日曜日のひとりごと 2009

 

12月27日(日)

今年ももうすぐ終わり一年があっという間に過ぎていく。

振り返ってみて今年もとても充実していたと思う。

it´s a beautiful day(今日はすばらしい)この言葉、

これが私のいまの座右の銘になりました。

何よりも私は変った、それはすぐ近くでずっと

見てくれている人がいちばん判っていると思う。

自分の事ばかり考えていたそんな自分が、

とことん追い詰められてもう駄目だと思った時、

始めて他人の暖かさに触れて気づかされた。

今の私はほんとうに充たされていると思う。

やりたいことを仕事にして誰とでも仲良く出来る。

気持ちがふわーとしてこれ以上何もいらない。

おそまきながら何か人のお役に立つことを。

小さなことから、出来ることから始めていこう。

ジャズを精神的支えにこれからもますます深く。

 

12月20日(日)

渋谷にウラジミール・シャフラノフ(P)を聴きにいった。

明治通りを恵比寿方面に行ったビルの一室で、

期間限定のフィンランドカフェが開催されていた。

今年は急遽ウラジミール・シャフラノフのライブが決定。

フィンランドを代表する建築家の室内デザインや、

フィンランド料理もなかなか興味深いものがあった。

沢野工房が発掘した看板ピアニストシャフラノフ。

ロシア人だがフィンランドで活躍しているそうだ。

沢野さんの姿も見かけたシャフラノフはとてもあかるい。

誰とでも気さくに話しをする寒い国のイメージなくて、

長い口髭を生やした渋い人物とはほど遠い感じ。

ピアノスタイルもやはりその人らしい指先が舞うよう。

パーカーのアルバムに入っているエロール・ガーナーだ。

指さばきまではっきり見えるピアノの横で聴いた。

こんな小さなライブ、これからも捜して聴いていこう。

 

12月13日(日)

毎年パーティにお花を届けて下さる女性が来店した。

50歳を過ぎて認められた前衛画家の旗手。

これからもっともっと深めていきたいと云っていたが、

自分の信じる道を突き進む姿相変わらずまぶしい。

お店に昔から在るストーブを(アメリカ製年代物)

事の外気に入っていて、あの暖かいアンバー色の炎、

波のようなガラスのデザイン店にとても合っている。

そしてもうがたがたになってきた古い椅子を見て、

又又この店にとてもマッチしていると言ってくれた。

普通ボロボロだから変えたほうがいいと云う人多い。

椅子のことほめられたのは初めて予想外だった。

少しづつ少しづつ古くなってきたこの店愛着ひとしお。

このままいこう、やれるところまで、古いジャズ掛けて。

この良さ判ってくれる人少数だけどいるんだから。

世の中に流されないどんなに世の中変っても!!。

 

 

12月6日(日)

36周年パーティを無事終えた。

毎年思うことは誰とでも仲よく楽しく過ごすこと。

心なしかそんな雰囲気になってきたような気がする。

会話を楽しむおだやかないい人ばかりです。

さて今年のハイライトはなんと言ってもこの人でした。

昔からの常連が17歳の長女と一緒に現われたのです。

実は彼女2歳頃から毎年ご両親とパーティに参加。

皆のアイドルだった。その茜ちゃんも高校2年生。

もうびっくり、丁度その頃を知る男性は目を丸くして、

僕はだっこして抱きしめたんだよと興奮していた。

もっと驚いたのは吹奏楽部でアルトサックスを‥‥。

今ジャズに夢中、スイングガールズか矢野沙織か。

フェバリットはチャーリーパーカー、すごいです!!。

お店のLPじっと見ていた、これからがとても楽しみです。

 

11月29日(日)

クリント・イーストウッドの”グラントリノ”という映画を観た。

最近の新しい映画はあまり面白くないので観てないが、

イーストウッド作品は何故か全部観ようと思っている。

50年代60年代はジャズと同じく映画も黄金時代だった。

歴史に残るようなすばらしい作品が次々と思い出される。

心に残ったものはいつまでもそっとしておきたいので、

DVDでは殆ど観ない。あの熱い思いが消えていきそうだから。

しかしイーストウッドの”マジソン郡の橋”は心に残った。

あの雨の中の再会シーン忘れられない(役者としてすごい魅力)

