日曜日のひとりごと 2010

 

12月26日(日)

今回のひとり言で今年も終わります。

毎回何を書こうかと考えつづけて書いてきた。

よくもここまで1回も休まず7年もの間。

これは週日記記録として残しておきたいが、

先日のパーティの夜、このひとり言を、

本にしようといってくれた人がいた。

話しが盛り上がったが私はそんな気になれない。

これからいろんな事体験したい、これから。

先の事考えるととてもわくわくしてくる。

これから先一生この気持ちで生きていきたい。

この気持ち大切にずっと持ち続けたい。

思い切りとは思いをふっきって前に進む事。

毎日の積み重ね、毎日を大切に精一杯。

だからまだ本を出す気にはなれません。

わくわくっていい言葉ですねぇ。2011年

 

12月19日(日)

先日はちょっとびっくりする事を聞かされた。

毎週書いているひとり言の一枚がコピーされて、

(或るお店に行った事を書いたのだが‥)。

誰かがそのお店のオーナーに届けたようだ。

そのお店の常連が伝えてくれたので分かった。

ホームページで公開している以上仕方ないが、

このコーナーなんて読む人いるのかと思った。

それも全然知らない人が全然知らない所で。

ネックは場所と店名をはっきり書いたから。

Posyだって下北沢Posyで簡単に検索できる。

それにしてもコピーまでしてお店に知らせるとは。

やっぱり場所と個人名は書かないほうがいい。

あまり不快になるような事書かなかったと思う。

勉強になりましたと最後に書いてよかった。

ネットの怖さまざまざと知った。気をつけよう。

 

12月12日(日)

年末にはいって世の中あわただしくなってきた。

こんな世の中で今一番大切な贅沢な時間、

簡素だけれど精神的にとても豊かな日々

本当に私はこわい位、毎日を大事にしていきたい。

世間体や今迄のしきたりに縛られない生き方。

初詣もなくお年始もなくひたすら都内を歩く。

只年賀状だけは一年一度の心の贈り物だと、

最近つくづく考える、一人一人思い浮かべながら、

一筆で気持ち伝える、お元気ですかの一言。

昔は挨拶代わりに使っていたが今は違う。

本当にお元気だろうかと訊いている、遠くの人に。

何度も書いたが私は手書きが好きなんです。

それも長々と書き連ねるのではなく短く簡潔に。

1,2行にしてふさわしい言葉捜す、思いこめて。

日本語ってすばらしい、微妙なニュアンスが。

 

12月5日(日)

今年も37周年のパーティを無事に終える事ができた。

必ず来て下さる方がいる限りつづけようと思う。

もうじき子供が生まれるというEちゃんも来てくれた。

皆に支えられているんだなあとつくづく思いかえす。

ジャズを知っている人も知らない人もどなたでも、

気楽に来られる入りやすい空間にしていきたいと思う。

私は人前で話しをするのは余り好きではないのだが、

心の中ではジャズへの思いでいっぱいなんです。

ロリンズの”サキコロ”の出だしなどぐーんときます。

ロリンズ、Ts,トミ・フラP,ワトキンスb,ローチds,

軽く4人が集まってちょっとした走り書きの譜面で、

さあやろうぜと始まった、メンバーいいですねえ。

そんなのが永遠の名盤になるなんてすごいです。

マックス・ローチなどその2週間後に相棒を事故で、

喪うなんて夢にも考えていなかっただろう。

 

11月28日(日)

ヨーロッパジャズ黄金時代という本又読み返してみた。

とても興味があってもっともっと知りたかった。

この本を読んでうんそうだと共感した所抜粋してみた。

ジャズは曲で聴かせる音楽ではない。(曲で決める人多い)

ミュージシャンのソロのクオリティが命だということ。

そこに目が向かずして、ジャズの本当の良さを知るのは、

不可能だろうと。(曲を聞き比べしている人多い)

曲で聴くのはポップスの聴き方でありそうゆう聴き方を、

している限りは永遠にジャズは判らないだろうと。

曲やアレンジ、リズム等にごまかされないで、

ソロのクオリティに全神経を集中すれば、コルトレーンと、

ファラオ・サンダースのレベルの差に気づく筈と。

確か二人の差は愕然とした差があると思う。

しかしジョンサーマンはすごいがジャン二バッソは格下とは。

まだまだヨーロッパジャズこれから深く聴いていこう。

 

11月21日(日)

3週間位前になるだろうか。

いつも歩いている歩行者優先の道を歩き出した時、

左折してきた自家用車と接触してしまった。

あっという間の出来事、左手を大きく伸ばして、

車をとめようとして右肩がずーんと車の後部に。

気持ちが動転してしまって誰が運転していたのか、

後ろの席にどんな人がいたのかもわからないで、

ドア開いたのを無視して歩き出してしまった。

お客様と呼ぶ声が背後に聞こえてきたが、

あれは何だろうと振り返りもせず逃げるように。

今考えるととっさの場合何も出来ないなと思った。

1週間位は何ともなかったが、その後右腕が、

少しづつ痛くなってきた。ひどくなってきたら‥。

ちょっと触れただけと思いたい、打撲症‥‥‥。

元々車は走る兇器と思っていたが益々怖くなった。

 

11月14日(日)

パーフェクションというストーブ芯がもう売っていない。

このストーブ家庭で使っていた頃を合わせると、

50年近くなる。よくぞここまでと愛着もひとしお。

タンクは小さく灯油の使用量も多く臭いもするが、

簡単な仕組みなので部品が無くなるということもなく、

いろいろ手間はかかるのだがこの店にぴったり。

アンバー色の暖かな炎、ガラスに映える波の模様。

とてもいい感じ、インテリアの1つとしておいて置きたい。

世の中どんどん変っても喜んでくれる人がいる限り。

灯油の店ではもう扱っていないので仕方なく今回は

ネットで検索したら何とすごいストーブフリークが‥

代用芯という同じサイズのものがハンズにあるとか、

芯の交換も図入りでていねいに説明されている。

安全装置の事やいろいろあるが充分気をつけて、

このアンチックなストーブ大事にずっと使っていきたい。

 

11月7日(日)

