日曜日のひとりごと 2008

 

12月28日(日)

先日誕生日だったので一度行ってみたいと、

思っていた都内のJazzBarに出かけた。

12月もなかば急激な社会不況の為か、

街はクリスマスの華やかさも何となく控えめ。

そのお店昔から訊いていたので、

どんな人がやっているのかとても興味があった。

女性オーナーらしくこまやかに飾りつけられていたが、

私が一番感じたのはオーナーの下にも置かない気の使いよう。

こうゆうのを商売上手というのだろうか。

いろいろなタイプの人がいる、10人10色だなーと。

すぐ自分の事考えてしまうのだけれど、

私は私のやりかたでやっていこうと改めて思った。

それしか出来ないのだし又それが自分に一番合っている。

迷いはない、今年も悔いのない一年だった。

来年はみんなのために少しでもお役に立ちたいと思っている。

 

12月21日(日)

たまたまつけっぱなしにしていたテレビ番組で、

元バレー選手が結婚生活2年間の日々を話していた。

あまり興味がなかったのでチャンネル変えようと、

思っていた時彼女がが相手に渡す手紙のようなものを、

読み始めてふっとその内容にひかれた。

「41歳の今になるまでこんなに楽しい毎日が、

送れるなんて夢にも思わなかった。

現役時代は練習練習で何もなかった。

これからも例えけんかしても仲良くやっていきたい」と。

とても率直で飾らない人のようだ。

素直な気持ちが聞いていてそのまま伝わってきた。

誰でも一生の中に一度は味わってほしい、

こんなしあわせな気持ち。

たとえそれから大変な思いをすることになったとしても、

誰にでもそのチャンスは与えられている筈です。

 

12月14日(日)

東京新聞に載った有馬稲子の、

老人ホームでワンルーム暮らしという記事を読んだ。

しがらみを断ち切って持っているものを、

全部始末するという大きな決断をしたが、

片付くまでに一年はかかったという。

生活を小さくすることで雑事から解放され、

ゆとりの時間を持てるようになった。

今は仕事に全てをかけていくという。

私の辞書には老いという字はないと言っていたが。

しかし彼女も体の衰えには勝てなかったのだろう。

そこは何かあったら看護士さんが直ぐ来てくれる。

猪突猛進もいいけれど時には柔軟でありたい。

女優としてはあまり好きなタイプではないが、

やりたい事を最後までやりつづける姿なかなかです。

私ももっともっと生活をシンプルにして仕事つづけようと思う。

 

12月7日(日)

今年も35周年パーティを無事に終えることが出来た。

皆さんほんとうにありがとうございました。

思ったより集まってくれてとてもうれしかったです。

いろんな人がいるけれどみんないい人ばかり。

この集まりに名刺を配りに来ているのかしらと、

思われる人もいるが、こんな時軽く云えばいいと思う。

毎回来るのを楽しみにしているといってくれた人もいる。

うれしい、こういう人が増えていって。

肩書きも年齢も関係なくみんな友達になって、

半年ぶりの近況を語り合ったり、

ジャズや映画の話に花を咲かせたい。

楽しそうでしたね今回も。

ママのこと聞き上手といっていた人がいた。

それは私の持ち味自然そのものです。

誰とでもやれるようになった毎日楽しいです。

 

11月30日(日)

最近のこの下北沢の変わりようは何なのだろうか。

35年も住んでいるがもう別の街になってしまった。

一昔前までは少なくとも文化の匂いのする静かな住宅街だった。

南口商店街は肉屋や魚屋それに八百屋米屋とか、、

生活に必要なものを売っている店が殆どで、

子供を連れた緑魔子をよく見かけたフライパンという食べ物屋や、

女性オーナーがお香を炊いている手づくりの、

アクセサリーの店などが思い出される。

本多劇場ができる前の空き地を利用して赤テントという劇団が、

長いこと公演していたし丸井の前には本格的なジャズのライブハウスもあった。

芝居を勉強している若者の姿もよく見かけたが。

今は年齢層もぐっと下がってチェーン店ばかりが目立つ、

遊びの街の若者のステータスシンボルになってしまった。

何時の間にか10軒以上もあった本屋さんもなくなっている。

もうのんびりしたい時、足は反対方向に向かっている。

 

11月23日(日)

もう30年近く来店してくれているHちゃんという男性のこと。

(その間10年近く遠ざかっていた時期もあったが)

今は毎日のように現れて自分の事話していく。

親のことや友達のこと何でも話していく。

しかし最近になってようやく彼のことが理解出来るようになってきた。

昔は誠実で素直な人だと思っていた。

最近はちょっと軽くなったかなーと思うが、

ある時ああこの人は10歳位の少年のままで、

変わっていないのだなと思うようになった。

そうしてみると考え方や行動が納得出来る。

経済的に自立しようとしないし、

これだという夢中になっているものも見当たらない。

しかしきれいな夕焼けやせせらぎの流れに、

いつまでも感動する心とても純粋でいいなと思う。

私とはまるで違う部分あるがこうゆう人とも判り合っていきたい。

いざという時はかけつけてあげたい気分。

 

11月16日(日)