この映画”グラントリノ”とはフォード車の車の名前らしいが、

イーストウッド演じる孤独な老人は観ていてとてもつらい。

晩年の作品で感じることは彼自身の心情を描いたものが多い。

実在のイーストウッドは本当は幸せじゃないのかと思ってしまう。

でもこの映画で初めて他人のために生きることを選んだ。

実在の彼もこんな気持ちになれたとしたらすばらしいと思う。

 

11月22日(日)

9日目午前中ハドソン河の辺リバーサイドパークを歩く。

最後の夜バリー・ハリスを聴きに”ジャズ・スタンダード”へ再度。

50年代から変らぬスタイルで弾き続けるモダンジャズの重鎮。

80歳を過ぎても尚最後迄やりつづけようとする姿感動ものです。

そのあと足を延ばしてジョン・ゾーンの根城”ストーンズへとはしご。

観光客のツアーコースになっている店はできるだけ避けて、

意欲的な小さなクラブを故意にさがしまわったが、残念だけれど、

ニューヨークはもうモアマネーの店ばかりになりつつある。

きびしい不景気ホテル代はものすごく高い、どこの国も同じだが、

凡てが住みづらくなっているのに彼らは何故か明るく親切。

今の生活を楽しんでいるように見えた(本当は違うのかもしれない)

帰途に着く機内で同席した日本女性と黒人の小さな女の子、

どうしているかな、いろいろな人との出会い、忘れられない。

今回の旅を終えて短期間だったけれど集中的に9ライブ聴いた。

これから益々ジャズを深めていこうという気持ちつよくなった。

 

11月15日(日)

8日目かねてから行きたかったハーレムに出かけた。

ホテルから地下鉄ですぐ最初はちょっと緊張したが、

2年前来た時より大分変わった。全然怖いという印象がない。

たしかに黒人は圧倒的に多いが険悪なムード全然ない。

一歩入った裏通りは人影もなくさびれた感じだったが

捜していたジャズミュージアムの建物の中に入ったら、

なんと東京中で捜していた”a day greated in Harlem”という、

ポスターを見つけたのだ。うれしかった。ここのスタッフが、

ポスターを売っている店まで案内してくれすっかり仲良しに。

かえりベビーカーを押していた黒人女性に声をかけられ、

シャンプーの匂いがいいどこで買ったかと、なんて人懐っこい。

日本人のハーレムは危ないという先入観変えたほうがいい。

夜”ジャズギャラリー”という小さなクラブに白人トリオを聴きに。

前夜とガラリと変わって北欧ジャズを思わせるピアニスト。

知的で真摯洗練された若い彼らに好感度大、楽しみです。

 

11月8日(日)

翌日グレイハウンドバスで思わぬ思わぬハプニングが。

長距離なので眠っていこうとすぐ眠剤を飲んでしまった。

ところが果てしなく広がる大地を走りつづけていたバスが、

止まって国境検閲が、全員荷物を持って下ろされる。

中身を調べていた係官がカップラーメン、梅干、江戸そばを、

手に取っていぶかしそうに調べていたそうだ。

というのは私は眠剤のせいで足元がふらふらと危なく、

ほとんど記憶がないのです。うっすらと女性係官が

思い出される、皆に迷惑をかけてしまった。

ニューヨークに着いたときにはすっかり元気になって、

前に行った事がある”スモールズ”に出かけてしまった。

なかに入ってびっくりものすごい盛り上がりのフルバンド。

横にいた女性など踊りまくっての熱狂ぶり‥‥。

ここでニュージャージーから来たという男性と知り合う。

ジャズを楽しむってこうよね、めちゃめちゃ楽しかった。

 

11月1日(日)

4日目はカナダ・モントリオールへ汽車の旅とつづきます。

朝8時に出発して12時間をかけてのゆっくりとした旅。

モントリオールは毎年盛大なジャズフェスが開かれる。

しかし今はとても静か、次の日、旧市街からダウンタウンへ。

うわさには聞いていたがこの国なんかしっとりと感じる。

少し休んで、持ってきたロングスカートにはきかえて、

小さなジャズクラブにでかける。ウエーターの素朴な様子。

初老のピアニストが淡々とスタンダード弾いている。

翌日観光バスで有名なメープルパークへ出かけた。

この国はドアーに鍵をかけなくても全然安全だと、

どこかで聞いたことがある、ほんとうかもしれない。

道に迷っていたら向こうからさりげなく教えてくれた。

コペンハーゲンもそうだった、心の豊かな国ここにも。

ここに住みたいという人の気持ちわかるような気が。

明日は長距離バスでニューヨークへ戻ります。

 

