日曜日のひとりごと 2011

 

2011年12月25日(日)

名画名曲名セリフというラジオ深夜便の番組で、

今月はビビアン・リーの特集をやっていた。

聴いている中にもう一度しっかり観て見ようと思った。

”風と共に去りぬ”この映画はあまりにも有名で、

昔観ているのだが今回改めてこの大作を観た。

何かぴんとこない、だらだらととにかく長すぎる。

原作に忠実なのかも知れないが作り物すぎる。

ビビアン・リー(英国生)はローレンス・オリビエを、

追いかけてハリウッドに渡った、(結婚して子供までいた)

オーディションでこの主役を得て一躍有名になった。

オリビエとは結婚できたが後に別れてしまったとか。

その後精神を冒されて最後はみじめだったという。

しかし”哀愁””欲望という名の電車”よかったですねー。

華奢で透きとおるような美しさ。、すごくすごく美しい

こんな生き方許される人。主演女優賞2回も。

 

 

2011年12月18日(日)

昨日は私の誕生日祝いに帝国ホテルに出かけた。

誕生日を毎年祝ってもらえるこのしあわせ。

ささやかだけれど心からの気持ちが伝わってきて、

最近は感謝の気持ちでいっぱいになる。

昔はよくホテルオークラに年末出かけたものだった。

それは今と違ってものすごい忙しさの毎日から、

解放されたい分刻みの生活から少しでも、

逃れたい、体を休めたい、苦難の日々だった。

あの頃が一番の試練の時だったと思う。

あの頃があって今がある、まるで嘘のよう‥‥

今回は本当にわづかな数時間のくつろぎだったが、

考えられない程ゆったりと過ごすことが出来た。

17階のレストランは予約でいっぱいだったので、

1階ロビーに席をとった。広々とした空間、

静かな時間が流れて‥‥今日はすばらしい!!

 

 

2011年12月11日(日)

今週一人の女性が来店した。

彼女はフリーのフォトグラファーとのこと。

初めて入ったこの店をとても気にいってくれて、

一度写真を撮らせてほしいと言った。

私のいろいろな話も聞きながら撮りたいと言った。

すぐ友達になれそうな気さくな人だったが、

何か気がのらなくて後ほどお断りしてしまった。

それで気を悪くする人ではなさそうだったが、

最初いいですよと言っておいて後で断るなんて。

最近何を決めるにも時間がかかるようになった。

充分考えてからお返事すればよかった。

気になってしまってメールで謝ることにした。

メールアドレスと自費出版した本まで置いていった。

ほんとうにごめんなさい。好意を無にしてしまって。

さっぱりした彼女これから又逢えたらと思う

 

 

2011年12月4日(日)

38周年パーティ無事におわりました。

すごく楽しかったです、皆さんほんとうにありがとう。

未だ余韻が残っていて思い出しています。

今回は新しい人も加わってくれてうれしかった。

いつも必ず来て下さる人、これからきっと来て下さる、

だろう人、スタッフ入れて17人というささやかな集まり。

38年ずっとやり続けてきてほんとによかった。

この日アナログノートに書いてくれた言葉を、

何度も読み返している。年に2度のこの集まりに、

くるのが楽しみといってくれて、ここにくる人たちは、

みんな家族のように思えると書いてある。

うれしい!!凡ての人が家族のようになれたら、

それは私の理想です。まだまだこれからですが。

去るものは追わず、来るものは拒まず。素敵です。

 

 

2011年11月27日(日)

近所の骨董屋の御主人が大きな椅子に

もたれかかるように骨董品の横に

座っていたので、夏の間お店閉ってましたが

と聞いたら、すい臓がんの手術をしてようやく

自宅療養できるようになったと言われた。

まあ何てこと、びっくりです。とてもお元気そうだったのに。

ここの所、体の具合が悪い知人けっこう聞いている。

喉頭がんの手術した人、認知症が進んでいる人、

足の関節が痛くて歩けないという人。

ほんとうにある年齢になるとはっきりと分るのだが、

体力が少しづつ衰えてくるのを実感する。

“今日はすばらしい”この言葉を忘れないようにしよう。

毎週出かける紅茶の店のお姉さんに、

「笑顔がいつも素敵ですね」と言われ、素直にうれしい。

ジャズは私のライフワークです。生き生きと毎日を。

 

 

2011年11月20日(日)

この間お店を開けようと看板出していたら

ばったりとプールでの知り合いの友達に会った。

下北から三茶方面に歩いて帰る途中だという。

あまりの偶然に二人ともびっくりしてしまった。

ここ1年ばかりプールで基本レッスンを受けていたが、

もうあとは自分なりの泳ぎをしていこうと思っていた。

プールで会う友達はプールでの友達だからと

分けて考えていたのでプライベートな事は言わなかった。

しかしこんなことからジャズの店をやっていると

知れてしまって大騒ぎ、特別なことと思っているらしい。

しかしどこででも、誰とでも、凡ての人と仲良くしようという

私の考えは今回まだまだだと思った。

プールだろうが、どこだろうが、そのときの自分で

ありのままの姿でつきあっていきたい。

分けて考えていたこと間違いだと気づいた。

 

