(しょうけん)と

共演していたなと何となく思い出した。

チンピラ同士の子分役でちょこちょこしていた。

しかしとんでもない間違いをしてしまった。

どうも違う、しょうけんってこんな顔してたっけ、

若い頃だからだいぶ違うかなとずっと観ていた。

水谷豊の顔も長いし背も低い。似ている、など

思いつつ最後にでてきたキャストを見てびっくり。

豊川悦治、真樹蔵人、原田知世、と3人でて、

最後に協力出演として菅原文太、三浦友和、

宇崎竜堂とでているではないか。おかしい。

そして坂本順冶という監督全然知らなかった。

 

 

2014年5月4日(日)

房総半島の最先端白浜海岸に出かけた。

昔からの友達の御主人(建築家)が

実家の古い家を壊してしぶいアトリエを

作った。今までの集大成だそうで沢山の

絵画や建造物、小さな木彫りの動物まで

一杯に飾られていた。

東京駅からなのはな号に乗って2時間、

何もないところだと云うけれど海のすぐ近く、

晴れた日には大島まで見えるという。

御夫婦ふたりでこんなところで生活していく、

こんな晩年もいいだろうなと思った、

私とはぜんぜん違うが…。

年月は過ぎたが昔と少しも変わらない彼女、

会えてとてもうれしかった、この小さな旅、

日帰りはきつかったが何故か心に残った。

 

2014年4月27日(日)

先週夜10時ごろぴぽーんぴぽーんと鳴った。

2人づれ、ソフト帽をかぶった60代の紳士と

女性は30代に見える、感じがいい。

ところが、大変なことが起こってしまった。

音が出ない、動いているのにちらっとも出ない。

さっきまで出ていたのにレコードも出ない。

もう頭の中が真っ白に、アンプCDのつまみ、

やたら動かしてしまう。だめだ、どうしよう。

音のないお店のふんいき、まるでだめだ。

平謝りに謝って話題を昔のジャズ喫茶の、

話に持っていく、男性はとてもくわしい。

ディグの中平さんの(写真家)の事話して、

話がはずんだ、よかった、帰るときチップまで。

後日差込のコンセントがゆるんでいたのを、

発見、身の縮まる思いだった。

 

2014年4月20日(日)

先週の日曜夜遅くT子さんが現れた。

近くに住んでいるのに中々会えなかった。

何故なら仲違いしたみたいになってしまって

いたから。だからとてもうれしかった。

今回改めてこの人を見つめ直した。頭では

判っていないけど、体で判っているなと感じた。

ぽんぽんものを云うけれど裏がない。

こういう人ほんとうに友達になれる。

贅沢三昧な生活から、贅沢できない

主婦になってしまったけれど、昔を

うらやましがったり今をぐちったりしてない、

どんな生活でもきっとしていける。

がらがらしたこの人とても好きになった。

しかし、私はどんな人とでも仲良くしていく。

 

2014年4月13日(日)

4月に入ったのに天候は定まらず寒かったり暑かったり…。

昔の友達から誘われていた房総への小旅行、

ふと、出かけてみようと思い立った。

何しろうららかな春の日差し、満開の桜と

どこまでも続く菜の花畑…。こんなこと考えていて、

御主人の個展を見に行く目的忘れてしまっていた。

御主人は建築家、集大成の個展だそうだ。

一軒の家をぶち抜いてギャラリーにしてしまったとか。

御主人のために一生懸命尽くしている彼女いじらしい。

さてバスで二時間あまり、最寄のバス停で降りて10分、

何もない所だそうなのでお弁当、お茶、お菓子も持って

なんだか遠足みたいで楽しくなってきた。

友達はずいぶん気を使っているが、私はそんなことできない。

仲良く、素のままの自分で…。

 

2014年4月6日(日)

3月の最後の日曜日ピットインにライヴを聴きに行った。

“2014年春梅津和時プチ大仕事”という

大げさな題名で梅津和時(S)、山下洋輔(P)、

林英哲(太鼓)の三人、まさに大河の如くだった。

久しぶりのピットイン、やはり本格的に聴くには

ここが一番。整理番号もついていて昔のような

混雑は見られない。ドリンクは紙コップだったが。

山下洋輔を聴きたいと思って行ったのだが、サックスと

太鼓に押されてちょっと印象薄かった。残念。

72歳という年齢で未だどのくらいやれるのか。

40年も前から洋輔、洋輔と騒いでいた友達思い出した。

メールス・ジャズフェスに坂田明、小山彰太のトリオで

出演した頃聴きたかった。あの頃はすごい!!

