モルデジャズフェスティバルとパリ旅行記

ノルウェー、モルデ 夜10時半

 

2011年7月15日から27日迄パリ、ノルウェーを旅した。

  

15日

成田からエールフランスで一気にパリ、ドゴール空港へ。

ここでもう最初のハプニング。

パリに行くのに乗る電車が突然運転休止、

あわててあっちこっち聞きまくるが、皆答えが違っていて、

ようやくリヨン駅行きのバスに乗る。

そして地下鉄に乗り換える。

 

17世紀の建物そのままの、

蔦のからまるすてきなユースホステルにやっと到着。

ほっとしていたら予約手違いで3日とも宿を変ることに、やれやれ‥。 

16日

歩いてセーヌ川近くのライブハウスSUNSIDEに。

アンドリュー・シリル(ds)のコンテンポラリー・ジャズを聴く。

フランス人は今日的なNew jazzをとても熱心に聴いている。

  

17日 

サンジェルマン・デフレを散策。

午後、フラワーパークの大自然の中でタニア・マリア(vo)を聴く、無料。

雨が降ったり寒かったりで防寒具持って行って正解でした。

  

18日

パリを発ってノルウェーのモルデに向かう。

オスロまでスカンジナビア航空で2時間。

小さな飛行機に乗り換えて45分、モルデ空港着。 

町までバスに乗る。

 

いつもは眠っているようだというモルデの町だが、年1回のこのジャズフェスティバルには10万人もの人が集まる。

国際的な歴史あるイベント。 

もう50年もつづけている。

 

着いたその夜トーマス・スタンコ(T)のクインテットを聴く。

燃え尽きるまで吹き続けようとするスタンコ、すごい!

ノルウェージャズを支え続けてきたアリルド・アンデルセン(b) 

もう最初から興奮して一番前の席でいっぱい拍手。

 

このあとボボ・ステンソン(P)トリオ、小さなスペースで聴く。

  

19日

翌日ゆっくり休んだ後デイブ・ホランド(b)オーバートーン・カルテットを聴きに。

クリス・ポッター(ts)前から聴きたいと思っていた。

すごくいいですねえ..,今が最高なのかなと思ったりした。

日本にいつ来るのかな。 

足取り軽く歩いて帰路についた。

 

20日

ミシャ・メルゲルベルグ(p)を聴きに出かけた。

エリック・ドルフィーとの”ラスト・デイト”というアルバムで、有名になっていたのでとても楽しみにしていたが、今76歳のミシャは癌に冒されていて歩くのもやっと。

ピアノの前に座って弾こうとするのだがとても無理。

モンクに最も強く影響されたというフリージャズ闘士。

最後の最後まで自分の意思を変えないでいく姿、思わず近寄って肩を抱いた、やさしい、胸がいっぱい。

 

21日

ジョン・マクラフリン(g)を聴く。すっかりヤンキー化。

 

モルデでの一週間。

どんよりとした暗い空、遠く黒々とした山脈が見える。

フィヨルドを白い大きな船がゆっくりと通りすぎる。 

時どきさあっとくる雨はすぐに止んで天気は回復。

町を離れると歩いている人に殆ど出会わない。

でもなんと人々の暖かいこと、全然知らない人でも、

ちょっと恥かしそうに笑う、この眼差し何とも言えない。

 

毎朝ブレックファーストにサーモンがふんだんにあった。

あまりおいしいのでランチにして、出かける時持って行った。

22日

完全Offの日、ゆっくり休んだ。

まあ、まるで避暑地にきたみたい。

早朝窓を開けたら、小鹿が2,3匹敷地の中を走りぬけていった。

 

この日オスロでテロ事件があったとは露知らずだった。

ジョン・サーマンが次の日の記者会見に間にあわず、

中止になったのはそのためだったとあとで判った。

  

23日

モルデの教会で夜おそく待ちに待った

ジョン・サーマン(ss,bs,bcl)を聴く。

もう昔のような烈しい演奏ではない。

イギリス人だがノルウェイに永住権を取った世界的な人。

オスロではdeep peasonと言われる程、尊敬されているという。

教会音楽にふさわしいピュアな音色、楽器持ち替えながら。

デイブ・ホランド(b)は今回メインゲストとして選ばれた。

静謐な音さながらの紳士でした。

チュニジアからという民族楽器奏者とのトリオだった。

心が洗われるよう。ここまでやってきた甲斐があった。 

ジョン・サーマンにサインをもらおうと、終演後待っていた。

とても気さくな人、まるで近所のお知り合いみたい。

彼の大事な楽譜を知らずに間違って持ってきてしまった。

すぐに気づいてあわてて追いかけてきた。

そのときの様子、とてもとても感じがよかったのです。

笑いながらありがとうと言った。 

 

24日

モルデを発つ日、立ち去りがたいほどフレンドリーな街だった。

オスロ行きの機内で、カーステン・ダール(p)と同席した。びっくり。 

 

パリに戻り、元気のいいお兄さんのいるレストランで食事。

  

25日

モンパルナスを廻る。

 

途中、ベンチにいたおじいさん、ジャポネ、と言ったらフクシマと。

おばあさん達がおしゃべりしていて、ソフトクリームをくれた。

一日ここにいるのか。なんか孤独なものを感じてしまった。

夜はレオン・パーカー(ds)のライヴへ。

 

翌日、タラップをひとつひとつ登って羽田への帰路についた。