 

2011年11月13日(日)

ラジオ深夜便で名画名曲名セリフという番組で、

大学の教授なのだが今迄観た映画の中で、

最も忘れられない映画をそして最近は一人の、

俳優に絞って一時間熱く語るという番組。

ただつらつらと紹介するというのではなく、もう、

その映画のワンシーンを彷彿とさせるような、

たまらない語り口、胸の中にそっと閉っておいた、

あの映画のあの場面よみがえってきて

胸が熱くなってもう一度観ようと思ってしまう。

前回ポール・ニュウマンの特集だったのだが、

彼は中々人間的に立派な人だったらしく、

いろいろな所に寄付をして社会貢献をしたそう。

”ハスラー”の話しがでたのでおすすめかなと、

観たのだがこれ駄目でした、残念です。

”明日に向かって撃て”がすばらしい!!

 

 

2011年11月6日(日)

新しく歯医者を探しているが中々見つからない。

10何年も前に歯医者には行ったきりで、

そこはもう跡形もなくなって空き地になっている。

奥歯がちょっとしみるので軽く診てもらおうと、

家族のいっている歯医者にいったのだが、

どうもこれから長く通う気になれなかった。

下北にも歯医者が沢山出来てびっくりしてしまうが、

どこも最新式ビジネスで落ちつかないのです。

昔の赤ひげ先生の事を今更いうわけではないが、

医師もヘルパーもやたら低姿勢、心が感じられない。

震災以後、人々の心が変わってきたというが、

本当に向き合って心が感じられるだろうか。

今日本だけでなく世界中で何が起こるかわからない。

そのことを自覚して毎日をしっかり生きていこう。

 

 

2011年10月30日(日)

アメリカ映画”愛と追憶の日々”という映画を観た。

この映画は昔観たことがあってシャーリー・マクレーンの、

年を重ねてからの際立ったシーンを覚えていた。

ひょんなことからもう一度観ようかなと思ってしまった。

1983年頃の作品、この映画アカデミー作品だったというが、

はっきり言って見終わってちょっとがっかりしてしまった。

もっと感動的な内容のものかと記憶のなかにあった。

ハリウッド映画らしいといえばその通りなのだけれど、

やたらきわどい言葉が飛び交って、こうゆうのちょっと。

根本的な親子や夫婦の問題描かれていないように思う。

シャーリー・マクレーンも”アパートの鍵貸します”の、

イメージが強くて、この作品からは魅力半減です。

相手役のジャック・ニコルソンの人物像もいま1つ。

キャサリーン・ヘップバーンの”招かれざる客”という、

映画思い出した。格調高くすばらしい作品だった。

 

 

2011年10月23日(日)

今年も又ささやかなお店のパーティの時期になった。

38周年のパーティ今年は11月26日になります。

本当は11月11日が開店の日なのだけれど、

皆が集まりやすい11月の最終土曜日にしています。

ほんとうによくもまあ続けてきたものだと思う。

一年一年よく憶えている、最初は飲めない人には、

ケーキなど出していた、一人一人の顔が浮かぶ。

いろいろあってとても気の重い時ももあったが、

ここまできてこのままいこうと思うようになった。

昔は騒いだりしたこともあったが、今は違います。

今は騒がないでその代り会話が弾んでいます。

とてもなごやかなパーティになってきたようです。

今年は昔からの知り合いのべーシストも来て、

Posyらしい雰囲気で楽しんでもらえたらいいなと思う。

 

 

2011年10月16日(日)

先週の土曜日はEちゃん2人が開店したお店に。

彼女のことは前にも書いたような気がするが。

もう15年も前になると思う。お店に初めて、

現われた時は23才位だったと思う。1人だった。

髪をペコちゃんのように2つに上の方に結んで、

可愛かった。しばらくアルバイトしていたが、

自分のやりたいこと精力的にやりはじめた。

彼女から愚痴らしきこと聞いたことがない。

明るくさわやか、そのEちゃんが辛かった大きな、

病気をした。しかしそのときの苦しさをばねに、

退院後結婚出産そして相手の仕事に合せて、

お店まで出してしまった、そのはやわざ。

この行動力、ランチ注文、彼女は子供を背に、

いつもの調子、大変そうなところなんか全然ない。

人それぞれだけどとても前向き、すてきです。

 

 

2011年10月9日(日)