一直線に走り続けていたと思う。時代と共に。

今はDANCING古事記聴いている、胸がふるえます。

 

2014年3月30日(日)

もう7年余りも通いつづけた東京医大眼科とも

今年の三月で終わりを告げた。

思えば下北の眼科に通っていたのだが

思わしくなく東京医大を紹介してもらった。

眼底出血(もっと難しい名称だった)のため

すぐに手術、しかしなんてスムーズな段取り、

あらあらという間に手術室に運ばれ、何の

恐怖もなく先生の声が聞こえる程度の麻酔で

無事に終わった。正直言ってこんなさわやかな

手術なら又してもいい、そんな気持ちになった。

その後定期健診も含めて通いつづけた。

新宿駅から歩く歩道をとおって通いつづけた。

もう安心ですと、下北の眼科に戻されたけど、

又何かあったらここで手術をしたいと思う。

下北の眼科も廃業した。今は安心の時期だと思う。

 

2014年3月23日(日)

或る雑誌にデフレ社会のどこが悪い?という

文が載っていた。日本は物があふれかえっている、

必然的に物の価値は下がって欲しいものが安く

手に入る、少ない収入でもそれなりに暮らしていける。

せっかくいい社会が実現したのに、これのどこが

悪いのか、デフレの何が悪いのかと…。

そしてプアだけど充実している生活というのを

推奨してこれからの時代だと言っている。

高収入を得ようとすると必ず犠牲になるものがある。

ローンで買い物をして返済に苦労し家庭内の

人間関係もおかしくなる。そんなに働かなくても

組織に拘束されなくても豊かに暮らしていかれると。

本当にそうだと思った、本当の豊かさとは、

何が本当の幸せなのか、私は考えています。

 

2014年3月16日(日)

今週日曜日は上野に近い入谷に出かけた。

東京に住んでいて未だ未だ知らない所が多い。

Nさん(女性)の個展を見に出かけたのだが

この人の作品はもう4・5回見に行っている。

いつも姿勢は変わらない、大きな視野に立って

誰もが思いつかない発想で大作を創り出している。

50歳で初めて賞をとり、パリにまで進出して

サンジェルマン・デプレで展覧会を開いた。

生き生きとして「私は来年60歳になります、

60をテーマにした作品を考えています」と

はっきりとした姿勢でやりつづけてきたものが

表に現れてきた、これからもずっと

創り続けていくだろう、なにしろ作品を

つくるために静かな環境と広いスペースを

求め箱根に越してしまったくらいだから。

 

2014年3月9日(日)

机の引き出しを整理していたら古い写真が

出てきた。破れてぼろぼろだが私の顔と

生まれて生後4ヶ月の彼女ははっきり写っている。

かわいい !! 笑っている。私もびっくりするほど元気そう。

もうひと昔もふた昔も前のこと、胸がいっぱい…。

苦労してここまできたが少しの後悔もない。

子供を離さないで育ててきたこと、

本当によかったと思っている。

必死で生きてきたこと、彼女はしっかり

うしろから見てくれていた。

それからいろいろあったが、みんな忘れた。

今がこんなに幸せなんだから。

過去は断ち切って、これからも…。

前に向かってジャズと一緒に生きていこう。

 

2014年3月2日(日)

2月もあっという間に過ぎた。

昨晩来店したお客さん40周年パーティに、

こられなかったから申し訳ないと云って、

本人が始めて出した写真集を持って来た。

現在はニューギニアの未開の土地で、

現地の人々をとりまくっているらしい。

30代、数年まえに彼が新人賞をとった時、

新宿の駅近くの個展にいった時からの、

知り合いなのだが、これからが楽しみです。

アラーキーのこと思い出した、今も手元に、

ある下北の写真集、いいなーと改めて思う。

下北が未だこんなにひどくならなかった頃、

未だ個性的な店がたくさんあったあれから、

10年文化のかけらもなくなった下北の街、

アラーキーのアルバム大事にとっておこう。

 

2014年2月23日(日)

去年s病院でMRIの検査をした。

半年たったのでその後どうなっているのか、

もう一度検査をしてもらうことにした。

今週の初めに出かけて、その1週間後、

結果を知ることが出来た。心配していた、

血液のかたまりは萎んでなくなっていた。

よかった!もう大丈夫!念のため、

もう少し血圧を下げる薬を飲むにした。

健康診断の結果はちょっと貧血だったが、

大したことはない上、今は健康第一、

ジャズは私の心の中に深く入り込み、

もう私の人生とは切り離せなくなった。

あとどれだけ深めていけるだろう !!