最近プールで感じたこと、以前のように楽しくない。

今回2回目のワンポイントレッスンを受けている。

30分という短い時間の中で4泳法の基本だけを、

しっかり見てもらって、今直ぐできなくても、あとは、

自分のペースで少しづつ出来るようにと思っていた。

しかし今まで長いこと自分流の泳ぎをしてきたので、

いろいろ言われてもすぐには中々うまく出来ない。

それに体力も徐々に無くなって力が入っていない。

全然力入れないで泳いでいるとよく言われるのです。

今回はとてもつまらなくて行きたくないなと思うけど、

決めた事。今年いっぱい続けてやって行くことに。

来年からはもっとのびのびとゆったりときれいに‥‥。

楽しくをモットーに好きに泳ごう、平泳ぎは特に。

グループの人達とは誰とでも仲良く初心に帰って‥。

何があっても今年いっぱい、来年からは一人で泳ごう

 

10月31日(日)

ゴミからアートへ”えびすビエンナーレ展に行った。

パーティの常連Yさんが出品したこともあって。

今回のテーマはインテリア、いろいろな職業の方が、

いらなくなったダンボールや薬の廃品等を使って。

展示即売、途上国への寄付、優勝者(パリ旅行)。

とてもさわやかな秋晴れの一日だったので、

えびす駅から駒沢通りを歩いた。閑静な住宅街へ。

個人の家なのだがYさんの設計に拠るもので、

とても凝っていて落ちついた雰囲気、地下も解放。

来場者の投票によってグランプリが決まる由。

Yさんの作品もほんとうに細かい作業の仕上がり。

アイデアが勝負なので捨てられるゴミの中から、

ヒラメキを感じて創るとても贅沢なそして簡素なもの。

誰が優勝なんてことではなく凡ての作品に乾杯。

帰り、近くの店でお茶、雑談も愉しかったです。

 

10月24日(日)

先週の金曜日は忙しく体きつかった。

知り合いの写真展に新宿のコニカミノルタプラザへ。

ぎらぎらした”インド”を撮るのではなく田舎の、

日常的な風景をそこで生活している人々を、

たんたんと暖かい視点で撮っている、好感度大。

そのあと私の好きなよっちん(後藤芳子vo)のライブに。

”サムデイ”というライブハウス、御苑の近くまで歩く。

佐藤允彦、(p)桜井郁雄(b,)中牟礼貞則(g)という

完璧なバックに支えられて、よっちんは何時ものとうり、

何の気負いもなく、歌詞をかみしめるように、さらりと、

でも聴くごとに深みを増していくような気がする。

大好きな”コートにすみれを”"ハウインセンシティブ”、

いつのまにか、よっちんの世界に入っていくよう。

いつまでも恋多き彼女、40年以上もの友達。

すてきとしかいいようがない。おおいに見習おう。

 

10月17日(日)

先日胃カメラによる胃の検査のため、

中目黒にある東京共済病院に出かけた。

胃の調子がいつも悪かったので思いきって、

検査する事にしたが正直不安な気持ちだった。

予定より1時間も早く家を出てゆっくりと渋谷へ。

時間が早いせいか東横線も空いていて、

駅からバスに乗らずに10分目黒川に沿って歩く。

8時半から院内が動き出す、流れがとてもスムース。

看護士による体調のチェック血圧を計って治療室へ。

9時きっかり検査始まる、一寸緊張気味、口内麻酔。

カメラが入っていく時違和感はあるが痛くはない。

15分位で終わりそのあと医師によるフィルムの説明。

結果は慢性胃炎といわれ、ほっと安心した。

よかったほんとうによかった。胃の内部見せられて、

体もっと大事にしていこうと思った、健康が第一、

 

10月10日(日)

毎週土曜日の午前中下北沢の北口にある、

”パレット”という店に通い始めて12年になる。

紅茶を専門としたケーキやサンドイッチもある、

どちらかと言えば大人の女性向きの店。

明るい広々とした中いつも2時間位過ごしている。

そこにアルバイトをしていた青学の学生さんと、

親しくなってPosyのホームページの事話したら、

その後家族3人でお店まで来てくれた、感激!。

彼女は9歳までロスで暮らしていた帰国子女。

ふんわりとして清楚芯の強そうなお嬢さんて感じ。

私のことオーラがあるなんていってくれたりして。

就職も決まってこれからが楽しみな人です。

お祝いのカード贈った。カード送るって楽しい。

短いお祝いの言葉など考えに考えて一言書く。

凝縮されたカードの一言その気持ちが大好きです。

 

10月3日(日)

映画溝口健二監督の”近松物語”を観た。

本当は溝口の”西鶴一代女”を捜しているのだが、

中々見つからないのでこれにしたのだが、

モノクロの画面が映し出されるとぐっと体が前に。

うあー封建的な徒弟制度のきびしかった時代、

細かく丁寧に描かれている、ぐっとひかれた。

作品の風格、気品が漂って、TVの時代劇とは格が。

ひょんなことからお内儀と番頭が不義密通の、

汚名を着せられて磔(はりつけ)になるまでを、

じっくりと細やかに、本当に愛し合った二人の姿。

とてもさわやかな幸せな最後を迎えるのだが。

こんなことほんとうにあったのかと思えるほど美しい。

ちょっと色っぽくなってしまった長谷川一夫と、

最高に輝いていた頃の香川京子そして脇役がいい。

菅井一郎進藤英太郎浪花千恵子等絶品です。

 

9月26日(日)

先週の日曜日神田神保町のアディロンダックカフェに行った。

教えてくれた人がとても丁寧に地図を書いてくれたので。

迷わず見つけることが出来た(横丁をちょっと間違えたが)

ビルの4階小さなエレベーターを出てお店のドアを開ける。

開店して1年半と聞くが真新しくて奥まったとてもいい感じ。

カウンターにお客が1人本を読んでいる、テーブル席に座る。

壁に大きなマンハッタンの写真クラブジャズスタンダードの近く。

マスターはニューヨークに長く住んでいたそう、コックをしながら、

レコードを収集帰国後レコード店を20年以上も続けていた由。

とても積極的な人私の事をきれいだねかわいいねの連発。

アメリカ人の物怖じしない明るい話し方ととてもよく似ている。

ジュークジョーダンのリクエストしたら粋だねえと言った。

ライブも始めたと言うこれからどんなお店に,なっていくのかな。

親しくなれば別だが初対面では自分の事言わない事にしている。

きっと何者だと思ったかもしれないけれど勉強になりました。

 

