日曜日のひとりごと 2007

 

12月30日(日)

今年もあと一日で終わろうとしている。

ふり返って本当に幸せな毎日だった。

涙が出そうになるほど幸せだった。

しかしこれから先は、どうなるかわからない。

一寸先は闇だから。

Happy ageing という言葉とても気に入った。

これでいこう。

広い銀河の中のたった一つの地球という星に

生をうけて命をもらったのだもの、

生きているうちに誰かの幸せのために

何かしなければ。

この店でできることをしていこう。

34周年のパーティ楽しかった。

それは皆、本音でしゃべったから。

ああ、来年もすばらしい出会いがありますように。 

 

12月23日(日)

先日連絡が途絶えていた60歳近くの

男性が何年かぶりで来店した。

聞けばフィリピン女性と結婚して

現地と日本を行ったり来たりしているという。

よほど結婚したかったようだ。

日本人はまだまだ結婚願望が強い。

結婚しなければ一人前ではないという

考え方が相変わらず根強い。

しかしやっと結婚にこぎつけると安心してしまうのか、

どっかりとあぐらをかいてしまう人が多い。

進んでいるフランスのように籍など入れないで

お互いにパートナーとして協力しあっていく、

そんな考えを持つ日本女性が増えている。

(あくまで女性です)

これからは結婚がすべてという生き方が変わっていく。

この男性、しがらみの中で自立した生活ができるのだろうか。 

 

12月16日(日)

山田洋次監督の時代劇2作目、

“隠れ剣 鬼の爪”を観た。

この3部作は全部見ようと思っていたので。

どの作品も同じような内容だが下級武士の生活が

リアルに描かれていて毎回興味深い。

同僚が上役の派閥に巻き込まれ無残にも

投獄され、あげくの果てに上司の命令で

その友達を切ることになってしまう。

こんな矛盾だらけの汚い武士社会はもういやだと、

刀を捨て、下女だった娘と平民の生活に入る決意をする。

庶民の生活が一番自由で幸せだと云っているようだ。

今の世の中をそのまま時代劇にしたよう。

しかし主演の二人が会わないような気がする、残念。

3部作の中では最初の“たそがれ清兵衛”が一番。

ちなみに3番目は“武士の一分”です。

 

12月9日(日)

昨日はお茶をした帰り、久しぶりに

下北南口の裏通りを歩いてみた。

陸橋を渡ってマサコ(ジャズ喫茶)の前に出た。

マサコはもうないよと言った人がいたが、

女性が“営業中”の看板を出していた。

いいかげんなことを言う人が多い。

30年来の友達の家の前に来てびっくり。

いつの間にかすぐ隣にカフェらしきものがオープンしていた。

その隣には、はでばでしいイタリアンレストランが旗をなびかせている。

友達は、夜遅くまで騒々しくて寝つかれないと言っていたが、

この周囲の変わりよう、ひどい!!

樹木に囲まれたすてきな友達の住まいも、

まわりにきゃぴきゃぴとした店がどんどんできて、

昔の面影はない。

営利ばかりを追求する店が氾濫する

こんな下北のどこがいいの?

 

12月2日(日)

手紙を書くのが好きなのです。

もう着いたかなと思いめぐらす時、すごく楽しい。

8年間も手紙のやりとりをした人がいた。

楽しかった!!

これだけで私の人生豊かなものになった。

電話やメールがあるのに、私が手紙がベストだといったら、

合わせてくれた。もうこれだけであとは何も望まない。

自分のことばかり主張しないで或るときは、

相手に合わせることも出来る人に。

いざと云うときに自分で決断が出来る人に。

手紙のやりとりは終わったけれど、

数々の想いを残してくれた。

電話やメールでは表しえない日本語の微妙なニュアンス、

日本語のすばらしさを改めて知った。

これからも手紙書こう。

 

11月25日(日)

急に寒くなったけれど澄みきった青空の気持ちのいい日、

店の前を掃除していたら、ほんの30分位の間に、

5・6人の人達に声をかけられた。

皆近所の人ばかりだったけれど。

(一人は向こうは知っているらしいけど何処の人か分からなかった。)

おはようとか、寒くなったね、元気だね等々、

ほんの一声なんだけど、何とうれしかったことか。

誰とでもこんなふうに微笑み、声かけをする。

サッチモの”ワンダフルワールド”という曲の歌詞そのままに。

デンマークのコペンハーゲンで出会った人々のように。

最近心が大きく開けてきたような気がする。

凡ての人と仲良く。これが今の私の大きな目標。

”今日はすばらしい!!”