 

2014年2月16日(日)

今週は又又大雪もううんざり。

でも週末予定していたお茶に行くことに。

十数年通っているあの店やっぱりいこう。

べたべた雪の歩きにくい道を転ばないよう、

ゆっくりゆっくり、一番好きな席を予約して、

おいたのに30分も遅れてやっと着いた。

入った時の皆のよろこんでくれる顔、

うれしい!特に私のことを笑顔が素敵、

といってくれた彼女いつも白い帽子に、

白い服清楚な感じ、店のオーナーかも。

(あえて名前も聞かない勿論年齢も)。

彼女に会うのがたのしみ、アール・グレイを、

ていねいに入れてくれる、おいしい!、

こんな時間持てて最高にしあわせです。

 

2014年2月8日(土)

今日は大雪です、さんさんと降るすごいです。

予定していた事すべてお流れになってしまって、

何もしないでぼんやり降りしきる雪を眺める。

一日早くひとりごと書くことにした。

明日は都知事選、どちらにしようかと迷ったが、

最後は人柄で決めようと思った。

一番の関心はやはり脱原発、原発がなくても、

やっていける、現に今原発稼動してないのに、

やれているではないか、どうしてそれなのに、

どうして再稼動させようとしているのか。

誰かがいつか云っていた、これからの日本は、

小さな国になっていくだろうと、小さな国に、

なっても一人一人が心から幸せを感じられる、

本当の豊かさを、そんな国になったほしい。!!

 

 

2014年2月2日(日)

2月に入った、月日の経つには怖ろしくはやい。

今回も何を書こうかと迷ってしまった。

aさんのブログを捜して読んでみたら、

つらつらとごく自然に書きたいこと書いている。

ちょっとこんなことまでと思うこともあるが、

元或る雑誌の編集長をしていただけに、

書こうとおもえばいくらでも書けるといっていた。

メールのやりとりは出来ないらしいが、

原稿は息子がブログに乗せてくれるそうだ。

私は日記のように後日に残していくつもり。

月曜日新宿へヒーターを買いに行ったとか、

帰り下北でお茶をとか毎日の積み重ねです。

 

2014年1月26日(日)

今週は何を書こうかと迷っていたら、

昨日買い物にいく途中Aさんにばったり会った。

彼の事は前に書いたかもしれない。

何十年も住んでいた家を借金の為にすべて、

失ってしまうということはとても辛いことでは、

ないかと思うが引越し荷物の中から大事な、

本が見つかってすごくうれしかったとブログに

けろりとして書かれていたのにはびっくり。

私とは全く生き方が違う、ブログ代払えない、

それでも自分のやりたいことをして借金、

まみれになったのだから悔いはないだろう。

お金の苦労してない人、でも親近感持つ人だ。

 

 

2014年1月19日(日)

”耕せど耕せど”久我山農場物語という、

(伊藤礼80歳)エッセイ集を読んだ。

ラジオ深夜便の読書コーナーで、

すごく推薦していたので心に残っていた。

家人が図書館で見つけてきたので、

軽く手にとって読んでみようと思った。

おもしろい!!なんておもしろいのだ!!

理屈ぬきで何度も声出して笑ってしまった。

極上のユーモア、ウイット、人間味あふれる、

家庭農園の作物達への細かく暖かい描写、

こんな心境にいつ頃からなっていったのか、

察するに若い頃はもっと激しかっただろう。

年輪を経て病魔ともなかよく今の生活を、

たんたんと楽しんでいるようにみえる。

こんな生き方万歳(作家伊藤整の次男)

日曜日のひとりごと 2014

 

2014年1月12日(日)

毎年年賀状は出しているが、

一年に一度位しか会っていなかった、

妹から40周年お知らせの返事があった。

とても喜んでくれてあなたは自分の人生、

歩いている自分もしっかり見習って生きて、

行きますと現金まで添えて送ってきた。

家族思いの妹、東京で一緒に暮らした、

10年いろいろほんとうにお世話になった。

うれしい、なつかしい思い出ばかり‥‥。

ありがとう‥‥、心からありがとう!!

 

 

2014年1月5日(日)

今年もいつものように歩いた。

1月1日砧ファミリーパーク、

2日梅ヶ丘公園、

3日代々木公園、

4日駒場公園、

もう30年以上歩いている。

さすがに最近はきつくなってきた。

しかし歩けるって本当にうれしい。

北風の冷たいなかを気持ちよく歩いた。

自分のペースで生きていけるって、

とってもしあわせ、ストレスがない、

改めて持たない生き方していきます。