9月19日(日)

3年前に眼底出血による手術をしてから

毎年数回東京医科大学病院に定期健診に通っている。

新宿西口から都庁方向に向かって20分くらい歩いていく。

いつもの2時間待ちの病院からやっと解放されて、

未だ猛暑が続く中、京王プラザホテル前まで来たとき、

遠くからオーケストラの音が聞こえてくる。近づいてみると、

何とこれからベニー・ゴルソンの“アイ・リメンバー・クリフォード”

やりますと言っている。すっかり嬉しくなって聴くことにした。

お昼時のせいか近くにお勤めの人々が集まってきている。

司会の人がクリフォード・ブラウンの短い生涯をくわしく語っている。

このトランペッターは1956年6月26日、豪雨の中、

リッチー・パウエル運転の車が激突して即死したと。彼の死は

その日NYのミュージシャン達が仕事が出来なかったほどだという。

うーん、皆に愛されていたんだなー、こんな場所で聴けるなんて‥。

名前もわからないが、トランペッターのソロ

 

9月12日(日)

先週の日曜日びっくりするような来客があった。

その人は私の顔を見て懐かしそうに笑った。

最初は全然判らなくて誰だろうと思っていたが、

ほら、逗子の海岸に車で行っただろうと云われて、

(その頃は子供が小さかったので日曜が定休日)

あっと思った。顔からは全然思い出せなかったが、

逗子の海岸に連れて行ってもらった事覚えている。

30数年前によく来店していたあの人だった。

成田闘争の最後の生き残りだと言っていた。

口数少なく挫折感ただよう暗い感じだった。

すっかり変っている今は60歳近くなると思うが、

やくざっぽい派手なTシャツを着て女を侍らせて。

なんと世俗的になってしまったことだろう。がっかり。

男も女もすてきに年を重ねるってほんとに難しい。

私は自分の生き方貫いている人が好きなんです。

 

9月5日(日

ご近所で長年営業していた魚屋さんが閉店した。

親子3代も続けていた地元の魚屋さんだった。

現在の息子が病に侵されて働けなくなったようだ。

とてもはきはきとした感じのいい青年の頃が。

この辺りはちょっと入ると住宅地なので御用訊きです。

この間、道の途中で休憩している親子に会った。

息子はいい体格をしていたが今は痩せて骨ばって、

杖ついている、母親は元気だがすっかり腰が曲って、

まるで白装束の巡礼のお遍路さんのように‥‥。

88ヶ所めぐりの巡礼の親子のように見えた。

挨拶をすると母親と息子はにっこり笑っておじぎした。

どんな環境になっても親子むつまじく幸せそうだった。

親孝行な息子と働きづめだった母親。幸せそうだった。

なぜか胸がいっぱいになった。神様は公平です。

本当のしあわせって外側見てても判らないものです。

 

8月29日(日)

先日生まれて始めてカラオケに行った。

昔から知ってはいたが全然興味がなかった。

しかし誘ってくれた人がとても感じよかったので、

ついつい行きましょうと言ってしまった。最近、

人に合わせる事も時に必要だと思うようになった。

思ったよりこじんまりした部屋で座ったままで、

画面から流れてくる音に会わせて好きな歌を。

まあなんと沢山の曲揃っていることでしょう。

童謡もたくさんある。好きな童謡歌い始めたら、

だんだん気持ちが懐かしくあの頃を思い出す。

故郷、おぼろ月夜、啄木の初恋(すごく好き)

永遠に残っていく歌って沢山あるんだなー。

誘ってくれた人さかんに気をつかってくれて、

サッチモ、ナットキングコール、シナトラ、探してくれた。

ありがとう。これはこれで楽しいひとときでした。

 

8月22日(日)

知り合いの女性に80歳のバースディカードを送った。

カードの一筆に心をこめて直接手渡した。

もう36年余りのお付合いだが最初の印象が悪かった。

ご商売柄かけひきばかりで全然気持ち伝わらない。

よくあるケースだが顔は笑っていても眼は笑っていない。

いろいろ言うが損得でものをいっているのがわかる。

顔もみたくないなるなら会いたくないなんて思った事も。

今の自分ならどんな人でも受け入れられると思う。

あの頃は相当強がってつっぱっていたようだ。

何年も経って彼女が仕事のない日曜日の午後、

ぼんやりとしていたあの寂しそうな姿みてしまった。

今まで見たこともない侘しげなひとりぼっちの顔だった。

しかしこのカードを受け取った時のうれしそうな顔。

あの笑顔は本物、あの顔中くしゃくしゃにした笑顔。

これから何のわだかまりもなく本当のお付合いが出来そう。

 

8月15日(日)

今年は本当に暑いお盆に入ったからか週末になって、

珍しく始めてのお客さんが次々に来店した。

栃木から来た若い男性、何年か前に来店した時は、

ゴイゴビッチのソウルステーションをメモしていたが、

今度もおすすめをと言った。最近そうゆう人多い。

お店のホームページに載っているブルーノートや、

リバーサイドの中から教えてあげればよかった。

きっかけはともかく沢山聴いていくことだと思う。

これというミュージシャンを見つけたらそこから入って。

きっとおもしろくなってもっともっと聴きたくなると思う。

その夜は年配のご夫婦らしき二人も見えた。

しばらく店内を眺めていたが帰るとき大きな声で、

とてもいい店です。落ちついていて又来ようと思うと。

うれしい!こんなふうに喜んでくれる人増えてほしい。

ジャズを知っていても知らなくても皆喜んでくれる店に。

 

8月8日(日)