20年以上も前から時どき見えるお客さんの事。

ラテン系のプロのべーシストだったというが、

今はもうとてもそんな面影は見られない。

ジャズは60年代がくわしく好きなアルバムや、

ライブのこととても楽しそうに熱く話しはじめる。

しかし35・6歳の頃バイクで大事故をおこし、

九死に一生をえてから人生狂ってしまったようだ。

妻子に見放され家を出てガードマンをしながら、

転々としたあげく今は生活保護、そのあげく、

最近腎臓癌の手術をしてすっかりやつれた。

若い頃めちゃくちゃなことしてきた”つけ”が

今回って来たよと笑いながら云っているが、

これからいくらでも気持ち次第で最後に、

やすらかな心豊かな晩年を送れると思う。

無縁にならないよう出来る限り見守っていこう。

 

2011年10月2日(日)

最近久しぶりの友達にばったり逢うことが多い。

この間も信号待ちしていたら大きな声で、

”まま”と呼ぶ声が向こう側から聞こえてきた。

雨が降る寒い日防寒用のレインコートを着て、

自転車を止めている女性をしばらく見つめて、

やっと10年ぶりの彼女だとわかった。

そんなに遠くに住んでいるわけでもないのに、

中々偶然に逢うことは少ないものだ。

”全然変らないわね”と言われて気をよくした。

彼女は親のこと子供のこと自分のこと、

訊きたかったこと一気にしゃべり始めた。

最後にいろいろあったけど楽しくやっているよと。

どんな環境になってもその中に楽しさ見つける、

この人ほんとうの幸せ判ってきたなと思った。

 

”2011年9月25日(日)

東京ジャズサイト”というサイトに東京のジャズの店が、

載っていた。外国人の英語による紹介なのだが。

一軒一軒まわってその様子をランクづけして書いている。

東京で外国人がジャズの店に行きたいと思った時、

便利なサイトになるかもと思って始めたのだろうか。

Posyのことも載っていた。ビル・エバンスの看板も。

一度いらしたのでしょうが話をしていないと思う。

しかし”店内はミュージシャンのサインが一杯はってあって、

年に2・3度も海外のジャズフェスに出かけるというのは、

小さな店の経営者としてどうなっているのだろう、

一度きいてみたいものだ。と書いてあるのです。

(年に2・3度とは勝手に想像したのかも知れない)。

ランクは5.“熱狂的ジャズファン美佐”と書いてあります。

しかし静かなジャズの探求者だといってくれた方がうれしい。 

ジャズをライクワークとしてこつこつやっていきます。

 

2011年9月18日(日)

プールのワンポイントレッスンを終えることにした。

あとは毎回の泳ぎの中で練習していこうと思う。

遅れていたバタフライもやっとリズムをつかめた。

一度つけたくせは中々治らないがもうこれからは、

ゆっくりときれいな泳ぎめざしてしこしこと。

体力も無くなってきているので自分流の泳ぎを。

プールで知り合った友達はプールの友達でいたい。

それぞれ皆生きてきたものが違うのだから。

凡ての人と仲良くしていくのが究極の願いだが、

まだまだ知らぬ間に昔の自分に戻ってしまう。

お店を放したい、しかし全然放していない。

自分でも分かっているのだけれど出来ていない。

しがみつくことではない。羞恥心、プライドが、

なくなった時始めて本当の自分に出会えると思う。

 

2011年9月11日(日)

ここのところ知人を訪ねることが多くなった。

先週の土曜日は近くに住んでいるのに、

随分長い間会っていなかった昔のお知り合い。

今は病のため娘さんとの二人暮らしをしている。

娘さんとは時どき道でお会いしていたが、

立ち止まって話しをするようになったのは最近で、

お母さんは眼が悪く足も不自由で車椅子の様子。

娘さん一人で一日中お世話している。

とてもなつかしがってくれて話がはずんだ。

どんなに精神的にも経済的にも充たされていても、

やはり人間健康が第一だとつくづく感じた。

生涯現役でありたいと思っているのに人事ではない。

お元気だった頃を思い出してとても考えてしまった。

でも娘さんにお世話してもらってとても幸せそう。

心豊かにいつまでもと祈るばかりです‥‥。

 

2011年9月4日(日)

先週の日曜日未だ北欧の思い出も覚めやらぬ中、

葉山の知人を訪ねた。逗子まで湘南ラインで1時間。

何十年も前に行った記憶はあるが、もうすっかり、

忘れかけていて、人気のない海辺に古い家が、

ぽつりと建っていたことしか思いだせない。

しかし現在の葉山ってすっかり変ってしまって。

夏の終わり、海水浴を楽しむ家族や若者でいっぱい。

なだらかな海赤い帆をなびかせたヨットが小さく。

窓から見える景色、相模湾が一望ではなやいでいる。

こんなひとときとてもいい気分、なごやかです。

でも毎日過ごしていたら人が恋しくなるだろうな。

今は毎日が充実しているから、これ以上何もいらない。

今の生活が凡て。でも葉山の1日楽しかったです。

 