パソコンの調子が悪いので修理にだします。

お休みしたくないので2回分載せます。

 

11月18日(日)

何時のまにか11月に入り今年も又パーティの時期になった。

本当にパーティつづけていくのはむづかしい。

10人が10人店の前を通るたびに、気になっていたというが、

入ってみるととても雰囲気がいいと、どの人も喜んでくれる。

こんな人達がずっとつづけて来てくれたらと思う。

こんな人達がパーティにも気軽に来てくれたらなと思う。

”去るものは追わず、来るものは拒まず”

このことわざ、つくづくすごいと思う。

この中味を完璧に自分のものにしたら、

その先すばらしい毎日が待っている。

今のペースでたとえ2・3人でもつづけていこう。

Posy流のなごやかなパーティにしていこう。

当日は最近うれしかった、楽しかった、感動したことを話してもらおう。

ストーブのまわりで皆で聴くのとても楽しみ。

つづけていけば必ず道は開ける。そう信じている。

 

11月4日(日)

いつもの内科にインフルエンザの予防注射に出かけた。

入口に貼り紙がしてあったのでおやっと思った。

先生の体調が悪いので当分不定期でやりますとのこと。

その日は受け付けてもらったが。

体調が悪いのですかと先生におききしたら、

ああ悪いよ、これが最後のご奉公だよと云われた。

ずきっとして何も云えなくなった。

先生86歳、京大医学部出身、スキーの名手だったそうだ。

若い頃はばりばりとお仕事をなさってきた。

この年で現役の人はもう殆んどいない。

まるで赤ひげ先生のように人々のために働いて来られた。

先生は最後まで人々のためにご奉公しようとして‥‥

私は何をしているのだろう。

ほんの僅かでも人々のために何かしていこう。

来週11日”ひとり言”お休みします。

 

10月28日(日)

テレビで認知症の87歳の母親を連れて、6年前

新潟の田舎からベトナムに移り住んだ(ある村としか判らない)、

日本女性の生活を紹介していた。

親戚やまわりの反対を押しきって始めての外国へ母を連れ出したのだ。

日本語を教えながら物書きをしているという彼女、

物価が安くて月10万もあれば家賃を払って暮らせるそうだ。

しかしすごいと思ったのは、彼女が仕事に出かけた後、

母親が一人で村を徘徊するのだが、

村の人々が暖かく面倒をみてくれるのだ。

外国に住んでいることも判らない母親は誰にでも日本語で、

ここは雪が降らなくていいねと話しかける。

路上の床屋のおじさんも家まで母親を送り届けてくれる。

どこかの国ではすっかり忘れてしまった人と人とのふれあい。

とても考えさせられた。

こんな生活ほんものだと思う。

 

10月21日(日)

顔のあちこちにぶつぶつができてしまって、

はじめは蚊に刺されたのだろう位に思っていたのだが、

首や腕にもでてきたので近所の皮膚科にいくことにした。

しかしその医師にはびっくりしてしまった。

もう代替わりしていて(先代はたしか女性だった)

息子だろうか、とにかく大声でよくしゃべる。

ここで300年もつづいている大地主だとか、

自分はとても勘がいいから相手が何を考えているのかすぐわかるとか、

ショックだったのはスイミングはだめと言われた事、

重病人じゃあるまいし、大学病院でもスイミングは

大丈夫と止められなかったのに。

今の医者は権威ばかりふりかざして知識をふりまく。

どこかのラウンジのようにBGMかけてきれいな女の子をおく。

大学病院の方が待たされるけど、よっぽど確実。

暖かく心ある老先生はもういないのだろうか。

 

10月14日(日)

雑誌にマックス・ローチのマンハッタンの教会での

葬儀の模様が載っていた。

ロリンズが読んだ弔辞に目がしらが熱くなった。

「死ぬ時なんてどんなだっていい。君は今までやってきた

輝かしい業績があるのだから。‥‥‥‥。

何時かあちらで逢おう。」ぐっときてしまった。

晩年はあまりシーンに登場しなかったがどんな最後だったのだろう。

どんな死に方をしたのか想像したくはないのだが、

どっちみち死ぬ時なんてきれいごとではないのだから。

何といっても歴史に残るチャーリー・パーカーや、

クリフォード・ブラウンとの数々の名演。

そして60年代は黒人運動の旗手として。

別れてしまったが、共に”ウイインシスト”というすごいアルバムを

創った私の好きなヴォーカリスト、アビーリンカーンは

大手術の為葬儀には参加できなかったようだ。

 

10月7日(日)

随分永い事お店つづけて来た。

その間にいろいろな人が去来したが、記憶に残っている

思い出をこれからも少しづつ書いていこうと思う。

帽子のお兄さんもその一人、その頃は近くに住んでいた。

もう何十年も前の事。私たちは帽子のお兄さんと呼んでいた。

ひさしの長いキャップをいつも目深にかぶって、

口数少なく、名前も住所も仕事も明かさなかったが、

映画の話は楽しそうにしていた。

いつか大学時代の友達が何人か来店した時にいろいろ知った。

彼に会いに来たがやっぱり会えなかった。

きけば慶応の出身でTBSに入社して一時華やかな

生活を送っていたが、仕事のトラブルが原因で一線から一切

身を引いて友達とも付きあわず、ひっそりと暮らしているという。

ちょっと屈折していたけれど魅力的な人だった。

今どうしているのだろう。

 

9月30日(日)