毎週ひとり言を書き続けるのがきつくなった。

公開しない日記ならもっとつっこんでも書けるが、

個人名を出すわけにもいかないし言葉にも気を遣う。

今月の一枚というコーナーにジャズアルバムをのせている。

こちらがあと一年位で100枚になるので、ひとり言も、

その頃終わりにしようと思っている。随分勉強になった。

思えばこのひとり言を読んでくれた常連の一人が、

毎回15行で中味を必ずまとめてコラムのようだといっていた。

それに固執してしまったようでむりやり15行で終わろうと、

ふやしたりけずったり形整えるのに無理してしまった。

毎日曜日午後ひとり言を打つ習慣ができてしまったようで。

長い間打っている内にどちらもとても愛着が出てきて。

いろんな人のこといろんな人皆好きになってきた。

書く事によって自分の気持ちがはっきりする。

やっぱり何かの形で書いていく事続けようと思う

 

8月1日(日)

植草甚一氏の”モダンジャズのたのしみ”という本を読んだ。

昔シリーズで出ていたので何冊か読んだその中で、

この”モダンジャズのたのしみ”という本を棚から出してみた。

文章はとてもわかり易く語りかけるような口語体だが、

意外と小さな字がびっしり並んでいて読みづらかった。

しかしこのくわしいしらべかた、外国のジャズ誌の訳も多く、

やりだしたらとことんやる氏の探究心ははんぱではない。

49歳で始めてジャズにふれたという。映画も美術も、

一流の執筆家として知られる氏がジャズに嵌って行き、

ジャズのおもしろさを知った瞬間から勉強を始めたらしい。

半年で600時間も聴いてLPも高くて買えない時代に、

次々と聴きたくて買っては直ぐ売ってしまう潔さ。

コレクターのかけらもない鮮やかさ誰もまね出来ない。

ジャズにしびれる感じを一番大事にしていた植草さん。

私も及ばずながらジャズの感性一筋にこれから聴いていこう。

 

7月25日(日)

イーストウッド監督の”インビクタス”という映画を観た。

映画は南アフリカのマンデラ大統領が1992年2月11日、

27年間の獄中生活から解放され大統領に選出された時。

あの悪名高いアパルトヘイトから解放されても、

未だイギリスの支配下にあるような差別の眼は変らない。

そんな中でイギリス人に交じって黒人一人という、つづける

南アフリカのラグビーチームにマンデラ大統領は神の言葉、

どんな事をされても許すことができる人をめざしてという、

神の言葉を伝えチームを全面的に応援することを誓う。

負けてばかりのこのラグビーチームが2005年に本当に、

優勝するまでのマンデラ大統領とラグビーチームとの熱い交流。

そして最後は白人も黒人も抱き合って勝利を喜ぶ姿。

凡ての世界の人々と仲良くしていこうというイーストウッド監督。

相変わらず家庭的に恵まれない孤独感は消えていないが、

個人の幸せから世界の人々の幸せに変化していったようだ。

 

7月18日(日)

6月いっぱいでスイミングのワンポイントレッスンが終わった。

最初はバタフライ1ヶ月だけのつもりだったが、

平泳ぎ、背泳ぎ、バタフライと4ヶ月つづいてしまった。

バタフライは今迄のくせが取れなくて中々思うようにいかない。

子供の泳ぎ見ているとその泳ぎのリズムつかむのが速い。

まあ最終的には力を抜いてゆったりとした泳ぎがしたい。

基本を憶えておこうと手と足のバランスしっかり掴む。

考えてみるとこんなに最初からスタートしたのははじめてかも。

コーチの男性一人一人ていねいにみてくれた。ありがとう。

そして今回一緒だった皆さんと仲良くやれた、とてもうれしい。

先日2週間ぶりに皆と会ったがなぜかなつかしく思えた。

どの人とも自然に声掛けられて自然に笑顔がこぼれるよう。

名前も年齢も知らない飾らない裸のおつきあい。

直ぐ親しくなれる、この付き合いをそのまま生活のなかに。

一人で泳ぐのもいい、皆と一緒に泳ぐのも素敵です!!

 

7月11日(日)

スイングジャーナル誌が休刊になるというお知らせがあった。

一般的なジャズ雑誌として長い事続けてきたのでびっくり。

まあ最近ははっきりいってあまり面白くないなと思っていたが、

いざ無くなるとなると情報誌としてジャズの最新情報や、

ミュージシャンの動向など細かい情報が入ってこなくなる。

特にヨーロッパなど世界の動きなどもっともっと知りたい。

もう仕方がないこれからは自分の耳で探していくしかない。

ジャズは時代と共に変っていくもの。これからどうなるのか。

このところスイングジャーナル誌よく読んでいた。しかし、

書きとめておきたいような記事殆ど見当たらなかったが、

村井康二氏の”新しいジャズの傾向について"という欄に、

”ジャズは今どうなっているの”という記事が載っていた。

ざらざらとした音の感触肌触り最近の傾向らしい。

とても関心がある、ポールモチアンの最も新しいものなど。

要はスタイルはどんなに変っても本質は変らないのだから。

 

7月4日(日)

カナダのお土産にナイトクリームをもらった。

何気なく使ってみたらそれが今までのより全然いい。

粘りがあって指先でつまむと持ち上がるよう伸びる。

翌朝も心なしかしっとりなじんでいい感じなのです。

これはと思ってネットで検索してみたが見つからない。

そこでいつも愛用しているハンズにいって聞いてみた。

渋谷は駄目だったが新宿のハンズの化粧品係では、

係員が奥に入ってしらべてくれここにかけてと言った。

よく見るとそれが何と九州の薬品会社だったのだ。

思いきってかけてみたら応対にでた係員の親切な事。

東京で扱っている2つの美容クリニックを教えてくれた。

それにしても営利ばかりが先行するこの忙しい世の中で、

クリーム1つのためにこんなにていねいに教えてくれる。

まだまだ世の中捨てたものでもない、人が信じられる。

どんな小さな事でも損得抜きで人のお役に立とう。

 

6月27日(日)

内田吐霧監督の飢餓海峡を再度観た。

昔観ているのだがまるで1つ1つ憶えていない。

僅かにトロッコの中でのシーンが強く残っていた。

しかし、わーやっぱりすごい、これぞ究極の社会派。

画面に釘づけになってしまった。今観ても全然いい。

こんなすばらしい映画もう2度と出来ないだろう。

こんな映画が出来たあの時代、敗戦直後の、

丸焼けになってしまった悲惨な時代の中で、

永遠に残るだろうこの光輝くこの映画が‥‥。

あの貧しい暮らしの中でひたむきに生きてきた人々。

でもやさしく思いやりの心涙が出るほどいじらしい。

主演の三国連太郎すごくいい。今一番好きな俳優。

前半のあの澄んだまなざし‥おにぎりをほほばり‥、

そして後半地位や名誉の為変ってしまうのだが。

鮮やかに演じきった三国連太郎忘れない!!