2011年8月28日(日)

ジョン・サーマンの話。終演までサインもらおうと待っていた。

とても気さくな人、まるで近所のお知り合いみたい。

彼の大事な楽譜を知らずに間違って持ってきてしまった。

すぐに気づいてあわてて追いかけてきた。そのときの様子

とてもとても感じがよかったのです。笑いながらありがとうと言った。

24日はモルデを発つ日、立ち去りがたいほどフレンドリーな街、

毎朝ブレックファーストにサーモンがふんだんにあった。

あまりおいしいのでランチにして、持って行くことにした。

オスロ行きの機内で、カーステン・ダール(p)と同席した。びっくり。

パリに戻り、元気のいいお兄さんのいるレストランで食事。

翌日、モンパルナスを廻り、夜はレオン・パーカー(ds)のライヴへ。

途中、ベンチにいたおじいさん、ジャポネ、と言ったらフクシマと。

おばあさん達がおしゃべりしていて、ソフトクリームをくれた。

一日ここにいるのか。なんか孤独なものを感じてしまった。

26日、タラップをひとつひとつ登って羽田への帰路についた。

 

2011年8月21日(日)

7月22日は完全にOffの日、ゆっくり休んだ。

まあ、まるで避暑地にきたみたい。早朝窓を開けたら、

小鹿が2,3匹敷地の中を走りぬけていった。

この日オスロでテロ事件があったとは露知らずだった。

ジョン・サーマンが次の日の記者会見に間にあわず、

中止になったのはそのためだったとあとで判った。

23日モルデ教会で夜おそく待ちに待ったジョン・サーマン、

(ss,bs,bcl)を聴いた。もう昔のような烈しい演奏ではない。

イギリス人だがノルウェイに永住権を取った世界的な人。

オスロではdeep peasonと言われる程尊敬されているという。

教会音楽にふさわしいピュアな音色、楽器持ち替えながら。

ディブ・ホランド(b)は今回アメリカからメインゲストとして。

選ばれたという。静謐な音さながらの紳士でした。

チュニジアからという民族楽器奏者とのトリオだった。

心が洗われるよう。ここまでやってきた甲斐があった。

 

2011年8月14日(日)

どんよりとした暗い空、遠く黒々とした山脈が見える。

北海を白い大きな船がゆっくりと通りすぎる。

時どきさあっとくる雨はすぐに止んで天気は回復。

町を離れると歩いている人に殆ど出会わない。

でもなんと人々の暖かいこと、全然知らない人でも、

ちょっと恥かしそうに笑う、この眼差し何とも言えない。

20日ミシャ・メルゲルベルグ(p)を聴きに出かけた。

エリック・ドルフィーとの”ラスト・デイト”というアルバムで、

有名になっていたのでとても楽しみにしていたが、

今76歳のミシャは癌に冒されていて歩くのもやっと。

ピアノの前に座って弾こうとするのだがとても無理。

モンクに最も強く影響されたというフリージャズ闘士。

最後の最後まで自分の意思を変えないでいく姿、

思わず近寄って肩を抱いた、やさしい、胸がいっぱい。

21日ジョン・マクラフリン(g)を。すっかりヤンキー化。

 

2011年8月7日(日)

18日パリを発ってノルウェーのモルデに向かう。

オスロまでスカンジナビア航空で2時間、モルデまで,

小さな飛行機に乗り換えて45分、それからバスに乗る。

いつもは眠っているようだというモルデの町も年1回の、

このジャズフェスティバルは10万人もの人が集まるという、

国際的な歴史あるイベント。もう50年もつづけている。

着いたその夜トーマス・スタンコ(T)のクインテットを聴く。

燃え尽きるまで吹き続けようとするスタンコ、すごい!

ノルウェージャズを支え続けてきたアリルド・アンデルセン(b)

もう最初から興奮して一番前の席でいっぱい拍手。

このあとボボ・ステンソン(P)トリオ、小さなスペースで聴く。

翌日ゆっくり休んだ後ディブ・ホランド(b)カルテットを聴きに。

クリス・ポッター(ts)前から聴きたいとおもっていた。

すごくいいですねえ..,今が最高なのかなと思ったりした。

日本にいつ来るのかな。足取り軽く歩いて帰路についた。

 

2011年7月31日(日)

7月15日から27日迄パリ、ノルウェーを旅した。

これから5回にまとめて記録として残していきたいと思う。

成田からエールフランスで一気にパリ、ドゴール空港へ。

ここでもう最初のハプニングが、いつも乗る電車が、

本日運転休止、あわててあっちこっち聞きまくるが、

皆答えが違っていて、ようやくリヨン行きのバスに乗る。

そして地下鉄に乗り換える。17世紀の建物そのままの、

蔦のからまるすてきなユースホステルにやっと到着。

ほっとしていたら手違いで部屋変ることに、やれやれ‥

2日目歩いてセーヌ川近くのライブハウスSUNSIDEに、

アンドリュー・シリル(ds)のコンテンポラリージャズを聴きに。

フランス人は今日的なNew jazzをとても熱心に聴いている。

3日目サンジェルマン・デフレ近郊を散策しながら、

フラワーパークの大自然の中でタニア・マリア(vo)を聴く、無料。

雨が降ったり寒かったりで防寒具持って行って正解でした。

 