今年も又恒例のパーティの日が近づいて来た。

今年は35周年、盛大にやるだろうと思っている人が

いるかも知れないが、ささやかで暖かい集いにしたいと思う。

前にも何度か書いたと思うが日本人って、

パーティというとさわぐというか盛り上がるというか、

わいわいにぎやかにやるのがいいと思っている人が多い。

本当はグラス片手に会話のはずむ、

そんなホームパーティのようなのがいいと思うのだけれど。

去るものは追わず、来るものは拒まず、

毎回心に問われる言葉だが、

少しづつ自分のものになってきたような気がする。

ストーブ囲んでいろんな人の話を聞く。

こんなパーティがお店に一番合っていると思う。

これからも心から安らげる店でありたい。

2・3人でもやりましょう。

 

11月9日(日)

病室は15階で見晴らしがよく遠く池袋の、

サンシャインビルの夜景がとても美しい。

病室というとちょっと暗い雰囲気の中、

病人も何となく沈んでいる部屋を想像していたが、

一人一人のベットがすてきなカーテンでぐるりと

仕切られていて、まるでホテルのようにきれい。

テレビ・冷蔵庫・ラジオも備わっていたが、

実際には何も使わなかった、本も読まなかった。

何よりも同室の人達と仲良くなれたのがうれしい。

いろいろな人がいる、果物やお菓子を分け合っておしゃべりをする。

術後の経過が驚異的な回復ですと先生に言われて、

予定よりはやく退院することが出来た。

改めて家族の至れり尽くせりの支え、身にしみて感じた。

これからは家族と共にみんなのために何か出来ることしていく。

(勿論お店を通して)

とても貴重な体験でした。

 

11月2日(日)

手術の前日に入院していろいろ検査を受ける。

病院はすべて流れるように物事が進んでいく。

当日朝6時から血圧、耳で体温を測りながら、

点滴、筋肉注射を受ける。

そして手術着に着替えストレッチャーで手術室に運ばれていく。

もうまな板の上の鯉、緊張感でいっぱい。

眼のまわりだけ大きく開けて凡て顔を覆う。

大丈夫ですよという先生の声がきこえる、

目薬の中にも麻酔が、しかし眼のまわりにした、

2本の麻酔注射はすごく痛かった。

不安を除く注射が効いてきたのかだんだんぼーとしてくる。

何時間位たったのだろうか、終わりましたよーという声を、

遠くききながら、ああ、終わったのだとぼんやり思う。

その日は絶対安静にしてトイレにも付き添ってもらう。

終わった。これで見えるようになる !! 次週へ。

 

10月26日(日)

ものすごく健康だと自負していた。

まさか今まで一度も悪くなったことのない眼に、

病が訪れるなんて思いもよらなかった。

眼底出血(毛細血管破裂)又は硝子体出血。

右の眼の中に黒いものが動きまわって何も見えなくなってしまった。

診察の結果しばらく様子をみて手術になるという。

眼の中には小さな無数の動脈と静脈が重なりあっていて、

長い間に動脈が静脈を押しつぶしてそこから出血しているのだそうだ。

一度はレーザーで出血しているところをつぶして、

安定していたのだが今年の8月頃から、

今度は滲み出るという状態ではなく破裂して、

眼の中は血液でどろどろになっているという。

痛みはまるでないのだが右はまるで見えない。

もう手術しかないと覚悟を決めたが正直いってとても怖い。

お任せするしかないと思いながらやっぱり怖い。次週へ。

 

10月12日(日)

ゴールで待ち受けている父兄の耳に遠くから、

エンヤコラ、エンヤコラという掛け声が近づいてくる。

OBにしっかりサポートされて桟橋の前を通り過ぎていく。

和光独特のドルフィン泳法は誰でもすぐ泳げるようになるのだが、

まだしっかりと泳げなくて泣きながら手をとってもらって泳いでいる子、

下半身不随の障害のため手だけで泳いでいる子、

氷砂糖をもらっても口に入れる余裕もなく必死で泳いでいる子、

彼女は倒れるようにしてゴールにたどりついた。

砂浜で待っていた先生の”よくやったぞ”という大きな声が聞こえる、

体を包み込むように毛布を掛けてくれる、

よく泳いだわねーまるで蝋人形のようだったという声が聞かれた程

彼女は小さくてやせていた。

ああ、このイベントだけで和光に入れた甲斐があった。

成績だけを優先するのではなく一人一人の個性をしっかりと、

伸ばしてくれた和光教育、忘れません !! 次週都合により休みます

 

10月5日(日)

先週子育ては華と書いていたら、その先の和光学園中等部の、

館山合宿のことが書きたくなった。

今思い出しても熱いものがこみあげてくる。

いろいろな事情があって本人に一番合っている学校をと、

私立の学校を10校以上も探して歩いた。

やっと念願かなって和光学園中等部に入学することが出来、

最初の大きな行事が全員皆泳をめざす館山合宿だった。

入った年は体調を崩してしまって達成出来なかったが、

2年生になってやっと3キロの遠泳に参加することが出来た。

校長先生も船の上から応援するためかけつける。

泳げる組とあまり良く泳げない組に分かれて、

沢山の卒業生に護られて足元から少しづつスタート。

ゆっくりと2時間以上かけて泳いでいく。

丸い小さな帽子がぷかぷかと幾つも幾つも浮かんで、

だんだん沖に出て行く。真っ白な雲が夏空に。次週へ。

 

9月28日(日)