 

6月20日(日)

葬送の会報誌にインタビュー記事が載ってから、

2・3日して女性の会員からお電話があった。

この記事を読んですぐにお伺いしたいとのことだった。

そして1961年始めての外タレブームをまきおこした、

アート・ブレーキーとジャズメッセンジャーズ、その翌年の、

セロ二アス・モンク、トリオ、、、最後の来日を果した、

ジョン・コルトレーンカルテットのプログラム持参、

宝物のように大切にしまっていますと見せて下さった。

こんな貴重なもの持ってきていただき大感激。

この方はこれらのコンサートをここしかなかった、

産経ホールでリアルタイムで聴いているのだ。

とても育ちのいい品のいい方、エラが好きだという、

エラインベルリンをおかけしたら軽く体を揺らして、

とても楽しそうに幸せそうな笑顔を浮かべていた。

こんなところでこんな出会い、とてもうれしい。

 

6月13日(日)

”葬送の自由を進める会”という雑誌に、

「私はジャズハウス店主」というインタビュー記事が載った。

私がしゃべったことそのままに何もかも書かれている。

写真も看板のビル・エバンスと一緒に写っている。

劇作家の木下順二氏の入会の辞をその雑誌で読んで、

とてもすばらしいと思った。そして迷うことなく、

この商業主義に汚されない心のこもった自然送を選んだ。

木下氏のお母様が亡くなられた時知人に送った手紙。

「この手紙御落掌のおり、お受け取り下さった方方、

お一人お一人の自然なお気持ちに添って一度だけ、

しばし故人のことを思って下さればそれが故人の最も、

よろこぶところ。そのような次第ですので、

香料のほかにも花一輪といえども御辞退申し上げます。」

何年后お二人は自然送により海に還られた由。

自分の意思で生涯の終わりを選んだ木下氏。私も見習おう。

 

6月6日(日)

毎年恒例の一品持ち寄りパーティ無事終わりました。

皆さん本当にありがとう。とてもすてきなパーティでした。

10人程でしたがこの位が一番いいと思う。

何となく始まって何となく終わる‥半年に一度の集まり。

好みの一品を持ち寄ってくれる‥皆に逢える楽しみ。

30年位になる人もいるし今回始めての人もいる。

でも必ず来てくれる人がいる限り続けるつもりです。

お店のアナログノートに書いてもらった中から‥‥。

Posy万歳!ついでに落語と岡本喜八も!楽しい夜でした。

Posyのパーティに参加するようになって3年経ちます。

楽しいの一言です。皆さんありがとう。

パーティの時しか来られなくなってしまいました。申訳ない。

しかしここに来ると心の急所を刺激されます。

仕事を終わってすぐきました、のびのび出来ました。

以上抜粋来年からお酒がまわらない中に書いてもらおう。

 

5月30日(日)

山田洋次監督の”息子”という映画をDVDデ観た。

佐藤忠雄という映画評論家が今日本映画の中で、

山田洋次監督作品しか観たいと思うものがないと、

言っていたが実は私もそう思っているのです。

この映画は80年代三国連太郎主演なので、

期待して観たのだがあまり良くなくてがっかり。

山田洋次監督でもうまくいかない事もあるのだなと思う。

田舎で一人暮らしのおやじと東京に出てしまった、

息子との考え方の違い、あの時代をよく捉えていて、

とてもよく判るのだが映画としておもしろくない。

一人になってしまったおやじの孤独感が、

立派すぎる三国連太郎ではちょっとという感じ。

贅沢に脇役を使っているがそのなかでは、

田中邦衛のトラック運転手が一番印象に残った。

三国連太郎のベストはやはり飢餓海峡ですよね。

 

5月23日(日)

先日お店をopenした途端一人の男性が来店した。

50歳台と思われる地味な感じ物腰も柔らかだった。

実は自分の会社が始めてクリスタルCDというものをだした。

そのクリスタルCDと普通のCDを置いていくので、

音の違いを聴き比べて欲しい、だんとつに違いますと。

そのCD岩手県の一関のベイシーでレコーディングしたもので、

ハンク・ジョーンズトリオの演奏だと知っていた。

しかしなにやら預り証のようなものを出して、

これに判を押して欲しいと言われた。

その中味を読んでこれはと直感した。

無理やり置いていってあとで傷がついたとか

指で触ったあとがあるとかなんか因縁をつけて買わせる。

きけば一枚5万円から7万円の金額だという。

宣伝の為いろいろな所回っているというが、危ない。

はっきり断った。なにを言われてもごめんなさいと。

こんな手口もあるのかとびっくり、気をつけなければ。

 

5月16日(日)

今年も又一品持ち寄りパーティの日が近づいた。

皆さんに出したメールの文面を読みながら、

何て気持ちが変ってきたのだろうと思った。

今迄はやるときめたからやる何人でもやりますと、

強がっていたけれどこの自然に書いた文面を、

読み返してみて、とても気持ちが素直に入っていて、

心からこの集いを楽しもうという思いでいっぱいだ。

誰でも受け入れるなんて頭では考えていても、

どの人も同じようにできない自分がどこかにいたが、

今は違う、どの人も同じようにやさしく見つめられる。

月日の流れははやい、皆少しずつ変っていくが、

年を重ね環境が変っていってもずっと見守っていこう。

最初はつっぱっていた人も長い間にだんだんと、

態度が変ってきたりするのをみるにつけても、

信頼されているのだと実感する。うれしいです。

 

5月9日(日)