2011年7月10日(日)

先日内科の先生の所に薬をもらいにいったら、

先生に芥川さんはビル・エヴァンスが好きですかと、

いきなり言われたのでほんとにびっくりした。

店の前を車で通り過ぎようとして信号で止まった時、

私がビル・エヴァンスの看板を出していたと言う。

ビル・エヴァンスは基本的に大好きで、それから、

いろんなタイプのミュージシャン聴いていますと答えた。

先生のところには何年も通っているけれど、

お店を長いことやっている事は一度も話した事ない。

僕はコルトレーン好きです、今度伺いますといってくれた。

60才前後とお見受けした。すてきな先生です。

ジャズを通してお友達になれたらとてもうれしい。

追伸、7/17と7/24ひとりごとお休みします。

北欧にジャズを聴きにいってきます。

 

2011年7月3日(日)

7月に入った。今月はすばらしい日々が待っている。

メール飛び交うこのご時世にいつも年賀状共々、

すてきな絵葉書を下さる昔からのお客さんがいる。

何年か前ヨーロッパを旅した時その行き先々に、

彼の絵葉書が届けられた(勿論アドレスは教えてあった)

コペンハーゲン、ストックホルム、ベルリン等。

ホテルに着くとお手紙が届いておりますといわれる。

他国でこんな絵葉書いただくのってちょっと感激。

彼は物書きなので短い文だけれどとても文学的。

メールは便利だけれど私は手紙が好きなのです。

ポストに入れて数日後もう届いたかなと想像する。

これからは心に残るような手紙書いていきたい。

日本語のなんともいえない美しさ改めて感じている。

 

2011年6月26日(日)

最近ホームページを見て来ましたという人増えてきた。

駅からちょっと遠いけれど静かな道通ったりして、

お店めざして来てくれる人はとても有りがたい。

わりと早い時間に来てくださる方は若い人も多く、

年齢関係ない、遅い時間に見える方も同じです。

この店の雰囲気の中でジャズを聴くと同じ曲を聴いても、

自分の家で聴いているよりずっとよく聴こえるという。

とても満足してくれる様子、よかったナーと思う。

この間ホームページを見ていらしたというお客さん、

パリに住んでいた頃車でスイスのモントルージャズフェス、

オランダのノースシージャズフェスに出かけたそうだ。

私の行った頃と近かったのでとてもなつかしかった。

いろんな人と出逢える事が出来て幸せです。

 

2011年6月19日(日)

右肩の痛みがひどくなってきた。

いつもの掛かりつけの先生は五十肩だから、

たいしたことはない、ひどい人は一年も掛かる。

と言っていたがちょっと心配になってきたので、

整形外科で診てもらうことにした。

やはり診断は同じ五十肩といわれた。

このきっかけは去年11月頃左折してきた車に、

接触したのがきっかけだと思っている。

ほんのちょっとかすめた程度で何の事ないと、

思っていたのにこんなに長びくなんて。

整形外科で注射してもらったが中々治らない。

泳げなくなったり荷物持てなくなったりしたら、

困るので完全に治るまで通院することになりそう。

 

2011年6月12日(日)

先週の事閉店まぎわ、奥にいました。

がしゃんと音がしたので飛び出してみると、

一人の男がストーブを倒してしまって、

持ち上げようとひきずっているのだ。

その男ひどく酔っていて話しにならない。

ギターを抱えていたがトロンとした眼で。

幸いストーブ毀れていないようだ、しかし、

翌日びっくり、倒れた時残っていた灯油、

全部床にこぼれて部屋中油だらけ。

大事に大事にしているこのストーブ‥

このパーフェクションというストーブを、

昔からのお客さんがいる限り使っていくつもり。

この店にぴったりになってきた骨董品です。

 

2011年6月5日(日}

今から8年くらい前になると思う。

その時18歳だった少年は一人で来店した。

紅茶だったかアルコール意外なものオーダー。

礼儀正しくて育ちの良さそうな感じ。

今風の背の高いほっそりとした高校生だった。

口数も少なくじっと座っていた頃覚えている。

悩み多き年頃、ぽつぽつと話すようになって、

友達のこと家庭のこと、何でも話せると‥‥。

そうゆうことよりこれからのことをききたいと。

強く言ったのは怒ったのではありません。

言葉は否定しても人間性は否定していない。

この店が好きだと涙を浮かべていたけど、

これからも変らず来て下さいね。

 

2011年5月29日(日)

昨日は一品持ち寄りパーティの日でした。

いつも必ず来て下さる方々ほんとに有難う。

この集まりは11月のお店の記念パーティの、

反省会のような集まりで始まったのだが、

何時の間にか年行事として定着してきた。

皆がそれぞれ好きなもの持ち寄って、

側にいる誰とでも楽しいおしゃべりをする。

今回はホームページを見てきたという、

飛び入りの男性もいて直ぐ親しくなった。

サプライズです、2月に出産して今年は無理

かなと思っていたEちゃんが男の子を、

抱いて来てくれた事,かわいい!!