この間15歳の少女が警察官の父親を

斧で打ち殺すという事件があった。

お父さんが嫌いだからという理由で。衝撃的だった。

最近肉親の殺人事件がすごく増えたように思う。

しかし少年少女の殺害事件って殆ど、

家庭内のトラブルが原因のようだ。

子供をこんなふうに駆りたててしまう親達、

一生懸命育ててきたつもりでも、

親の生き方がもろ子供に影響していると思う。

経済をもっともっと成長させて、豊かになろうと、

競争社会に巻き込まれていく親達、

子供を社会のレールに乗せようとして、

子供の気持ち全く判ってあげられない。

ほんとうに自分にとって幸せとはなんだろう。

親も子供も真剣に話し合えたらどんなにいいだろうと思う。

 

9月23日(日)

オマー・シャリフが遥か彼方、砂漠の蜃気楼の中を、

らくだに乗ってゆらゆらと点のようにみえはじめる、

昔観た映画で感激したものはそっと心に閉っておこうと

思っている。今観てがっかりしたくないから。

しかし、アラビアのロレンスのこのシーンをもう一度観たくて‥。

観始めたらなんと3時間半の本編におまけがついて

結局全部みてしまった。

しかしこのシーンやっぱりすばらしい。

この場面を観て映画に開眼したという人がいたが、

わかります、やっぱりすばらしい!!

映画の面白さってこれですよね。

デビット・リ―ンのような監督はもうでないだろう。

この撮影当時の裏話、年輪を経た当時の俳優が出てきて、

思い出話をするのがとても興味深かった。

しかし映画は大きなスクリーンでみたい。

 

9月16日(日)

スイミングは生活の一部となっているので、

とりたてて云うこともないのだけれど、

このところバタフライがとても気持ちよく泳げるようになって、

とても嬉しい。小さなことだけど。

もともと運動神経のあるほうではないので、

いわれてもすぐ出来ない不器用者。

お魚のようにゆったりときれいに泳ぎたい。

力をいれないであれこれ自己流にやっていたら、

ふっと気持ちよく前にすすむようになった。

私の知り合いにスポーツ万能、何でもすぐ出来てしまう

人がいるがそういう人に限って続かない。

兎と亀。これってほかの事にもあてはまるのでは。

やり続けているとiいつか必ず出来るようになる。

それが駄目でもそのまわりに必ず光が。最近つくづく思う。

 

9月9日(日)

中上健次の”岬”という小説をひょんなことから読んだ。

そんなに長い小説ではないけれど読み始めたら止まらない。

といってもすぐ疲れるにで一気にというわけには

いかないのだけれど、結局2回も読んでしまった。

すごい。たしかにすごい !!

複雑な親子兄弟姉妹の関係が入り混じって

その一人一人が方言も含めてとても見事。

中上健次自身の郷里紀州を舞台に血のしがらみに

閉じ込められた作者のもがき苦しみや

この家族のとても入り組んでいる関係、

分かりにくいのだけれど、文体の鮮やかさに圧倒される。

このなかには出てこなかったが、

彼自身が部落民であることを赤裸々に書いて欲しかった。

今も書き続けていたらどんなだろうと思う。

おそまきながら感動ものでした。

 

9月2日(日)

先日ビル・エバンスの3枚組CDビレッチバンガードの

有名なライブのコンプリート盤を聴いた。

前から持っていたのだけれど改めて聴いてみた。

これは当日昼から夜にかけての演奏を

そのままCD化したもの。

だから一時停電になって音が中断したり、お客も少なく、

拍手もまばらな店内の様子が伺われる。

まさかこの日のレコーデングが後の名盤になるとは、

誰も予想もしていなかったに違いない。

スコット・ラファロのベースが強調されているのは、

アナログでも感じていたが、まるで左のスピーカーが

震えているのではと思える程びんびん響く。

これって意識的にベースを前にもってきていると思う。

アナログではたしか店内でのグラスのふれあう音や、

笑い声が入っていたと思うが。アナログの良さ改めて感じた。 

 

8月26日(日)

先日何年も前からいらして下さっているお客さんから

手づくりの大きな花柄のブラウスと黒のスパッツを頂いた。

突然の事なのでびっくりしてしまった。

そういえば,B・W・Hのサイズを教えてといわれた事があった。

ご自分で何でも作ってしまうけれど

仕事にするのではなく、お友達にいろいろつくってあげて、

喜んでもらえるのがうれしいとのこと。

うれしかった、心からうれしかった、人の心が。

そして今度はピンクのTシャツと白のカーディガンを作って下さるという。

人とのふれあい、すべての人との喜び、またひとつ気づかせてもらった。

追伸

8月15日マックス・ローチが亡くなった。

今月の一枚に書いたばかりなのでびっくり。

ジャズの歴史を創りあげてきた偉大なミュージシャン。

ジャズのすごさを伝えていく使命感みたいなものが‥‥。

 

8月19日(日)