10月25日(日)

3日目リチャード・ボナを聴きにジャズスタンダードへ。

ボーカルも聴かせるフュージョン系のべーシスト。

2年前に来た時はとても良心的なクラブだった。

しかしもうすっかりモアマネーの店に変わっていた。

オランダのノースシージャズフェスでも聴いたけれど‥‥。

ここはがんばってチャージとワンドリンクでカウンターに。

その後ホテルの近くにあるスモークというジャズクラブに。

エディ・ヘンダーソンがでているというのではしごした。

ここもやっぱり詰め込んで食事をさせる店のようだ。

数年前まで無名のエリック・アレキサンダーなど、

盛んにジャムセッションをしていたそうだ、考えられない。

隣に座っていたカップルなど次々に料理を注文して、

聴いていないのに今日の演奏はすばらしいなどと。

もう聴かせる店ではなくなったのだ。とてもさびしい。

繊細なトランぺッター、エディ・ヘンダーソン形無し。

 

10月18日(日)

2日目の夜”イリデューム”にクリスチャン・マクブライトを聴きに。

やはりびっくり、完全にモアマネーのジャズクラブになっていた。

今回ニューヨークのど真ん中でものすごいエピソードがあった。

チャージはわかっていたのだがミニマムタックスサービス料、

足りなくなりそうでびっくり、カードをホテルに預けてきてしまった。

演奏そっちのけで小銭迄出して数えている始末。

ステージからyou enjoy?とマクブライトに声をかけられた。

やむなくgoodと答えたが全然goodじゃないのだ。

4ドル残ってようやく何とか払えそう、これで地下鉄で帰れる。

マクブライトは今ものすごく売れている黒人べーシスト。

強靭なベースワーク、まだ30代後半将来ものすごくなりそうだ。

3日目は日中セントラルパークを歩く緑の木もれ日が‥。

2年前とは季節がちがう、こうもちがうのかと‥。

なつかしいセントピータース教会へジャズの資料などもらう。

ここにくると何故かほっとする、ここですごいジャズ又聴きたい。

 

10月11日(日)

9月17日成田を飛び立って一路ニューヨークへ。

気候が不順なのでセーターからTシャツ迄大荷物。

アッパーウエストのホテルに着いたその夜、

55Barへデイブ・リーブマンを聴きに行く。

コルトレーン直系のばりばりの硬派のテナー奏者。

目の前で聴くことができた、本物はすごい。

70歳を過ぎて足を引きずりながらの熱い演奏。

2部も聴いていけと言われたのに残念だった。

今回のジャズクラブ巡りでの一番の収穫。

2日目、午前中ブルックリンブリッジを歩いた。

ブルックリンの庶民的なことカフェのお姉さんが、

どこを歩いたらいいのか親切に教えてくれる。

スティーブ・コールマンがファイブ・エレメンツを立上た所。

とても黒人が多いけれどなんてフレンドリーな事か。

ここに住んでマンハッタンに通う人多いようだ。

 

10月4日(日)

無事に帰ってこられてほっとしているが、

旅の疲れがどっとでてきたようだ。

まだぼーっとしていてペースがつかめない。

でも翌日からお店だけはOpenしました。

このひとり言は週日記のつもりでいるので、

その時の心境を素直に書いていこうと思う。

旅の11日を聴いたまま感じたままに、

残していくつもりだが筆がなかなか進まない。

正直いってとてもきつい旅だったと思う。

体力が大分弱っているのに気づかされた。

どこも悪くはないのだがとても疲れる。

こんなに体気づかいながらの旅始めて。

だから昼は街をゆっくり散策少し休んでライブ。

深夜になるジャズライブ最後なんか2つも。

来週からゆっくり書いていきます。

 

9月13日(日)

ほんとうに私は幸せものだと思う。

こんなに尽くしてくれる家族がいて、

やりたい方向でお店続けていられる。

たとえお客は少なくても帰るときに、

いい時間をありがとうと言ってくれる人も。

人のお役に立ちたいと富みに思うこの頃、

小さなことからこのお店使ったらいい。

ジャズを通じてだれにでもでも喜んでもらえたら。

この間もネットで知り合った仲間何人かと、

村上春樹の小説に出てくるジャズを、

楽しむ集まりをしたいと来店した方がいたが、

そんな事でもいいせっかくこのお店あるのだから、

近場からみんなが来てくれるといいな。

9月17日から27日までお店お休みします。

従ってひとりごとは2回お休みです。

 