もう何とも言えません、命の誕生です。

どんなに育っていくのかほんと楽しみです。

 

2011年5月22日(日)

昔の友達から久しぶりに電話があった。

息子が長編映画を始めて創って、

新宿の武蔵野館でこれから公開するので、

ぜひ観てやって欲しいということだった。

レイトショウの時間帯‥‥困ってしまった。

お店はお休みなしのpm6時ー12時なので、

時間的に行くことが出来ないと伝えた。

だけど友達や周りの人たちがあちこち、

奔走している様子聞くと協力出来なくて、

申し訳ないと思った。ほんとに思った。

最近の若者の創る日本映画は興味なく、

安易に思えて敬遠していたのだけれど、

この映画に賭けているという息子の気持ち。

成功してほしいと遠くから祈るばかりです。

 

2011年5月15日(日)

先日イアンさんというイギリス人のお客さんが、

シアトル在住の友達を連れて来店した。

posyのホームページをその方に送ったら、

お店に行ってみたいということになったそうだ。

日本語は全然出来ないがジャズは世界共通。

カーリン・クローグ、デュスコ・ゴイゴビッチ、

シャーリー・ホーン、カーラ・ブレイなどいろいろ。

フェバリットミュージシャンはとお聞きしたら、

何とナベサダと。個人的にお付合いがあって、

ナベサダのプロジェクトにはいつも同行するそう。

帰る時アナログノートにwithRespectと書いてくれた。

うれしい、すごくうれしい、お店やっていてよかった。

改めてやりたいこと続けてきてよかったと思った。

 

2011年5月8日(日)

5月の連休も終わって‥‥

お店はお休みもなくいつもと同じ毎日。

いい季節になってきたので伸び伸びになっていた、

裏に生い茂っていた樹木を伐ったり、

ストーブ閉ったり、スツールのカバー作ったり、

こんなこと1つ1つやっていくのも結構楽しい。

震災への奉仕を何もしてないと思うけど、

お店を通して今やれることやっていく事。

今の生きかたをしっかりと続けていく事だと思う。

被災者の人々のいきりたつ姿悲しいが、

この大災害によって人々が少しでも人のこと、

想えるようになれたら、とてもすばらしいと思う

 

 

2011年5月1日(日)

27日の夜川島哲郎(ts)を聴きに行く。

或る雑誌に毎月大久保の小さなスペースで、

ソロライブをやっていると知ったので。

前々から一度聴きたいと思っていた。

やりたいことをやらせてもらえて有難うございますと、

言った彼は休憩を挟んで2時間余りを、

熱く吹きまくった。”見上げてごらん夜の星を”を、

やってくれないかなあと思っていたら、

最後に被災者に祈りをこめてと始まったのです。

彼は98年頃脳梗塞で倒れたらしいが、

その後のリハビリのすごさと右手を使わない、

独特のスタイルで不屈の復活をした

朴訥な感じ、ひたむきに燃えるサックス、よかった!!

 

2011年4月24日(日)

高峰秀子の”わたしの渡世日記”という本を読んだ。

自分の生い立ちを4冊の本にまとめたエッセイ集。

去年の暮れに亡くなった時日本映画史に残る、

大女優なのにメデアの扱い方が小さくテレビなど、

もっと大きく扱ってもいいのではと思ったが、

生前に書いた私の死亡記事をよんで、この人は、

最後を派手にしたくない、そっとして欲しかったのだ。

子役時代から有名になって自分の意思でもなく、

働かされて学校にもろくろく行ってないとか。

ぽんぽんものを言う気の強そうな人だなと思ったが、

本当の幸せとは何かわかっていた人だと思う。

成瀬己喜男監督の”浮雲”忘れられない!!

原発事故は長期戦に入った、そのつど記していこう。

 

2011年4月17日(日)

数日前から咳が出て止まらない。

とても咳き込んで苦しくなってきたので、

いつもの先生に診てもらったら、

何と花粉症と言われてびっくり。

鼻や眼に出て辛そうな人はよくみかけるが。

気管支に出るとは‥‥。体調崩さないように。

体力なくなってきているから。気をつけよう。

福島第一原発事故のその後の様子。

殆ど変わりなく危険な状態が続いている。

この間2週間後に大爆発が起こって、

東京も大混乱になると言っていた人がいた。

その日は過ぎたが何も起こらなかった。

やっぱりネットの情報に躍らされているのでは。

正確なニュースと冷静な行動を!