クリント・イーストウッドの初期を知りたくて、

”荒野の用心棒”をやっと探して見た。

泥臭くてめちゃめちゃばかばかしい

娯楽作品だが、中々おもしろかった。

今の彼からは想像もできないが。

今も映画に情熱を燃やし続けるクリント・イーストウッド。

1930年5月31日アメリカサンフランシススコ生まれ。

テレビシリーズ”ローハイド”で知られるようになり、

”64年イタリアに招かれて主演した”荒野の用心棒”が大ヒット。

夕日のガンマン”等によりマカロニウエスタンブームに。

71年アメリカ映画”ダーティハリー”でトップスター。

その後”許されざるもの”でアカデミー作品監督賞。

恐怖のメロディー、バード、マディソン郡の橋、

ミリオンダラーベィビー、硫黄島からの手紙等。

これからもずっと、この人の作品を見つづけていこう。

 

8月12日(日)

どこかのニュース欄に載っていたが、

京都にある町屋風の旅館が、

建物や雰囲気を大切にして昔のまま使っているが、

エアコンを使わないのでお客さんに納得して

もらえないだろうと8月一杯お休みすることにしたそうだ。

すごい!!旅館のポリシーを守るために、

旅館お休みにしてしまうなんて。

POSYもポリシーをもってクーラーからファンに切り替えたが、

今のところ何も言われていない。

エコライフ、省エネ‥‥環境問題はこれから、

どんどん身近になっていく。

打ち水とかエアコン28C設定とかいろいろいっているが、

もう一度原点に返って

人間とし自然のこと考えてみたい。

 

8月5日(日)

大事に大事に扱ってきたクーラー(GI)の寿命がついにきた。

先日スイッチを入れたとたん、

ボンと大きな音がして動かなくなった。

もう終わりだろうと覚悟はしていたが愛着はひとしお。

今でもはっきり思い出す、この店のOPENの時、

来店したお客さんがひやっとする位

強力なのを入れてくださいと

電気屋さんに頼んだのを覚えている。

昔の製品は今の物と違って丈夫に出来ている。

随分長い間活躍してくれた。

人間がだんだん弱っていくように

物も少しづつ少しづつ弱っていく様子、

同じだなーと思う。

33年9ヶ月、ほんとうにありがとう。

これからエコライフでいこうと思っている。

お客さんが納得してくれるかが心配。

 

7月29日(日)

前から観たいと思って観逃していた

フランス映画フランソワ・トリュフォー監督の

”ピアニストを撃て”を観た。

シャンソン歌手のシャルル・アズナブール主演(1960年)

昔観た”大人は判ってくれない”がすごく印象に残っていたので、

次の作品を期待していたのだが‥‥‥

トリュフォー監督自らがアメリカの犯罪小説をもとにしているが

これはお遊びの映画だといっている。

そう思ってみれば確かにストーリーは余り関係なく、

世界的に有名だったピアニストだった男が

今はしがない安酒場のピアノ弾きになっている。

積極的に仕事も恋もできな内気で臆病な男、

アズナブール適役、歌は全然歌っていないけれど。

この頃のパリの街角、ちょっと暗めなモノクロ画面すごくいい。

しかしこの作品はトリュフォー監督のおとぎ話かもしれない。

 

7月22日(日)

新宿梁山泊の女優さんだった秋元けいこさん、

もう何十年も前からのお知り合いだが、

今は映画や演劇の製作プロジューサーのお仕事をしている。

最近来店したときに今の仕事が自分に

一番向いていると自身をもって言っていた。

私も自分に一番向いているのはこれだと思うようになった。

やりたいことが必ずしも向いているとは限らない。

好きだからやりたくてやってみて初めて判ることだが、

やってみて向いてないと思う事もあった。

今の仕事をやっていく中で自分が一番向いているのは、

派手に人の前で何かすることではない、

自然のままにやってきたらこんな店になっていた。

これからも来店したお客様が

ほっとして心が満たされるようなそんな店にしていこう。

私のライフワークです !!

 

7月15日(日)

最近もったいないという言葉よく聴かれる。

アフリカ・ケニアの環境大臣がこんないい言葉はないと

テレビで何度も云っていた。

貧しい国の人々が今の日本の消費生活を知ったら

ほんとうにもったいないと思うだろう。

敗戦直後、浮浪児のような日本の子供たちが

アメリカ兵からチョコレートをもらっている写真を見て、

今の若者がこれどこの国?と云ったそうだ。

それほど日本が変わってしまって、物質的に豊かになったけれど

そのお返しが肉親の殺し合い、自殺、うつ病、

前にも書いたけれどもうこれ以上の便利さはいらない。

人の心まで失われてしまうような経済成長はいらない。

もっと違うやりかたがきっとある筈。

競争社会からお互いに支えあうワークシェアの社会へ。

そういう考えの人々が増えていってほしい。

 

7月8日(日)