子供を育てるためにこの土地でこの仕事を始めた。

子供を鍵っ子にはしたくない、学校から帰ってきた時に、

お帰りと言ってやれる環境をと、この仕事を選んだ。

小学校も近く保健室から連絡があった時など走って迎えに行けた。

ものすごく忙しくて何の世話も出来なかったけれど、

子供は親をみて育っていく。ほんとうに親思いに育ってくれた。

どんなに辛くても手放さなくて本当によかったと思う。

こんな立地条件の悪いところでやらないで、

もっと駅の近くでやったらと云ってくれた人もいたが、

今考えてみて結果的にここでよかったと思う。

駅周辺の喧騒もなく落ちついた店でやっていかれる。

お店もだんだん渋くなって愛着もひとしお。

夢中で走りつづけてきた35年、

やっと初心に帰ることが出来たような気がする。

子育ては華!子育てはすばらしい!

 

9月21日(日)

先日、長距離トラックの運転手のような50歳代の男性が来店した。

一見とても怖そうなその人はオーダーしたあと、

外に出て携帯にかかってきた相手に、ものすごく大声で怒鳴りだした。

座っていたお客さんも怖くないですかとおっかなびっくり。

ジャズのおかげで傍若無人な態度をとる人は、

入ってこないと思っていたのにどうしようと思っていた矢先、

その人は戻ってきていきなりクリフォード・ブラウンを

かけてくれというのです。もうびっくりしてしまって。

”スタディ・イン・ブラウン”でいいですかと訊いたら、

いや“ブラウン・ローチ・イン・コンサート”がいいと言った。

そして目を閉じてじっと最後まで聴き入っていた。

心なしか目頭を熱くしていたように思われた。

聴き終わると黙ってお勘定を払い、お辞儀をして出て行った。

人は見かけによらない。

外見だけで判断してはいけないと改めてつくづく思った。

 

9月14日(日)

ジョニー・グリフィン(ts)が亡くなったそうだ。

思い出すのは1905年ノースシー・ジャズフェスに出かけた時の事。

オランダ、ハーグでの30周年を祝う大イベントだったのだが、

ツーツ・シールマンス、べニー・ゴルソン、マッコイ・タイナー、

アーチー・シェップ、ジョー・ザビヌル、ラビ・コルトレーン、まだまだ‥。

よくもこんなに集まったものだと思った、めちゃめちゃジャムセッション。

ジョニー・グリフィンは大分痩せた感じだったが、

楽しそうにほんとに楽しそうに吹きまくっていた。

オランダ、ロッテルダムより15マイル入った小さな村に、

家族と暮らしていたというがヨーロッパはとても気持ちよく、

住みいいところだといっていたそうだ。

ハーベイ(彼が愛したコペンハーゲンのバーテンダー)と二人で、

ビール瓶を片手に大声をあげている”ブルース・フォー・ハーベイ”。

このアルバムの裏のフォト、とてもすてきです。

アメリカを離れてヨーロッパで生涯を送り愛されつづけた、ハードバッパー。

 

9月7日(日)

9月に入った、月日がどんどん流れていく。

毎日の生活を大事に、目標を見失わないように。

人間健康な時には何とも感じなかったことが、

どこか体が悪くなって初めて健康であることが、

どんなに素晴らしいことか気づかされる。

ここが悪くなかったらどんなにいいだろう、

どうして私だけがと考えてしまいがちだが、

しかし今ある自分を受け止めしっかりと現実をみつめ、

さてこれからどうしていこうかと具体的に考える、

いつも思っていることだが今日を精一杯に、

それしかない、その積み重ねだから、

自分が求めて得た今の生活、

どんな結果になっても悔いはない。

やりたい事を生活の真ん中において真っ直ぐ生きてきた。

やれるところまで徹底してやろうと思う

 

8月31日(日)

パリはやっぱりジャズが集中している。

セーヌ川のほとりを歩いて、ジャズクラブが多いという賑やかな通りへ。

入り口に本日の出演ピート・ラロカ(ds)カルテットと書いてある。

隣はもう始まっていてジャッキー・テラソン(p)トリオ。

どちらにしようと迷ったが60年代活躍した、ピート・ラロカに決める。

丁度2セット目が始まるところ。

小さなジャズクラブはもういっぱいだったが、直ぐ近くで聴くことが出来た。

ピート・ラロカは1960年代活躍したとても個性的なドラマー。

しかし70年代に入っていつの間にか消えてしまって、

風の便りではニューヨークでタクシーの運転手をしていたと聞いた。

すっかり風貌も変わってしまったが音だけは昔のまま。

70歳とは思えない豊かなビートをたたき出していた。

終演後彼のフェイバリットソングだという”レージー・アフタヌーン”

すごくよかったですよと声をかけてしまった。

旅の終わり、この心の高まり、何にも変えられない。

 

8月24日(日)

スペインはジャズはあまり盛んではないようだ。

テテ・モントリュー(p)しか知らない。

やっと見つけたライブハウスで、トロンボーンのカルテットを聴くことができた。

スペイン人はちょっと強面、一見無愛想に見えるが、

話し出すとけっこう丁寧に話してくれる。

すっかり安心してしまっていて、マドリッドを発つ朝、

地下鉄の中であっという間にスリにあった。

周りには人がいっぱいいたのに、ほんの一瞬の出来事、

お見事というほかない。

でも大事なものは身につけていて、盗られたものは、

バックの中の薬の袋だけ。よかった。

3人組のスリさんもさぞかしがっかりしたことであろう。

マドリッドから列車で30分くらいのところにある

トレドという1500年の歴史を誇る中世の城塞を訪ね、やっと帰路に。

パリに戻ったら思わぬライヴが待っていた。

次回最終回です。

 

