アンティーブジャズフェスティバルとフランス・スペインの旅  

 

2008年7月、フランス、スペインを旅しました。

かなりきついスケジュールだったので、無事に行って来られるだろうかと緊張とわくわくのスタートでした。

  

燃油が高騰している為直行便を避けて北京経由でパリへ。

シャルル・ドゴール空港から長距離列車TVGに。

列車の中ははしゃぎまわる子供達と家族でいっぱい。

 

パリは7月14日の独立記念日のあと一斉にバカンスに入った様子。

カンヌで乗り換えローカル線で最初の目的地アンチーヴへ。

アルバムのライヴ盤などでよくatアンチーヴと書かれていて、どんなところか何時か一度訪れてみたいと思っていた。 

何時か一度はと思っていた南仏のコートダジュール高級避暑地、とうとうアンチーヴにやって来ることができた。

道を訊ねた時、若い清掃員のどんな時でも幸せでいられるみたいなこの上ない笑顔に出会った。幸先いい予感。

 

南仏コートダジュールの海辺、地中海の遠く向こうはアフリカ大陸。

ピカソが愛したというこの地には城壁に囲まれたピカソ美術館がある。

マルシェ(市場)で買い物をして旧市街をゆっくりと歩いた。

 

 

今年48年目になるというアンチーブ・ジャズフェスティバル、今までいろんなミュージシャンがここで演奏したのかと感無量。

以前出かけたモントルージャズフェスでもそうだったが、ジャズだけではなくだんだんワールドミュージックになっていく。

最初から判っていたのでこの地を踏みしめることが出来たことで、もうそれだけで胸がいっぱい。達成感 !! 

 

 

翌日は少し離れたプロバンス地方のエクサンプロバンスへ。

いかにもセザンヌが描きそうなこんもりとした緑の美しい街。

オープンカフェでウェーターにチップをはずんだら、とても恥ずかしそうな顔をした。パリだけがフランスではない。 

農業国フランスの田舎、人々は皆親切でやさしい。 

 

 

ヨーロッパ内を飛んでいる格安航空機で、マルセイユからスペインのマドリッドへ。

機内から国境を越えていく様子がはっきり見える。

スペインは治安が悪いと聞いていたので地下鉄の中では緊張した。

やっとホテルに到着した。ぐっすり眠ってしまった。

 

マドリットは10時近くまで明るく、スーパーで買い物をしていたら、地下鉄で席を譲ってくれた女の子と又会った。

笑顔がとてもかわいい、もっといろいろ話したかった、一期一会。

マヨール広場はいつまでも夜を楽しむ人々で大賑わい。

 

翌日、ソフィア王妃芸術センターで、スペイン内戦(1936-1939)の記録映画を観た。

ナチスドイツを後ろ盾にしたフランコ政権の圧制に反対して、世界中から集まった義勇兵とともに(ヘミングウェイも参加)、農民も武器を持って立ち上がった。

ゲルニカの大虐殺、マドリッド陥落、生々しい記録映画。

そう云えばチャーリー・へイデン(b)もこの戦争に抗議して、リべレーション・ミュージック・オーケストラというすばらしいアルバムを創った。

 

スペインはジャズはあまり盛んではないようだ。

テテ・モントリュー(p)しか知らない。

 

やっと見つけたライブハウスで、トロンボーンのカルテットを聴くことができた。 

スペイン人はちょっと強面、一見無愛想に見えるが、話し出すとけっこう丁寧に話してくれる。

すっかり安心してしまっていて、マドリッドを発つ朝、地下鉄の中であっという間にスリにあった。

周りには人がいっぱいいたのに、ほんの一瞬の出来事、お見事というほかない。

でも大事なものは身につけていて、盗られたものは、バックの中の薬の袋だけ。よかった。

3人組のスリさんもさぞかしがっかりしたことであろう。

 

マドリッドから列車で30分くらいのところにある、トレドという1500年の歴史を誇る中世の城塞を訪ね、やっと帰路に。 

 

  

パリに戻ったら思わぬライヴが待っていた。 

 

パリはやっぱりジャズが集中している。

セーヌ川のほとりを歩いて、ジャズクラブが多いという賑やかな通りへ。

入り口に本日の出演ピート・ラロカ(ds)カルテットと書いてある。

隣はもう始まっていてジャッキー・テラソン(p)トリオ。

どちらにしようと迷ったが60年代活躍した、ピート・ラロカに決める。

丁度2セット目が始まるところ。

小さなジャズクラブはもういっぱいだったが、直ぐ近くで聴くことが出来た。

ピート・ラロカは1960年代活躍したとても個性的なドラマー。

しかし70年代に入っていつの間にか消えてしまって、風の便りではニューヨークでタクシーの運転手をしていたと聞いた。

すっかり風貌も変わってしまったが音だけは昔のまま。

70歳とは思えない豊かなビートをたたき出していた。

終演後彼のフェイバリットソングだという”レージー・アフタヌーン”。

すごくよかったですよと声をかけてしまった。

旅の終わり、この心の高まり、何にも変えられない。