マイク・モラスキーというアメリカ人の

「戦後日本のジャズ文化」という新刊を読んだ。

ジャズが日本に入ってきて、映画や小説で

ジャズを題材にしたものがいろいろ紹介されているが、

日本のジャズシーンそのものについては、あまり書かれていない。

現在、日本ではテレビのCMとかラーメン屋などで

BGMでジャズを流し、大うけしているそうだ。

しかし、ジャズはアメリカが生んだ最高の芸術。

中上健二が全身でジャズを浴びたと言っているように、

一時期夢中で聴かなければ、本当のすごさはわからないと思う。

ジャズは今世界中に広がって愛されている。

フランス映画にジャズを取り入れて成功した

ヌーベルバークの素晴らしさ(死刑台のエレベーター、大運河)。

日本ではちょっと考えられない。

ジャズは時代と共に永遠に残ります。

 

7月1日(日)

山田洋次監督の映画「武士の一分」をやっと観た。

この監督は今一番好きな監督なので

欠かさず観ていきたいと思っている。

下級武士3部作の3作目、やっぱり胸がつまってしまった。

とても暖かな人間へのまなざし、

本当にこんな監督が残っていてくれてすごくうれしい。

人間を信じて最後にはきっと幸せになるよと、

云ってくれているような気がする。

私の一番好きな作品は「家族」という作品。

地味だけどこの監督が一番創りたかったのではと思う。

この「武士の一分」でもひたむきに生きる人々を

描きつづける山田洋次監督。

日本の良心です !!

(主役の女優さんいいですねー、

うしろ姿の楚々とした感じ、あのうなじの色っぽさ)

 

6月24日(日)

立子山アナウンサーの思い出。

今年は年賀状来てないなーと思っていたら、

暫くして息子さんからお知らせがあった。

去年の暮れにお亡くなりになったそうだ。

まだまだお元気だと思われたが,

NHK505スタジオのライブにいつも誘って下さって、

デュスコ・ゴイゴヴィッチにも逢うことが出来た。

デュスコの写真持っていきますと言っていたのに。

お店のパーティにも来てくださり、

お寿司とジャズという組み合わせが面白いと云って、

小笹にいらした時は必ず寄って下さった。

ラジオ深夜便ではアンカーコーナーで

ご自分の好きなミュージシャンとよく対談してらした。

おそくなってしまって本当に申し訳ありません、

心からご冥福をお祈り申し上げます。

 

6月17日(日)

最近お店の前を自転車で通る人がすごく増えたと思う。

狭い道路を全然スピードを落さないで通り過ぎる、

歩いている時もこちらが体を縮めてよけてしまう。

事故にならないのが不思議なくらいだ。

何年か前猛烈に走ってきた自転車に

お店の看板がぶつけられて横倒しになったことがあった。

幸い中の蛍光灯が粉々になったけど

外側のビル・エヴァンスとルイーズ・ブルックスは無事だった。

しっかり作ってあったからほんとによかった。

それからは向かい側に自転車を止められても

その分道が狭くなるので又ぶつけられるのではとびくびく。

北欧の小さなジャズ大国デンマークでは

大臣自ら省エネのため自転車で通っているという。

勿論ちゃんとした広い自転車専用道路があっての事ですが。

進んでますね !!

 

6月10日(日)

昨日パリの鳴海さんから絵葉書が届いた。

現在モンマルトルの画廊で個展をOpenしたばかりとの事。

やりましたね!!

世界中から集まる新進気鋭の画家たちの間で、

チャレンジしてみようと云っていた彼女。

はっきりと実行したのだ。

すごいことです。

自分のやりたいことを真っ直ぐ行動に移せる人大好きです。

どんな結果になろうとも応援します。

ぎんぎんの前衛作品。

ほんとうに眼を瞠るばかり。

こんな素晴らしい人に出逢えてとてもうれしい。

大事な場面では覚悟を決める事。

こんな言葉を彼女からもらった。

早速激励の言葉送ろう。

 

6月3日(日)

スイングジャーナルに”スイング”という店のことがのっていた。

この記事は昭和32年頃の話。

渋谷の道玄坂を登って百軒店を右に上がっていくと、

ディキシーランドジャズを聴かせる店があった。

当時40台で恰幅のいいマスター(でも愛想はわるい)と

若いきれいなウエイトレスがいた。

(当時奥さんだったと言う。初耳)

もうこれだけ読んだだけで宮沢さんだと判った。

私がマスターを知ったのはもっとずっとあと。

最近の彼はとても痩せている。

でもサスペンダーのズボンに粋なソフトを被ってとてもおしゃれ。

最近お会いしたときはジャズビデオを上映する店も閉めていた。

又必ずやるよと言っていたが‥‥。

あんなふうになりたいなと目標にしていたのに。

今どうしているのか消息がわからない。

 

5月27日(日)

スイミングをずっとつづけていて

最近はたと気がついた事があった。

ロビーや更衣室などでよく声をかけられる。

ゆっくりと止まらないでながーく泳いでいる人でしょ?と。

たしかに休まないで泳いでいるので隣に居あわせた

人と余り話をする時間がないけれど。

でもそう云われてすごくうれしい!!

誰彼なくAFTER,YOUで泳ぎたい。最高に気分がいい。

出来ない部分が出来るようになりたい。

それだけでつづけている。

時々昔の知り合いから最近飛び込みはしないの?