先日キャリアウーマンらしき女性から聞いた話だが、

その女性はかなりはっきりしたものを言う人だった。

会社の同僚から貴方のような人は嫌いですと言われて、

あ、そう、ありがとうと言ってからひどく傷ついたそうだ。

私がそんな場面に出くわしたらどうするだろうと考えた。

怒っていうのではなく冷静に言われたらどうするか。

その時にしっかりと相手の目を見て今貴方は私のこと、

嫌いとおっしゃいましたけれど、もう少し優しい言いかた

をしてくれたら、とてもその意味よくわかったのですが。

どうゆうところが嫌いなのか教えてくれませんか。

ほんと実際にそうゆうことを体験した。その時相手は

急になごやかな顔になって、やあほんとのことなんです、

と態度が変った。それからその人と親しく話し出来た。

とてもうれしかった。人の口は塞ぐことはできない。

どんな人でも生まれた時は無垢、いい人なんだから。

 

5月2日(日)

先週のつづき、クリーニング屋の奥さんが来てくれた。

2人で煙草屋のおばちゃんの家に入って電話みたら、

昔の電池式の電話で電池が切れていた。

縦に置く電話なんて全然知らなくてどうしていいのか、

別の電話があったのでかけてみたら通じた。

クリーニング屋の奥さんが耳もとでそっとその時、

この方は認知症のはじまりなんです。

一人暮らしなので、ご近所で見守っているんですと。

聴けば自動販売機のお金が煙草を入れ替えにきた

販売員?に何度か盗まれたそうだ。おばちゃんが

ちょっと家に入ったすきに貯まったお金をつかみとる。

床屋のおにいさんが現場を何回か見ていたという。

これからはそんな時もどんどん声かけしていこう。

これをきっかけにご近所とももっと仲良く‥‥‥。

本当に自分を放せるだろうか。いやきっと放せます。

 

4月25日(日)

2,3日前お店の外のガラス拭きをしていたら、

近所の煙草屋のおばちゃんが近寄ってきて、

煙草の注文をしたいのだけれどいくら電話しても、

うんともすんともいわない、助けてくれない?と言った。

助けてという言葉にびくっとした。一人では困ったなーと、

クリーニング屋のご主人に頼もうとおもった。

ご主人は出かけていて奥さんも忙しそうで今は駄目と。

とっさに最近親しくしている近所のKさんの家の、

ブザーを押してしまった。全くあわててしまった。

彼女は出かける前で忙しそうだったが、NTTに

かけてみたらと親切に電話番号をしらべてくれた。

そのあとで煙草屋のおばちゃんが認知症だと知った。

身近にそうゆう人を見てなかったので全くのショック。

いつもにこにこと元気そうに見えた。他人事ではない。

これからはもっとおちついて‥‥次週へ続きます。

 

4月18日(日)

“なぜ牛丼屋でジャズがかかっているの”(守屋純子)という本を読んだ。

題名がちょっとひっかかったので軽く読もうと思った。

いまやBGMとしてカフェバー、居酒屋、牛丼屋、クリーニング屋、

スーパーマーケットまでどこでもと言いたいくらいジャズが流れている。

流れていて気にならないような静かなピアノトリオの

ようなものばかり。お洒落に感じているらしい。

こんなのがかかっていると400円の丼が500円くらいのものに

思えてくるのではないかと筆者は言っているが。

しかしこんな素晴らしい音楽をなんとなくかかっていると

思うだけで終わってしまうのはとても残念だと思う。

この本はそのことを非難しているのではなく、

ジャズを知るにはもう一歩足を踏み出して欲しいと言っている。

一枚のCDをじっくり聴くところから、そこからだんだん拡げていく。

この本はジャズの裾野を広げていく為のやさしい本。

オーケストラの指揮者でもある彼女、生い立ちがとても興味あった。

 

4月11日(日)

先日イーストウッド監督の”ミスティック・リバー”を観た。

この人の作品は大分観ているがまだまだ足りない。

ほんとうに最近は一年に1本の多作家だ。

この映画は2003年の作品。全く予備知識なしに観た。

ボストンの小さな町3人の少年がいたずら書きしている所に、

やくざ風の男達がやってきてその中の一人を連れ去り、

生涯忘れえぬほどの心の痛手を負わせてしまう。

やがて子供たちは大きくなってそれぞれの道を歩いて、

いくことになるのだが‥‥原作はあるらしいけれど、

やっぱりイーストウッド監督の思惑が最後にはっきりと判る。

この頃のイーストウッド監督は未だ何よりも家族を、

信じ愛しつづけていたのだなーと思った。映画の中では、

友達を殺してしまうほど娘を愛していたのだ。

家族が信じられなくなるほど不幸なことはないと思う。

作品毎に絶望的になっていくような気がしてとても辛い。

 

4月4日(日)

4月に入った。又桜の季節が巡って来た。

一年経つのは何と早いのだろう、1週間があっという間。

毎年2月3月を無事に過ごす事が出来るか緊張する。

今年も大変だったけれど何とか終えることが出来た。

これからも一寸先は闇、心を引き締めていこう。

お店とてもお客少ない。どうやってやっていこうか。

でも来店した人はとても喜んで帰っていってくれる。

本格的なジャズの店でやっていくか迷ったけれど、

今の私の心境だと誰でも気楽に入って欲しい。

私のライクワークはひそかに水面下でつづけていく。

外から見てとても気になっていたが中々入れない

と10人が10人いう。気になるって興味があるってこと?.。

今は誰にでも優しくなれる、人のお役に立ちたい。

無縁社会を無くすには先ず一人一人が人間一人では、

生きていけない事を自覚する所から始まると思う。

 

3月28日(日)

山田洋次監督の”おとうと”を観てから、

市川崑監督の50年前の作品”弟”をもう一度観た。

(この映画をヒントに創られたそうなので)