8月17日(日)

ヨーロッパ内を飛んでいる格安航空機で、マルセイユからマドリッドへ。

機内から国境を越えていく様子がはっきり見える。

スペインは治安が悪いと聞いていたので地下鉄の中では緊張した。

やっとホテルに到着した。ぐっすり眠ってしまった。

マドリットは10時近くまで明るく、スーパーで買い物をしていたら、

地下鉄で席を譲ってくれた女の子と又会った。

笑顔がとてもかわいい、もっといろいろ話したかった、一期一会。

マヨール広場はいつまでも夜を楽しむ人々で大賑わい。

翌日、ソフィア王妃芸術センターで

スペイン内戦(1936-1939)の記録映画を観た。

ナチスドイツを後ろ盾にしたフランコ政権の圧制に反対して、

世界中から集まった義勇兵とともに(ヘミングウエイも参加)、

農民も武器を持って立ち上がった。

ゲルニカの大虐殺、マドリッド陥落、生々しい記録映画。

そう云えばチャーリー・へイデン(b)もこの戦争に抗議して

リべレーション・ミュージック・オーケストラというすばらしいアルバムを創った。

 

8月10日(日)

南仏コートダジュールの海辺、地中海の遠く向こうはアフリカ大陸。

ピカソが愛したというこの地には城壁に囲まれたピカソ美術館がある。

マルシェ(市場)で買い物をして旧市街をゆっくりと歩いた。

今年48年目になるというアンチーブ・ジャズフェスティバル、

今までいろんなミュージシャンがここで演奏したのかと感無量。

以前出かけたモントルージャズフェスでもそうだったが、

ジャズだけではなくだんだんワールドミュージックになっていく。

最初から判っていたのでこの地を踏みしめることが

出来たことで、もうそれだけで胸がいっぱい。達成感 !!

翌日は少し離れたプロバンス地方のエクセンプロバンスへ。

いかにもセザンヌが描きそうなこんもりとした緑の美しい街

オープンカフェでウェーターにチップをはずんだら、

とても恥ずかしそうな顔をした。パリだけがフランスではない。

農業国フランスの田舎、人々は皆親切でやさしい。

次回はマルセイユからスペインのマドリッドへ。

 

8月3日(日)

7月18日から27日までの10日間フランス、スペインを旅しました。

かなりきついスケジュールだったので、

無事に行って来られるだろうかと緊張とわくわくのスタートでした。

燃油が高騰している為直行便を避けて北京経由でパリへ。

シャルル・ドゴール空港から長距離列車TVGに。

パリは7月14日の独立記念日のあと一斉にバカンスに入った様子、

列車の中ははしゃぎまわる子供達と家族でいっぱい。

カンヌで乗り換えローカル線で最初の目的地アンチーヴへ。

アルバムのライヴ盤などでよく@アンチーヴとかかれていて

どんなところか何時か一度訪れてみたいと思っていた。

何時か一度はと思っていた南仏のコートダジュール高級避暑地、

とうとうアンチーヴにやって来ることができた。

道を訊ねた時、若い清掃員のどんな時でも幸せでいられるみたいな

この上ない笑顔に出会った。幸先いい予感。

次回つづきます。

 

7月13日(日)

地球温暖化対策が叫ばれてCo2を削減しようとする動きが、

日本中で活発になってきている。

ビルや会社工場を先ず先に進めて、

一般社会はこれからというところだが、

日本人は右に習えだから浸透するのは早いだろう。

テレビで放映していたが、

お茶柄を撒いて部屋の中を箒で掃く。

風呂敷を上手く遣って買い物をする。

すっかり昔に戻ったみたい。

でもまだまだ近くのスーパーなど遅れていて、

マイバック持って来ている人殆ど見かけない。

マイバックマイ箸はもう当たり前なのに。

お店もクーラーから扇風機に。

洞爺湖サミットは終わったけれど世界中が歩調を揃えるには

未だ先のようだ。都合によりひとり言来週2回お休みします。

 

7月6日(日)

estのエスビョルン・スヴェンソンというピアニストが亡くなった。

衝撃的なニュースはNHKFMのジャズ番組で伝えられた。

担当の児山紀芳氏はたんたんと話していたが、

さぞや残念に思っただろう。

6月14日スウェーデンの近くの小さな島の側で、

仲間とスキューバダイビング中事故死したとのこと。

その後ストックホルムに住んでいる

べーシストの森康人さんのブログにくわしく載っていた。

今若手の中で最も有望視されている、

スウェーデンのピアノトリオest.

44歳がっしりとしたとても死とは結びつかない。

何回も来日を果しているからさぞかしファンも多いことだろう。

これが神様の決めた寿命だなんて。

”viaticum"冷静さの中に熱い情熱がふつふつと。

いつまでも忘れません !!