と聞かれるけれど、一応出来るようになったので

今は辰巳国際水泳場にはいっていない。

ゆったりときれいに、いつまでも泳ぐ。

私の生きかたすべてに通じている。

これからもずっとこのままいこう。

 

5月20日(日)

今日は下北名物みたいな豹柄おばさんの事書いてみよう。

もう何年も前から相当目立つ存在で、

よく駅前やスーパーで見かける。

胸のぐっと開いた黒の長いドレスに黒のサングラス、

そこにつばの広い大きな黒の帽子をかぶって、

冬はそれこそ豹柄のロングスコートに豹柄のバック。

豊満な体をゆさぶりながらその辺りを闊歩している。

その彼女が或る日足をひきずりながら、

杖をついて歩いているのに出会った。

お化粧もしないで髪はぼさぼさ、

とても寂しそうな様子だったので遂声をかけてしまった。

訊けば階段ですべって骨折したのだとの事。

よかった老化現象ではなくて。一人暮らしみたい。

昔、ダンサーでもしていたのだろうか。

急に親近感を感じた。

 

5月13日(日)

或る人が一番好きな映画だと云っていた

ロバート・デニーロ監督の“ブロンクス物語”という映画をみた。

1960年代、アメリカが黒人問題で騒然となっていた頃

ブロンクスの町のバスの運転手をしている父と

つつましいアパート生活をしている母と

3人で暮らすイタリア系移民の息子の物語。

町の中はニガー、シロと烈しい憎しみと罵り合い。

顔役のボスに憧れる息子と堅実に生きる

父親(デニーロ)との葛藤が描かれる。

この映画はロバート・デニーロ・シニアに捧げたもの。

デニーロはシシリア系のブロンクス生まれだったんだ。

この頃のブロンクスの町、こんなだったのかと

思わせる雰囲気、音楽とてもいい。

しかし、燻ぶり続けているという黒人差別、

今もこれにたずさわっている人々本当にすごい。

 

5月6日(日)

先日すばらしい五月晴れの一日、

恒例のペンキ塗りをした。

ずいぶん長い間毎年つづけているのだけれど、

気力はあるがだんだん体力の方が‥‥

今年はちょっと雰囲気を変えてみようと、

つや消しのヨーロピアンブラックの塗料に替えてみた。

最初は手や服を汚すまいとおもって、

気をつけながら塗っているけど、そのうち、

だんだん、いろいろな所につきはじめて、

もうどうでもいいやと大胆になる。

しかし、乾いて出来上がった所をみて仰天!!

すごくシックですてき。大成功!!

これだから大変な作業だけれど止められない。

楽しい楽しい一日でした。

素人には素人の味がありますものね。

 

4月29日(日)

クリント・イーストウッド監督の”硫黄島からの手紙”をみた。

日本映画かなと思ってしまうほど日本人の心感じる。

全員玉砕を命じられ最後に総攻撃していく。

故郷への手紙を残して。

戦闘場面の大迫力と共に届かなかった手紙の

一言一言が心に残ります。

クリント・イーストウッド監督76歳、すばらしい !!

ダーティハリー、ミスティ、バード、

マディソン郡の橋、ミリオンダラーべイビー、

彼の作品はこれからもずっとみていくつもりだけど、

私が心の中にいつまでもしまっておきたい、

そんな作品は、マディソン郡の橋。

あんなに何年も思いつづける恋、大人の恋。

今も雨の中で出会うシーン二人の顔思い出す。

まだまだ恋愛映画作ってほしいです。

 

4月22日(日)

今から30年も前、お店の近くにとてもいきいきと

暮らしていたお兄さんの事を思い出した。

(お店ではお兄さんと呼んでいた}

生活していくために最低5時間のアルバイトをして

あとの時間は自分のやりたいこと、

フランス語を勉強していた。

3畳のアパートでお米やパンは買わないで、

いろいろなものを入れたお好み焼きみたいなものを主食に

今で言うワーキングプアーのような暮らし、

でも心はすごく自由、ストレスなんかみじんもなかった。

世界貧乏旅行に行くと言っていた。

今もどこかであの生き方していて欲しい。

格差の広がる今の世の中、

お金のために我慢ばかりして、

ストレスだらけの人びとばかり、絶対おかしいと思う。

 

4月15日(日)

フランスの大統領選挙がもうすぐ始まるが、

社会党からロワイヤルさんという女性が

立候補していて話題になっている。

とても興味をもったのは、彼女は4人の子供を育て

大臣も何回もやっていて、同じ党の書記長をしている

パートナーがいる。(52歳きれいな人です)

一緒に暮らしているけれど籍は入れていない。

こういうスタイル、フランスでは結構見かける。

素晴らしいと思う。

日本人はすぐ結婚したがる、特に女性は籍を入れると

もうそれですっかり安心してしまう。

結婚に対する考え方、フランスでは、かなり進んでいる。

結婚という形をとらなくても、離れて暮らしていても、

しっかりと繋がっているカップル。最高です。

 

4月8日(日)