9月6日(日)

やっとお店の椅子を取り替えることが出来た。

昔常連だったお客さんに椅子の張替えをしてもらった。

一日かかって大変だったのを覚えている。

張り替えてもらった椅子もボロボロになったしまった。

椅子にまつわる忘れられない思い出又書こう。

前にいたお客さんが後から入ってきたお客さんに、

その椅子破れていますよと指差して言った。

実はその前にいたお客さんにも同じ事をいった。

しかしその時それを聞いたお客さんの云ったこと。

”そんなことはどうでもいい”かなりきつかった。

その場にいた私は飛び上がる程びっくりしたが、

改めてこの店はそんなことどうでもいい店なのだと気づく。

この店の存在判ってくれている人がいる。

少数でもいいこの店の本質判ってくれている人がいる。

これでいこうと思った。どんなに辛くても。

 

8月30日(日)

2・3日前表の看板が飛ばされて横倒しになった。

しかしガラスも割れていないし中の蛍光灯も大丈夫だった。

よかったほんとによかった、なんと丈夫なんだろう。

この大事な看板を修理してくれた人を思い出した。

今から10数年前のこと隣の古い家を解体している時、

案の定石が飛んできてこの看板を壊してしまった。

ガードマンがちゃんといたのにと云いにいったら、

なんとその解体屋のおじさん昔からのジャズファンでした。

チコハミルトンが好きだと言いながら話しがはずんだ。

ちゃんと直してくるからとトラックに積んでいったが、

出来上がった今の看板ものすごくしっかりしていて、

あんなにひどくなぎ倒されてもびくともしない。

ジャズ友ということがそんなによかったのだろうか。

ジャズ友でなくとも心が通じ合えたらもっといいなと思う。

あのおじさん今どうしているだろう。

 

8月23日(日)

”ポートレートインジャズ1&2”と言う本を又開いてみた。

先ず和田誠が絵を描きそれに村上春樹が文を添えている。

なかなか面白いので時々読み返して見ている。

人目でそれと判る和田誠のミュージシャンのイラスト。

いかにも彼らしい村上春樹のエッセイ。

彼はジャズの中でスタン・ゲッツが一番好きらしい。

{スタン・ゲッツは情緒的なトラブルを抱えた人で、

その人生はけっして平坦で幸福なものではなかった。

巨大なエゴと大量のヘロインアルコールに蝕まれ、

物心つく頃から殆ど平穏な日々は送れなかった。

まわりの女性は傷つき友達は去っていった云々。}

しかし彼の音楽は永遠に光り輝いている。

天才の一生とはかくも残酷なものかと思うけれど、

天は2物を与えないのだから。

16歳でプロに貧しい環境ブルックリンでの独学すごい!!。

 

8月16日(日)

先日夕方看板を表に出していたら、

自転車で通りかかった女性が足を止めて、

このお店とても古いようですが何年位かと聞かれた。

36年になったことやこの辺の変わりよう話した。

その女性は下北の最近の事情を調べているそうで、

いろいろな昔からの店を取材しているそうだ。

そして年齢は幾つかと急に興味深そうに聞いた。

ご想像におまかせしますと言ってしまったが、

日本人ってどうしてこうも年齢を聞きたがるのだろう。

一人一人生きてきたものが違うのだから、

年齢で人を見るのはおかしいとつくづく思った。

この女性にもはっきり言えばよかった。

誰とでも仲良ししていこうと思っているのだから。

どんな生き方をしてきたかが死に方に通じる。

人と比べる事ではない自分の生き方します。

 

8月9日(日)

ジャズ喫茶”マサコ”が8月いっぱいで閉店するという。

地上げが入ってあの辺が駐車場になるのだそうだ。

マサコさんが生存中はジャズはまだジャズらしかった。

昔のことを知っている人はほんとに少なくなった。

新しいオーナーはお店に出入りしていた牛乳屋だった。

お店を継いでくれる人が現われたのはよかったのだが、

その人は余りジャズに力をいれていなかったようだ。

お客の噂ではマンガ喫茶みたいになってしまったとか、

あれではオーディオがもったいないという声も耳にした。

女丈夫マサコさんは日本人離れした大きな体で、

その昔はシャンソンもかけていたという商売上手な人。

草葉の陰でさぞ残念がっているに違いない。

あのあたり裏道に入ればとても静かな住宅街。

下北はどんどん変わっていく、めちゃめちゃ変わっていく。

アラーキーは消えていく下北の良さ残してくれた。

 