 

6月29日(日)

最近殺人事件が多くなった。

ニュースでも毎日のように大きく取り上げている。

都会だけかと思っていたらもう全国各地に広がっている。

このストレス社会、ますますひどくなってくれば、

どんなに防ごうといろいろやってみても、

こういう事件益々増えていくと思う。

巷で働いている人を見るにつけ心からよろこんで、

働いているようにはとても思えない。

やりたくないけど仕方なく我慢して働いている。

そのストレスをどこかにぶつけようと、

関係ない人を巻き込んでいく。

世の中経済的には豊かになったけれど、

大事なものを失ったような気がする。

人と人とのぬくもり、人のために何かした時のよろこび、

こんな小さな事にとても幸せを感じている。

 

6月22日(日)

お店をやっているといろいろな人に逢えることが、

魅力の1つなのだが。

先日もとてもユニークな女性が現れた。

入ってくるなりこんにちわと親しく話しかけてきたので、

てっきり常連さんかと思った。

この女性スペインからの一時帰国で、

バルセロナで寿司屋を始めて8年になるという。

日本にいた頃は雑誌の編集などをやっていたが、

たまたま知り合ったスペイン人と結婚して1ヶ月で破局。

そのあと自分が握る寿司屋を開業したそうだ。

バルセロナは魚はふんだんにあってすごくおいしいが、

お米は日本から輸入しなくてはならないとか。

とても庶民的な街で知らない人でも気軽に話しかけてくるそうだ。

明るくて積極的でくよくよしないタイプの彼女、

私の生きかたとは大分違うけれどとてもいいなと思った。

 

6月15日(日)

レコード針を交換してもらおうと近くのお店に行った。

取り寄せになるというので注文することにしたが、

後日連絡が入ったので取りに出かけてみたら、

交換針が入っている小さなケースに表示されている、

ナンバーが我が家で今まで使っていた

ナンバーと違っているのに気がついた。

ケースのナンバーと違っていれば当然中味も違う筈だと

思っていたが店の人は間違いないと言う。

試してからでは返品も出来ないし

もう一度調べてもらいたいと思ったのだが、

結局返品という形になってしまった。

いつも誰とでも笑顔でをモットーにしている、

それが出来なくて強い口調になってしまった。

こんな時相手の言う事をよく聴いて、

おだやかに話せたら最高なのだがトラブってしまった。

 

6月8日(日)

恒例の一品持ち寄りパーテーを無事終えた。

よかった、思ったより楽しかったです。

例え2、3人でも前回のようにストーブを囲んで、

話がはずんだらいいなと思っていた。

今回は皆思い思いの場所に座っていたけれど、

でも話題は一つになっていた。

いろいろな人がいて話題もいろいろ。

焼き鳥にロースとビーフ、ワインにオリーブ、

この時ばかりはめちゃめちゃ、ほんとにいろいろです。

誰でも来る人は拒みません、

去っていった人は追いません、

この心境に少し近づいたかなと思う。

凡ての人と仲良く、今を精一杯に。

皆さんほんとうにありがとうございました。

 

6月1日(日)

先週のつづきです。

実はその日東大の時計屋に逢えなかったのです。

めざす建物の地下はしまっていてがっかり。

銀杏並木が”第三の男”のラストシーンのようになる頃、

もう一度いってみようと思う。

湯島天神の境内では丁度結婚式が行われていた。

後姿しか見えなかったが白無垢の花嫁ってなかなかです。

何百年も続いているという老舗和菓子やで最中を買う。

東大付属病院の方からこんもりとした三四郎池へ。

校内はけっこう開放されていて学生の集団旅行者や、

手づくりのおにぎりを広げている老夫婦もいた。

緑のこもれびの中でお茶をしながら、

ここであの東大紛争があったのかと思いをめぐらす。

帰り道根津方向に、昔来たこと思い出しながら。

都内でもまだまだ知らない所多い。

これからも少しづつ歩いてみようと思う。

 

5月25日(日)

5月のとてもさわやかに晴れた一日湯島から東大、根津と

本郷近辺をぶらぶらと散策した。

実は東大の時計屋に逢いたいという目的があった。

安田講堂の前の法文二号館の地下に

時計屋があって戦前からずっと続けているそうだ。

或るルポライターが書いた小文を読んだのだが、

とても興味があったのでちょっと覗いてみようと思った。

16歳の時から父親がやっていたこの店を継いで

88歳の現在まで毎日時計の修理をしているのだそうだ。

学生が卒業して教授になって戻ってきて、

退職して名誉教授となりたまたま店に来て、

おじさんまだやってんのと言われたそうだ。

それでも無欲に淡々と昔の時計の修理続けている。

私も最後はこんな心境になれたらいいなーと思う。

このつづき来週です。

 

5月18日(日)

”アラーキー現る”

先週土曜日、またまた5,6人の取り巻きと一緒に。

相変わらず大きな声で皆を笑わせている。

でも最近思うに毒舌の中にとても相手に気を遣って

話しているのが分かる。

皆と話しをしていても最後に一言私に話しかけたりする。

雑誌の取材の帰りらしいが出版社のライターに、

最後にこの店のこと書くようにと言って

彼の大好きなミルドレッド・ベィリーのアルバムと

私も一緒に何枚かカメラに収めてくれた。

この店のこともよく分かっているようでもっと宣伝しなくてはねとか、

この位徹底してやらなくてはとかいっていた。

うれしい!ほんとうにうれしい!!。

帰る時とても激しい咳をしていたので心配ですと言ったら、

まるで最後のお別れみたいだねと言った。

 