風邪がなかなか治らなくて、再度診てもらったら

気管支炎だと言われてしまった。

今までとても元気で病気らしい病気したことが

なかったのでちょっとショック。

何が一番辛いかって、お店の事以外に

自分で決めた事を毎日やっているのだが、

それが全部出来なくなってしまうこと。

でも一日寝ているのもある意味でいいかなと

思ったりする。いろいろ考えたりできて。

今まであれもこれもとやりすぎてきたのかもしれない。

何十年もやってきてほとんど習慣になっている。

少し休んだってどうということはない。

そしてお店もマイペースでやっていこう。

喜んでくれる人がいる限りつづけていく。

世の中どんなに変わっても。

 

4月1日(日)

今日から4月、ほんとに1ヶ月たつのは早い。

丸4年ひとりごとを書き続けてきた。

我ながらよく続いたものだと思う。

自分の感じたこと思ったことを、そのまま、いつもいつも、

ストレートに簡潔に書き続けてきた。

今日は満開の桜を眺めに駒場方面まで出かけた。

この頃になって、やっと桜のひとひらひとひらを、

じっくり慈しむことが出来るようになった。

桜の樹木にも寿命があるように、

人間の命にも限りがある。いつか壊れていく。

最近とみに実感として感じられる。

皆いつかはこの世からいなくなる。

だからこそ、僅かに出会った人々との出会いを大切に。

すべての人々と仲良く。

ストレスのない生き方、私はやっていく。出来るのだから。

 

3月25日(日)

昨年暮れに亡くなった”葬送の自由を進める会”の会員で

劇作家の木下順二さんのさんの事が会報誌に乗っていた。

知人に送られた手紙の内容の一部をそのままに。

「自由に生きたものとして死後も自由でありたい。

この会のあり方にそって自分の通夜、葬儀、告別式など

一切行ないません。

この手紙をお受け取り下さった方々、おひとりびとりの

自然なお気持ちに添って、一度だけ

しばらくく故人のことを思って頂ければ幸いです。

そのような次第ですので、御香料、その外も勝手ながら

花一りんと言えども御辞退申し上げます。

このお知らせに対するお返事、御弔辞なども

一切御無用とお考えください」

私は深く深く感じた。

その後希望どおり大海原に葬られたようだ。

 

3月18日(日)

ご近所に伊藤文学さんという方が住んでいらした。

地元の人で昔からよくお店にも来ていただいた。

”薔薇族”という月刊誌をずっと出版して、

陰湿な同性愛の世界をもっとオープンに認めていこうと、

いろいろ活動していらしたが(本人はゲイではない)

先日そのお宅の前を通り過ぎようとしたら、

お家がすっぽり影も形も無くなっている。

急に更地になってしまってどうしたのかと‥‥‥

きけばブログにその事を詳細に載せているようだ、

(まだ読んでいないが)

先祖代々のご自分の家を手放してマンション暮しに。

事業の失敗ってほんとに怖い !!

とても気さくな方で今度の事もいろい書いていらっしゃると思う。

読んでみよう。急に親近感を覚えた。

なかなか話せる人です。

 

3月11日(日)

ホテルの部屋にはキッチンがついていて、

向かい側には大きなスーパーがあるので

いろいろ買ってきて料理をする。

遠くビル街が霞んで見える。

セントラルパークの人気のない雪景色。

こんなにゆったりとした旅は初めて。

最後の夜はジャズ・スタンダードへ(気取らなくてとても感じのいいお店)。

アーネステン・アンダーソン(ⅴo)がよちよちと

手を引かれて現れたときは本当にびっくりした。

ほとんど歩けないのに腰をかけて唄いだすと、さすが、すごい。

往年のアーシーな輝きがフロア一杯に。

最後の最後まで唄いつづけようとするその姿勢、とても感動した。

流麗なフランク・ウエス(f・ts)のフルートも健在だった。

雪の中で転んでしまった時、すぐ手を貸してくれた女性。

場所を尋ねたら、向こうの席の人にまで聞きにいってくれた男性。

今回初めてニューヨークの人々の、ありのままの姿を見たような気がした。

 

3月4日(日)

3日目ジャズギャラリーに出かけてみたが、

お目当てのスティーブ・コールマンは案の定いない。

仕方なく先日お茶を飲んだリンカーン・センターの中にあるデイジーズ・クラブへいく。

マンハッタンの夜景が一望に見渡せる、すばらしいクラブだったが‥‥。

次の日のマンハッタン・ジャズスクールのキューバンジャズオーケストラ、

上手い下手はともかく、学生バンドって一途ですごく楽しい。

最後は観客もステージに上がって踊りだし大盛り上がりとなった。

14日はロスへの異動の日で早めに空港に出かけた。

ところが大ハプニング!!