 

2011年4月10日(日)

今週の金曜日例年の如くお花見に行く。

暖かったけれど風が強く曇り空。

桜はなんといっても目黒川の桜がいい。

桜の枝が川にしなだれるよう絶品です。

花の命は短い、よくぞ今年も咲いてくれました。

本当にすばらしい!!この自然に逆らわないで、

自然の中で調和して生きていきたい。

人間も自然の中の1種類の動物なんだから。

野生動物達は必要以上のものは捕らないとか。

他の動物達のために残していくと聞いたことがある。

満開の桜の下でお茶をしながら考えてみる。

心はわくわく、お店を通してお役に立ちたい。

地震の情報しばし忘れました。

 

2011年4月3日(日)

大地震から3週間、4月に入った。

桜の花もほころび始めたけれど、

何となくお花見の気分になれない。

毎年思う事だけれど世の中どんなに変っても、

桜の花は又いつものように咲きはじめる。

一年経つのは早い。本当に早い。

私はしっかりと自分のライフワーク歩いていこう。

3月はいろいろ忙しかった上にこの大災害。

先日来店したお客さんのはなし。

東京が危なくなって何故か大分に逃げて、

テント生活をすると家族一同に話したら、

お年寄りから絶対行かないと拒絶されたと言う。

誇張されてデマが飛び交うようになったら大変。

冷静に正確な情報を‥‥!!

 

2011年3月27日(日)

福島第一原発事故の影響は、

東京方面にも徐々に拡がってきた。

空中には目に見えない放射性物質。

乳児の粉ミルクに水道水を使わないように、

野菜も福島産のほうれんそうなど葉ものは

食べないで欲しいと出荷をとめてしまった。

町は停電のため薄暗く、人々は何となく不安そう。

通っていたスイミングプールも節電のため中止。

しかし家族を凡て失った被災地の男性の声、

原発もいらない、エアコンもいらない、

亡くなった子供たちと一緒に暮らせれば何もいらないと。

涙でつまったその言葉。その通りだと、強く思った。

こんな危ない発電所などもういらない !!

生活を昔に戻してつつましく生きていこう !!

 

2011年3月20日(日)

東北関東大地震が起って1週間余りが過ぎた。

記録として残していくつもりだが‥‥。

3月15日午後10時半頃静岡近辺に震度6強の地震。

一体どうなっていくのかとても不安だ。

福島の第一原発事故が東京方面にまで来るのではと、

にわかに緊迫した空気が流れだした。

スーパーでは水、パン、米、懐中電灯、乾電池等、

どんどんなくなってパニック状態。トイレットペーパーなど、

公共トイレから持っていってしまう始末。

交通機関も止まってしまった所もあって皆バスを乗り継いだり、

歩いたり大混乱。節約停電もめちゃめちゃ。

どうか被災地の人達のことを思って買占めだけはやめて!!

 

2011年3月13日(日)

大地震が起こった!!

それは2日前の2011年3月11日pm2時46分

この日は午後からプールで泳いで買い物をして、

部屋に戻ってきたばかりの時だった

急に足元から大きく横揺れが、わあ地震だあと!!

ゆっくりとかなり大きく不気味、片手で窓を開けて、

机の下に頭を突っ込んだが、天井が落ちてくるのではと、

窓ガラスがガタガタと砕けるような音がして恐ろしい。

この家はもう古くいつつぶれてもおかしくないが、

37年積み上げてきたこの店にはものすごい愛着がある。

最後までこの店と一緒にいたい、最後まで。

思い切りやって神様が決めた寿命に従うしかない。

残された人生しっかりといきいきとそしてわくわくと!!

 

2011年3月6日(日)

昨日の朝近くの煙草屋のおばさんに会った。

バスに乗って梅が丘のお寿司やさんまで、

おいしいお寿司を買いに行ってきたのだという。

よくヨーロッパの旧市街でお年寄りが出来たての、

パンを毎朝買いにやってくる姿テレビで見たことがあった。

近くにそんなパン屋さんもお寿司屋さんもないから、

遠くまで出かけていくのだろうがちょっとびっくり。

おばちゃんは一人暮らし歩き方もしゃべり方も大丈夫だが、

近所の人の話では認知症が少しづつ始まっているらしい。

そういえば最近髪もばらばら服も寒そうに乱れている。

近所の人がちょっとしたことは看てあげているが、

出来る限り話しかけてずっと見守っていこうと思う。

凡ての人々が家族だと思える自分でありたい!!