5月11日(日)

先週書いた恵比寿ビエンナーレ展に誘って

下さった方のことについて。

一年位前から時々お店に見える建築家です。

とても静かでジャズピアノを習っておられる位しか

語らなかったが、後日アナログノートに

書いて下さった文章を読んでジャズに対する熱い思いに仰天。

語り口は話し言葉のようにさらさらとしているが、

思わず吹き出してしまいたくなるようなジョークも飛び出して。

ジャズと落語の関係もとても興味深かった。

これはアナログノートで一番印象に残っている、

G君とどっちかなと思ってしまうほど面白い。

お仕事もばりばり活躍していられる様子、

久方ぶりに前向きにしっかりと生きている人に出会えた..。

 

5月4日(日)

先週末誘われて”EBISUビエンナーレ2008”

というグループ展に出かけた。

恵比寿の駅から駒沢通少し歩いた閑静な住宅街、

30余人のお仲間がいらなくなって捨ててしまう

ゴミを素材にして創ったすばらしいアート展。

その出来上がった作品はとてもユニークで斬新なものばかり。

タイヤやダンボールがまるで原型をとどめない

アクセサリーやランプに大変身している。

いろいろな職業の人達の集まりだというが、

すてきなアイデアだと思った。

売上金の一部はタイの孤児院に寄付するという。

投票で決まった優勝者にはパリ旅行が待っている。

誰でも受け入れてくれるというお仲間達との

楽しいひとときを過ごすことが出来た。

2年に1度のイベントとの事、次が楽しみです。

 

4月27日(日)

”エヴァの匂い”というフランス映画を観た。

私の一番好きなジャンヌ・モロー主演(62年作品)

妖しい魅力で男を翻弄する悪女を演じている

のだけれど作品としてはまあまあ。

やはり”死刑台のエレベーター””突然炎の如く”

”恋人たち”といった代表作忘れられない。

昔観てすばらしかった作品を小さな画面で

もう一度観てがっかりするのはいやだから、

心の中にそっとしまっておくことにしている。

もう私が観たい映画はフィルムセンターにしか無い。

彼女は今も現役、ピエール・カルダン、ルイ・マル、

恋の凡てを自分のものにして女優として

最後までやりつづけていくだろう。

エヴァがビリー・ホリデイのレコードをかけるシーン

”柳よ泣いておくれ”という曲じーんときました。

 

4月20日(日)

4月は気持ちが揺らぐ時期だ。

何を書こうかと迷ってしまった。

時々ふとこれから先のことを考える。

どうなっていくのだろうと、自分では全く見当がつかない。

自分の思う通りには絶対ならないことは判っている。

思いとは逆に全く予想もつかないことが起きる。

今までを振り返ってみて、やりたいことをやってきたけれど、

自分の思った通りには絶対なっていないのだから。

これをやりたいと一途に突き進んでも、

そのとおりには絶対なっていない。

でもその傍らに意外な事実が待っているのです。

思いもつかない幸せを何度も味わった。

一寸先は闇、先のことは分からないが、

やれるところまで思いきりやろう。

どんな状態になっても悔いはないのだから。

 

4月13日(日)

日野原重明著”生きかた上手”という本を読んだ。

(題名がちょっと気に入らないが中身はなかなか)

2001年10月で90歳、聖路加国際病院理事長、

同名誉院長だそうだ。

たくさん本も出しているしマスコミでも知られているので、

知っている人は多いと思う。

読んでみてその考え方生き方にとても共通したものを感じた。

私がいつも思っていること、これからしていこうと思っている事が同じなのです。

特に、”便利さ豊かさにあえてストップをかける”、

”失うことを恐れるより、与えることに喜びを求めていく”、

言葉ではなくとても深く共感した。etc.

只、朝8時30分から夜の8時過ぎまでぎっしりとつまったスケジュール、

食事のことまで忘れてしまう程充実しているとはいえ少しハードでは?

定年後のお仕事は殆どボランティアらしいが、

これがこの人のライフワークなのだなと思った。

私は私のライフワークを迷わず生きていこうと思う。

 

4月6日(日)

4月に入っても寒かったりして、

まだまだ気候は安定してないようだけれど、

先週末近くの北沢川緑道へ花見に出かけた。

i今まで忙しく通り過ぎるばかりだったので、

こんなにじっくりとお花見が出来るなんて夢のよう。

遠くで見る満開の桜は子供の頃描いた

クレヨン画と全く同じように見える。

ほんの1週間の桜の命、でもその輝きはひとしお。

私がいなくなってもこの桜の木は又咲きつづけるだろう。

そう、だからこそ私は今を生きようと思った。

限りある命だからこそ精一杯生きようと思う。

何か1つのものに向かってつき進んでいく、

そのことが例えうまくいかなくても、

必ずその傍に道が開けると私は信じている。

桜の花のすばらしさにまたまた気持ちを新たにした。

 

3月30日(日)

お店のことを夜が沁みこんだような時間が

刻み込まれたような、と言った人がいた。

毎日暮らしていると何とも感じなくなっているが、

35年前の開店当時には新しかったものが、

月日と共に自然とこんなになっていく。

わざとレトロ感覚でつくった店を見かけるが、

Posyはほんとうに自然に古くなってきた。

そこここ修理はしているが改装は一度もない。

最初内装を頼んだとき、床はレンガに窓枠も、

壁も木材でお願いしますと言ったのを覚えている。

お店ごちゃごちゃいろいろ置きたくない。

余計なもの持たないでシンプルにいきたい。

シンプルライフ、凡ての意味で持たない生き方を !!