大雪のため国内線はすべてキャンセルになってしまった。

突然の知らせにあたふたとカウンターにかけつけて交渉する。

結局ロス行きは中止、またニューヨークに留まることになってしまった。

昨夜からの大雪、はんぱじゃない。

くやしいからその夜、ジョン・ゾーンのぎんぎんの前衛ジャズを聴きに。

来週まで続きます。

 

2月25日(日)

2月10日から9日間、ニューヨークへジャズを聴きにいってきました。

急に決まったことなのであわただしく準備する。

冬のニューヨークは氷点下、とても寒い。

A列車でアッパーウエスト、ホテルのある72thへ。

ジョン・レノンが撃たれたダコタハウスの前を通りぬけて着いたその夜、

”バードランド”へジョン・チカイ(as)を聴きにいく。

歴史的名盤、コンテンポラリーファイブが頭に浮かぶ。

故郷デンマークでは国民的英雄だというジョン・チカイに会えて

しっかりと握手、とても感じがいい。

2日目、フリー情報誌で見つけたジャズコンサート、セントピータース教会へ。

ビリー・ハーパー(ts)、レジー・ワークマン(b)、

スタンリー・カウエル(p)、ビリー・ハート(ds)。

この値段(20ドル)で、これだけの熱いライブが聴けるなんて大感激。

終わってからも観客と一緒に話し合っている、とてもフレンドリー。

ガードの固い日本のライブコンサートでは、とてもお眼にかかれない風景だった。

やっぱり本場に限りますね。

来週へつづきます。

 

2月4日(日)

夢をかなえるって小さなことでも

その人にとってはとても大きなことなんですね。

ある人が学生時代、自由劇場の“上海バンスキング”

という芝居を観てすごく感激。

一度でいいから主演の吉田日出子と同じ舞台に

立ちたいと思うようになった。

就職してトロンボーンを始めて何年かたった頃、

自由劇場の演出家、串田和美に何度もかけあったが、

何度も断られ、それでもあきらめなかった。

その熱意が通じたのか、自由劇場が解散する最後の日、

吉田日出子が唄うその横で、一分間トロンボーンの

ソロを取ることができたそうだ。

20年以上もねばったんだね。

こんな夢ってとてもすてき !!

(“ひとりごと”都合により2回お休みします)

 

1月28日(日)

先日NGOの仕事をしているという2人連れが来店した。

男性は50歳でサラリーマンを辞めて、

発展途上国46ヶ国を飛び回っているという。

井戸を掘り学校を建てているが、その後のケアが

むずかしく、いろいろ問題はあるようだ。

女性はカンボジアの仕事をしていて、

少女達が人身売買をされる事実を熱く語った。

最初買うのはなんと金持ちの白人。(日本人もいるそうだ、許せない)

1000ドルでいまだ子供のような少女を買って、

さんざんポルノに収めたり、弄んだりしたあげくまた別の人に売る、

そして最後はエイズをうつされて、ぼろぼろになってしまう。

手を差しのべても、もう心まで汚れてしまっているという。

この貧富の差なんとしてでも、なくしていかなくてはと思う。

奮い立つ思いで訊いた。

 

1月21日(日)

マイケルブレッカーが亡くなった。(1月13日)

NHKのニュースで知ってほんとうにびっくり。

(グラミー賞を何回もとっているという。)

昨年マイケルブレッカー倒れるという記事が出た。

白血病のため、確か特殊な血液が必要で、

奥さんがこの血液を求めて世界中に呼びかけていた。

私は3度も彼のライブをききのがしてしまった。

スイスのモントルージャズフェスでまだブレッカーブラザースの頃、

東京神田のライブハウスに予約までしていたのにいけなくて、

ノーシスージャズフェスでは(オランダ)プログラムには

のっていたのにこの時すでに闘病中だった。

今度こそはと思っていたのに。

フュージョン時代はあまりきいていなかったけれど

晩年はストレートアヘッドなジャズにシフトしはじめて、

いつの間にかジャズ界の大御所に‥‥

57歳、これからだというのに。

 

1月14日(日)

今週精密検査のため、東京医科大学病院に出かけた。

この店を始めてから、病気らしい病気をしたことがなかったが、

町医者では分からなかった原因がはっきりと分かった。

さすが大病院の専門医!

そして受け付けてくれた内科の先生の感じのいいこと。

大学病院というと”白い巨塔”(日本映画)に象徴されるような

派閥の中で患者をモルモットのように扱うという

冷たいイメージがあったけれど大違い。

すべてが機能的で、すべての流れがスムース。

町医者には町医者の良さがあるけれど

やはりおかしいと思ったら早く決断すべきだ。

後は安心してお任せしようと思う。

ちなみに私は病気の話は好きではありませんが。

 

2007年1月7日(日)

HAPPY NEW YEAR

私の年末年始はいつもと同じです。

その時居合わせた人達とカウントダウンをして

朝を迎える。

ここ20年来、毎年歩いています。

(プールが休みで淋しい)

1日は砧ファミリーパークへ、結構な距離です。

2日は代々木公園へ、静かな裏道を行く。

3日は鍋島公園を経て東大キャンバスへ。

4日は駒場公園周辺へ‥‥。

広々として人影もまばらな公園、とても清々しい。

今年も達成感でいっぱい。

今年は人に合わせられる、そして決断することも、

相手をおもいやる柔軟性も、etc‥。

精一杯毎日を生きよう。