映画の時代は大正時代、もうカラーになっていて、

この頃の東京の風景や家の中の様子、

着物姿の生活ぶりとてもリアルに描かれている。

姉が弟のことを心から心配して看護する様子は

そのままだが、凡ての人間を許している新作とは

ちょっと違って弟の死によっていろいろあった家族が、

父も母も姉も何かを感じていく変っていく。

一人の家族の死によって変っていく心の変化、

心の在り方を描きたかったのではと思った。

出演者皆いい。脇役の岸田今日子特にいい。

この頃は外国映画も日本映画も全盛時代だった。

今観てもとても見応えのある一級作品です。

 

3月21日(日)

ラジオ深夜便で”森からの贈り物”というナイトエッセイを聴いた。

スミカワヨシヒコ氏(1963年生)のタイマグラばあちゃん、

との出会いを再放送と共に2回聴いていたく感動した。

彼はNHKドキュメンタリー番組のデレクターをしていたのだが、

15年前岩手県のハヤチネ山の麓にある集落タイマグラ、

(アイヌ語だそうだ)という所に初めて取材に訪れた。

電気も水道もない過疎地だったのだがその寒村にだんだんと、

魅せられて家族共々丸太小屋に移り住むようになった。

10年以上かかってドキュメンタリー”タイマグラのおばあちゃん

との出会い”が完成した。しかしその間にこの森のなかに、

生きている動物達との共存、人間だけでは生きていけない、

自然と人間、生きもの同士が森と共に生きていく中に

不便さを超えるよろこびを味わうようになってきた。

その語り口が声高でなく控えめだがに手にとるように伝わる。

私も都会の片隅で1人では生きられない生き方していこうと思う

 

3月14日(日)

3月は毎週泳ぎに行っているプールでバタフライを習っている。

今まで自己流で泳いでいたが基本をしっかり憶えようと、

探していたら丁度よさそうなワンポイントレッスンを見つけた。

30分間で4回コースちょっと診てもらっただけで、

判ったような気がしたけれど泳いでみると中々難しい。

学校時代平泳ぎだけは習っていたけれど

顔を水につけないで顔を水の上に出して泳いでいた

そういえばその頃静岡県の駿河湾の沖合いで遠泳をした。

記憶もまばらだがたしか女性だけのグループだった。

未だ食料もままならない頃だったので夕食が待ちどうしく、

お茶碗ーぱいだけのそれも精製してないぼろぼろの

ご飯とてもお腹が空いていて足りなかった。

そろそろあの頃をなつかしく思うようになってきた。

あの頃の友達の顔けっこういろいろ覚えている。

後ろを振返らない生き方をしてきたのに、振り返るようになった。

 

3月7日(日)

2月の終わりに渋谷のシネマ2で山田洋次監督の”おとうと”を観た。

前から観たい観たいと思っていたので自分でもおかしい位、

心の準備をして午前中に間に合うように出かけた。

やっぱり思ったとおり、なんて心の暖かい映画だろう。改めて感じた。

ほんのちょっとした場面でも胸がつまってしまって、

涙がこみあげてきてこらえるのに大変だった‥‥。

人間どんなになっても見捨てられるものではない。

凡ての人がこの主人公のように人のことが想えて、

暖かい人ばかりだったらこんなぎすぎすした世の中なくなるだろう。

凡ての人がこんな気持ちになれたらどんなに毎日が楽しいだろう。

駄目なおとうとだって最後はありがとうありがとうといって、

安らかな幸せな気持ちになって亡くなって行った。

こんな駄目な男でも見捨てない、存在する価値があるのだから。

今の世の中変らなければ駄目だと思う北欧のようになれたら

山田洋次監督ばんざい !! 泣いちゃいます。

 

2月28日(日)

或る雑誌を読んでいたらこんな記事が載っていた。

2009年12月7日スペインのジクェンザ・ジャズフェステバルで、

「サックス&ドラミングコア」というバンドが出演した。

その中にには田村夏樹(t)藤井聡子(p)という二人の日本人も

参加していて緊張感あふれるフリージャズだったそうだ。

しかし彼等の演奏が気に入らなかった一人のお客が、

これはジャズではない自分の健康に害を及ぼした、返金してくれと、

クレームをつけ始め遂には警察沙汰になってしまった。

ところがこの問題が新聞に大きく報じられたため、

この記事を読んだウイントン・マルサリス(t)がわざわざ連絡してきて、

「そのクレームをつけたお客は偉い、私はその人に自分の

CDをプレセントして彼の勇気を讃えたい」とコメントしたのです。

この演奏を理解出来なかったといってとんでもない話だと筆者は言う。

チャーリー・パーカーもオーネット・コールマンも最初非難轟々だった。

新しく出てくるものにこれはジャズではないと言い切れるだろうか。

 

2月21日(日)

ヨーロッパジャズ黄金時代という本を読んだ。

何年か前にジャズ批評から出た"ヨーロッパジャズ1800”

と言うアルバムを紹介した本を時どき読んでいたが、

この本の著者星野秋男氏もいろいろ書いていた。

ヨーロッパジャズの歴史60年代から70年代始めまで、

口語体で読みやすく、これは駄作だから見つけても、

買わない方がいいとかこのアルバムは何を考えているのか

分らないとか。しかし辛辣さのなかに強い情熱を感じた。

「聴きやすいピアノトリオばかりでなく、たまには硬派なものも

聴いて欲しい。ジャズはきれいなメロディで単に、癒されれば

いいと言う音楽ではない。BGMで暇つぶしに聴く音楽ではない。

我々の精神生活に大きく入り込み一生を通じて探求していく

価値のある深い音楽なのですと。」うーんぐっときた。

とても動かされた。私も及ばずながら一生の仕事です。

ほんとうに奥が深いもっとも人間的なアートだと思う。

 

2月14日(日)

先週吉永小百合のこと書いたら、その2、3日あとに、

偶然に山田洋次監督の”母を語る”という放送を聞いた。

満州で生まれ育った事は余り語りたくないと聞いたが、

その頃の裕福な子供時代、山口県の田舎に引き上げて

来てからの苦しい生活状態のこと、しかし母は、

毛皮のコートを着て外出するような派手な人だった。

外交的な母は家にこもりがちな父3人の子供を残して離婚。

大学に入った頃行方不明の母を捜して九州迄いったが、

学生らしいパートナーと暮らしていて勉強して教師になりたいと。

しかし山田監督とは仲が良くいろいろな話をしたという。

最後年老いた母を引きとって92歳で亡くなるまでお世話した。

映画館でばったり母と寅さんが出会った時の話し面白かった。

山田洋次監督の人間を見つめる暖かなまなざし、好きです。

夫婦でも愛が無くなれば別れるのは本当だと言っていた。

すごく印象に残った。私もほんとうにそう思う。

 