便利さだけを求めないで最小限必要なものだけに、

大切なものは自分自身の心の中にしっかり持っている。

 

3月23日(日)

ひとりごとを書き始めて丁度丸5年になるが、

まさかこんなに続くとは思わなかった。

まあ、よくも書き続けて来たなあと思う。

週日記のようなものなので、その時その時に思ったこと、

感じたことをコラムにしてまとめていく。

楽しみにしていますなんて言われるとちょっと意識してしまって、

次は何を書こうかと迷ってしまったりすることもある。

物書きを仕事にしている人って大変だなーと思う。

書きたいことがいっぱいある時は一気に書けるが

無理やり書かされる時って辛いだろうなーと思う。

原稿用紙が書き直しで真っ黒になってしまうとか聞く。

私は自分の気持ちがそのままはっきりと

言えた時はとてもうれしい。

本当に自分の心に正直に辛口に書けるなんてしあわせ。

これからも書き続けます。

 

3月16日(日)

友達が豊田四郎監督の〝雁”(森鴎外原作)という

日本映画を観てきた。

私もすごく好きな作品だったので話が弾んだ。

主人公扮する明治の女(高峰秀子とてもいい)

囲われものでしか生きていかれなかった昔の話し、

角帽を被った詰襟姿の帝大生が(芥川比呂志、龍之介の息子)

本を片手に坂道を登っていく(あの坂道何と言ったか)

適わぬ恋と知りながら、じっとその人を見送る彼女。

強欲な高利貸しの旦那。(東野栄次郎よかったね)

そんなイメージを抱いていたのに、

友達の言うのにはこの女性は

もっと前に向かって生きようとしている、

意思の強い女性として描かれていると言う。

人間の記憶なんて、なんと曖昧なんだろう。

一番印象に残ったところしか憶えていない。

 

3月9日(日)

どこの区役所だったか憶えていないが、

若い男女を集めておしゃべりをしたり食事をしたりする、

合コンみたいな出会いの場をつくっているそうだ。

そこで知り合ってうまくゴールイン出来れば、先々、

少子化への歯止めになっていくだろうと考えているらしい。

お国の為に産めよ増やせよという時代があった。

年金制度を維持していく為に同じことを言っているみたい。

経済のことばかり考えていて、どうして今の世の中、

子供を産まない人が増えているのか判っていない。

それは子供を産んで育てていくには、ほんとうに

良くない世の中だから、自分の意思で決める人が多い。

経済優先ではなくまず人の心を優先してほしい。

何の心配もなくゆったりと子供を育てられる世の中に。

北欧のようになっていけたらなーと思う。

つつましいけれど心豊かな生き方を、私はしていくつもり。

 

3月2日(日)

2月の厳しい時期を(いろいろなな意味で)やっと乗り越えて、

もう3月梅の花がほころび何となく春の気配を感じる。

寒さに弱い私としてはまだまだ油断大敵、

去年のように気管支炎になってしまって長引かないよう、

風邪には充分気をつけている。

最近お店ほんとうにいい感じでうれしい。

先週も来店した2人連れの男性の一人が、

いたくこの店を気にいってくれて、

帰るとき入り口で急にふりかえり、ありがとうございましたと

最敬礼をして名刺をおいて帰っていった。

大変な事多かったけれどやり続けてきてほんとによかった。

どの人も皆喜んでくれて生き生きとして

帰っていってくれたら、私も及ばずながら、

誰かのお役に立っていると思うことができる。

もっともっと内面的に自分の考えを深めていこう

 

2月24日(日)

最近突然キレる人がとても多くなったように思う。

おとなしく黙っていた人が急に人が変わったように怒り出す。

それが何の罪もない人達を巻き添えにして、

犯罪に繋がってしまうこともある。

すごくストレスが溜まっているのだと思う。

生きにくい世の中、がまんしてはいはいと仕事している。

あるところまでくると、後先も考えずどなってしまう。

どなられた相手もそんなことをしてしまう相手の気持ちを思いやれない。

もっとお互いにものが言えたらと思う。

凡ては話し合い、相手の言い分をしっかり聞ける人に、とことん聞く。

スイミングの事になるけれど、折り返し地点で

あとから泳いできた人とぶつかってしまう時がある。

そんな時私は必ず”お先にどうぞ”と言うことにしている。

そのときの相手の男性の笑顔(何故か若い男性が多い。)

なんとすてきな笑顔。こちらも思わず微笑みます。

 

2月17日(日)

市川昆監督の訃報を聞いた。

そんなに入れ込んだ監督ではなかったが、

”ビルマの竪琴””弟(おとうと)””破戒”とテレビの画面に

映ったときは、おおっと思い出してしまった。

”ビルマの竪琴”は2回創っているが1回目がいい。

たしか安井章二主演だったと思う。ピュアな作品だった。

”弟”は弟想いのきりっとした昭和の女性を

岸恵子がさわやかに主演、とてもすてきだった。

それから”破戒”これは前にも書いたと思う。

私の日本映画のベスト10に入っている。

市川雷蔵主演、岸田今日子もよかったね。

92歳肺炎で1ヶ月も患わずに亡くなった。

いつも煙草をくわえていた、痩せ型の人だったが、

こんなに煙草吸っていても、癌にはならなかったようだ。

最後まで仕事離さなかった理想的な人です。

 