 

2011年2月27日(日)

数日前Posyのホームページを見ているという来客があった。

聞けば何年も前からひとり言を読んでくださっていて、

その他の旅行記、今月の一枚、レーベル別の、

私の好きな10枚、等まで読んで下さっているという。

その方は長崎の佐世保に住んでいらして今回は、

出張で東京にみえたので尋ねてくださったとのことでした。

ネットにのせれば世界中の人が読む事ができる、

ということは判っていたけれどこんなにていねいに、

見てくださっているとはびっくりしました。

お店で愛聴盤を聴きながら至福の時間ですといってくれた。

うれしい !! もう胸がいっぱいになりました。

苦しくてもお店つづけてきてよかった。

これからも精一杯やっていきます。ありがとうございました。

 

2011年2月20日(日)

今週一番心に残ったこと。記録として残します

とても朴訥で誠実だなと思っていた人が、

何年もたって少しづつ変ってきたように思えた。

最初のイメージがくずれてきてがっかりしてしまった。

都会に出て揉まれていく中にだんだんと変った。

人は変っていく、変らない方がおかしいのかも。

でもどんな人とも仲よくしていこうとの思い。

私はその人に事実だけを云って今の気持ち伝えた。

そうしたら急に昔のようなにっこりとした顔に‥。

とてもうれしかった。生まれた時は皆同じなんだから。

 

2011年2月13日(日)

イタリア映画”鉄道員”という映画を観た。

(ピエトロ・ジェルミ監督1950年代)

むかしむかし観た名画の1つなのだが、

細部は殆ど憶えていなかった。

あの主演の男の子、やっぱりいいですねえ。

ちょっと太っていて左右に体ゆするようにして、

歩く。かわいいだけの子供ではない。

けっこう大人と対等に話していても、

黙っていてと云われた事直ぐ話してしまう。

あどけない笑顔、でもとてもいたずらっ子。

昔の映画もう卒業しようと思っていたが、

最近のつまらないものよりずっとずっとすばらしい。

 

2011年2月6日(日)

ラジオ深夜便で月一回だが、

”名画名曲名セリフ”という番組がある。

ゲストに専門家ではない大学教授が、

自分の思いがいっぱい詰まった、

”名画名曲名セリフ”を語り始めるのだが、

その一場面一場面を彷彿とさせるような‥‥。

先日はイタリア映画だったが、

知っているものばかりだったので、

うーんもう一度観てみようかなと思っててしまった。

言葉ではなく、言葉にならない熱い想い。

そんな伝え方を私もしていきたい。

 

2011年1月30日(日)

今週水曜日友達のライブにいく。

50年近くもきいているが、

この人の人柄そのままに相変わらず、

淡々とかみしめるように歌う。

ずっと応援していこうと思う。

それにしてもこのライブハウス、

雰囲気が全然ないです。

どんなところでも歌い続ける彼女に、

改めてエールを送ります !!

 

2011年1月23日(日)

去年の暮れの事、前に来た事がある男性が、

気持ちが乱れていてPosyの前を通り過ぎて、

三軒茶屋まで行ってしまい渋谷まで歩いた。

そして井の頭線で又下北に戻ってきて、

やっとPosyに寄る気になったという。

毎日が流されていく自分にいてもたっても、

いられないあせりを感じてしまったという。

いろんなこと話しているうちにだんだんと、

素直に今の気持ち話すようになった。

後日本当にありがとうございましたと、

お礼をいいに‥‥すごくうれしかった !!

 

2011年1月16日(日)

1月13日山田洋次監督の”故郷”を観た。

この映画は私の大好きな"家族”の姉妹扁。

やっぱりいいですねえ。

どうして大きなものには勝てないのだろう。

大きなものって何だろうと涙ながらの、

主人公の言葉、ぐっときます。

倍賞千恵子、井川比佐志、笠智衆、渥美清、

皆いい。中でもやはり倍賞千恵子の、

姉さんかぶりの田舎の働き者の女房すばらしい。

 

2011年1月9日(日)

1月6日成田空港に見送りに行く。

池袋周りの山手線で日暮里から、

スカイラィナーに乗り換える。

毎回同じコースで出かけているが、

着いた後もチェックインした後で、

いつもの店できつねうどんを食べる。

ニューヨークは零下4度と聞いている。

無事かえりも飛んでくれるといいが。

先月羽田の国際空港に行ったが、

やはり成田のスケールには叶わない。

すぐそばの地平を何機も大きくとびたっていく。

楽しんで無事に帰ってきますよう。

記録として残していこうと思うがその時の、

思いもそのままつづっていきます。

 

2011年1月2日(日)

今年から15行にこだわらず

コラムではなく記録として

続けていこうと思う。

毎年、年初めの行事、

1月1日は砧公園へ、

2日は代々木公園へ、

天気も良くちょっと疲れたが

ゆっくりととびたっていく

ひたすら歩いた。

(3日は駒場公園、4日は羽根木公園の予定)