2月7日(日)

先日ラジオ深夜便で吉永小百合のトーク番組を聞いた。

日本映画の最後の大スター(男性では高倉健)だが、

人間的にもなかなかすばらしい人だなと思った。

歩き方1つでその人の生き方が出てくると思うが、

私はちょこちょこ歩いていて駄目なんですと笑っていた。

昔知人がアルバイトで六本木のそば屋の出前をしていた。

或るマンションのエレベーターの中でばったり彼女にあった。

その時全然知らない人なのにさりげなく雨の中大変ですねと、

声を掛けられ大感激今もしっかり覚えているそうだ。

映画の仕事をしながら大学を卒業した話しはとても有名。

スイミングも続けていて今も週2回は泳いでいるという。

いつかテレビで偶然見たのだが仲間グループと楽しそうに、

ゆっくりとバタフライを泳いでいる姿とても印象的だった。

最近の”おとうと”撮影中の話しもいろいろしていたが、

大好きな山田洋次監督のことなどもっと書きたくなった。

 

1月31日(日)

毎月スイングジャーナルを読んでいるが広告が多い。

情報を知りたいので大体目を通してその中に、

1つか2つこれはという記事を見つければ大収穫。

しかし宣伝が多くて読み応えのあるものが少なくなった。

レコード会社もCDが売れなくなってきて戦々恐々のよう。

ブルーノートの名盤などを何回も安値で再発している。

ニューヨーク界隈のライブハウスなども事情は深刻で、

何年か前に行った時は無名だが将来性のある、

若手のミュージシャンが熱いセッションをくりかえして、

10ドルで一晩中聴いたりしてしていられたのに

今は皆モアマネーの店になってしまって聴ける店ではない。

上手い人はいっぱいいるけれど心を揺るがせるものが‥。

世の中こんなに経済的に豊かになってしまったから‥。

人間ハングリー時代の方がすごいもの生まれたようだ。

またまた資本主義のこと何だろうと考えてしまう。

 

1月24日(日)

去年の暮れだったと思うが何年も会っていなかった人が、

突然来店した。その人はパーティのような集まりで会った。

その時は殆ど話しもしていなかったがとてもさわやかで

すがすがしい青年のイメージ何故か心にとても残っていた。

しかし今回名前を言われても直ぐに思い出せなかった。

やっと思い出したが思わず変りましたねといってしまった。

今40代半ばだと思うが何か世の中の汚れが付いたよう。

人間こんなにも変ってしまうものかと言葉に詰まってしまった。

誰でも年を重ねていくにつれて少しづつ少しづつ変っていく。

どんなふうに変っていくのか皆違う、その人の生き方次第。

どんな生き方をすれば若々しくおおらかになれるのか。

真っ直ぐな心どこか童心のような純粋さをもっている人。

いい顔してますねと言われるような笑顔の素敵な人。

今までの生きてきたものがだんだん出てくるのだと思う。

年を重ねるってすばらしいと思えるような生き方をしよう。

 

1月17日(日)

新春そうそうNPO法人゛葬送の自由を進める会”の、

事務局長が来店した。この店の取材のことで。

去年の暮れに電話があって葬送の会が発行している、

雑誌の次号にこの店のこと載せたいとのことだった。

”葬送の自由を進める会”というのは簡単にいって、

お墓に埋葬する従来のやり方から遺骨を海や山に、

返したいという自由もあってもいいのではという運動です。

私もお墓はいらないと思っていたが木下順二氏の一文を、

読んでこんな考えもあるのかといたく感動した。

氏は(夕鶴の劇作家)インドのガンジス川に流してほしいと。

彼の書いたものから抜粋してほんの少し載せてみます。

「私が万一の時はお香典お葬式お墓そして一輪の花たりとも、

一切いりません、只ひととき故人のことを思いだして

下さればそれで充分何よりの幸せに思います。」

簡素な生き方お店の事どんなふうに載るのか楽しみです。

 

1月10日(日)

駒場プールに通う菜の花の季節がうつくしい

線路沿いで時どき逢うおばあさんがいる。

たびたび逢うのでこんにちわと声をかけるようになった。

おばあさんはいつも持っている小さな花を黙って差し出す。

口数が少なくあまり話しずきなおばあさんではない。

大きな桜の木の下に腰をおろしておばあさんの話を聞く。

聞けば神戸に住んでいたがあの阪神淡路大震災にあって、

息子と別れて親戚の家に居候をしているという。

息子は神戸に残っていてお正月にも会っていない。

息子は忙しいからねとぽつりと言った言葉とても寂しそう。

あまりくわしくは聞けないがゆっくりと聞いていきたい。

髪の毛も着ているものもさっぱりした感じがしない。

おばあさんが楽しそうに笑う姿みたいなあと元気に話す姿も。

先ずは近くから人とかかわっていってほしいと思う。

どこに住んでいても誰とでも仲よく出来るのだから。

 

1月3日(日)

元日恒例の砧ファミリーパークまで歩く。

今年はどんな年になるのだろう、それは自分次第。

去年の暮れのこと最後の泳ぎが無事に終わって、

受付の女性が一年間本当にありがとうございました、

来年もよろしくと丁寧に言われ何故かぐっときた。

前にも挨拶はしているのにとてもうれしく感じた。

どうってことない挨拶が今のわたしにはとても響く。

砧パークでも、広々とした自然の真っ只中で、

方向が分からなくなってしまってランニングしていた、

女性にどっちにいったらいいのかきいてしまった。

彼女は足を止めて考えていたが案内板を探しに、

遠くまで走ってくれた。とてもさわやか、うれしかった。

こんな小さな親切何故かとても心に感じる。

こんな小さなことにとてもしあわせを感じる。

今の心境とてもすばらしい!!幸先いいスタート。