2月10日(日)

週末HPを見て来店したという男性のアナログノート、

(お店に置いてある手書きノート)の感想より。

「格好ばかりのjazzBarが増える中、

昔ながらのスタイルにこだわっている、

硬派なBarに巡り会えてとてもうれしく思います。

是非この頑固な雰囲気を守り通してほしいと切に思います。

どんなに時代が移ろっても下北沢にPosyあり、

との気概でがんばって頂きたい。2がつ

初めておじゃましましたが、又ここでじっくりと、

Jazzに向かい合いたいと思います。」(文そのまま)

うれしい!すごくうれしい!!

これからもつづけていく勇気が湧いた。

35年間いろいろな人に支えられてここまで来られた。

帰るとき来てよかった、ありがとうと言ってくれる人多い。

益々本格的なjazzの店としてやっていきます。

 

2月3日(日)

チェルノブイリ原発事故の大惨事があってから何年がたったのだろう。

いまだに生まれてくる子供たちに影響があって、

村人たちは故郷に帰ることは出来ないという。

先日チェルノブイリの実態を紹介するイベントがあったそうだ。

そこに居合わせた知人は生々しいその様子にすごく衝撃を受けたようだ。

私はその話を聞いて自分の足元を見つめてしまった。

今年の寒さは格別で、電力使用量は2倍に跳ね上がっているという。

危険な原子力に頼らないで風力や太陽熱など

いろいろ試行錯誤しているが間に合わない。

もうここまできたら一人一人が節電の方向に行くしかない。

元宇宙飛行士の毛利さんも言っていたが、昔に戻れと言っているのではない。

使っていない電気は消す、出かける時はコンセントを抜く。

こんな小さな事でも国全体ではすごい事になるのだからと。

これからは着る物で寒さを調節していこうと言っている人がいたが、

私もそうしようと思う。

 

1月27日(日)

ベルナルド・ベルトリッチ監督の“ラスト・タンゴ・イン・パリ”という映画を観た。

予備知識など何もなかったのだけれど、

ちょっと知れていたので観てみたのだが…。

一言でいって気持悪い。がっかり。

内容も言いたくない。こういう映画ごめんです。

ふと、ものすごく心に残っているイタリア映画、

“自転車泥棒”を思い出した。

ずっとずっと昔、たしかデ・シーカ監督だったと思う。

もう、書いただけであの父子の顔が浮かぶ。

ほんとうに貧しくて盗んでいった自転車。

親が捕まるところをじっと見ている子供の悲しそうな顔。

俳優じゃないしろうとを使っているところがすごくいい。

この頃の映画、いいものがいっぱいあった。

忘れられない。胸がときめく。 

 

1月20日(日)

養老孟司という人の、「人を見ること、生きること」というエッセイを読んだ。

前からこの人のことは知っていたが、

世の中でかなりブームになっているらしい。

“人を見ること”とは、よく見ることだと言っている。

よく見ることは確かに大切なことだとは思うが、

最初はどんな人かわからず、ファーストインプレッションで決めてしまうことが多い。

好ききらいは抜きにして、その人の本心をつかむことのようだ。

それから“生きること”とは、まず生きることだと言っている。

“日本人は半分死んでいる。

何か夢中になってやっている時が生きているということ”と言っている。

日本人は全然余裕がなくて、ただお金のために働いて、

そのストレスを消費することでうさ晴らししている。

本当に生きるとは、夢中になれるものを持つこと。

養老さんは、虫の採集をしている時が最も夢中になれるそうだ。

私も夢中になれるものがある。つづけていこう。

 

1月13日(日)

今年も年賀状たくさんいただいた。

しばらくお逢いしていない人でも年賀状だけは

下さる人もいるが、やはりうれしいものだ。

永い間には、お亡くなりになったことも知らないで

出してしまい、後日ご遺族からお知らせが来たこともあった。

ご本人が病に伏していて年賀状が書けなくなって

ご家族の方が代わりに書いて下さったこともあった。

昔は礼儀の一つとしてしか見ていなかった年賀状が

今の私にとってはとても心の通うものになった。

例え返事をくれなくても、心を届けようと、出すことにしている。

憎しみも怒りも凡て放して……。

晴ればれとした心境。

年賀状って楽しい!!

つとに人がいとおしくなっていく。

私、変わっていく。

 

2008年1月6日(日)

新しい年を迎えて、

今年もまた朝はやく、冷たい空気の中4日間歩いた。

今年はことのほか寒くて、手袋していても指先がかじかんでしまうほどだった。

でもとても気持がいい。

こんなに歩けて心の底から健康であることがうれしい。

公園の中で車椅子の人がボールを投げているのを見た。

体に障害のある人ほど生きる意欲がつよいようだ。

障害があっても何か自分にやれることを

一途にやっている姿がとてもすばらしい。

それにくらべて精神障害の人ってなかなか

社会復帰できないようだ。

このストレス社会でますます心をむしばまれて、

立上れない、自立できない。

しかしちょっと視点を変えて何でもいい

相手のために何かしてみたらどうだろう。 

ありがとうと云われた時とても幸せです。