8月2日(日)

或る人のライブで感じたこと。

来店するようになって何年位になるのだろう。

最初のうちは気配りのいい人だなと思っていたが、

いろいろ知るうちに一生引きずっていく、

過去を持っている人だと解ってきた。

派手な人ほど充たされないものがあるようだ。

平凡な暮らしの中にとても豊かさを感じている人もいる。

人がどう思おうと心底充実しているのだろう。

人間虚飾を捨てて無心になった時、

本物の感動を伝えることが出来るのだと思う。

凡てを無にして何もかも放せたら、

本当の幸せをつかむ事ができるのでは‥‥。

自分の事ばかり考えていないで小さな事から、

出来る事から人のお役に立つ人になろう。

しっかりと足を地につけて自然体に。

 

7月26日(日)

前から予定していたよっちんの家を訪ねた。

最近人に逢ったり尋ねたりするのがとても楽しくて、

何をもっていこうかとか何を着ていこうかとか考える。

大森行きのバスに乗って終点近くで降りる。

少し歩いた静かな住宅地、ピンポンを押す。

相変わらずにこやかに迎えてくれ、2階のリビングへ。

何を話すでもなく雑談をする。

なにしろ50年近くのお付き合い。

彼女は猫大好きの育ちのいいお嬢さん、私とは全然違う。

このおっとりとした感じ昔とちっとも変わっていない。

いつまでも若々しく過ごしてほしい。

そういえば最近レコーディングしたとか。

はやく聴きたいなと思っていたら、もうサンプルが届いていた。

なんと言おうとこの道一筋に歩いてきた人。

ジャズ界の大ベテラン、私も大いに見習おう。

 

7月19日(日)

ジャズ喫茶の事がくわしく書かれた本を読んだ。

著者の書いたものは前に何冊か読んだ事があり、

けっこうはっきりとした語り口が好きだった。

この本は東京近辺のジャズ喫茶が中心だが

実名でいろいろくわしく書かれている。

著者は20歳の学生時代に店を2軒持っていたが、

どちらかにしなくてはならなくなったとか、

オーディオがどうのブラインドテストがどうのとか、

若くしてジャズ喫茶を始めた人ってぼんぼんが多い。

やはりジャズは一部の人のものかと思ってしまう。

素朴にジャズって何だろう。

ジャズの判る女になりたいと思った昔。

もっとわかりやすくたのしんで聴いていきたい。

私は単純に胸が熱くなるものを聴いていく。

ふとジャズを浴びるように聴いたと言う中上健次を想う。

 

7月12日(日)

先週に続いてSJの読者欄より。

“ワルツ・フォー・デビー”、このアルバムを知人に紹介したら、

ダウンロードしたいから1,2曲教えてと言ったそうだ。

何時の間にこんな風になってしまったのか。

最近CDを買わないでこんな風にする人が増えているようだ。

このアルバムはピアニスト、ビル・エヴァンスが、

スコット・ラファロというべーシストを得て、

3人対等のインプロビゼーソンというすごい事やってしまった。

しかし実はギャラの支払いで一触即発の関係にあったこと、

2人とも薬漬けだったそして僅か11日後のラファロの事故死。

NYの伝説のライヴスポット“ヴィレッジ・ヴァンガード”、

まばらな拍手、微かに聞こえるグラスの触れ合う音、

なぜか大声で笑う男性の声が聞こえたりするのです。

すばらしいエヴァンスの姪、デビーのジャケをみつめながら、

ほんとうに何度も聴いてほしいのです。

 

7月5日(日)

SJ誌を読んでいたらこんな記事が載っていた。

「ジャズの明日についていろいろ模索しているのは、

致しかたないと思うのですが、

モダンジャズはもう終わっていると考えます。

私自身(読者欄に投稿した72歳の男性)は、

未だに好きでCDも買っています。

でも一般的にはそこまででしょう。

人は最も感受性の強い10代20代に刷り込まれた、

感性には一生支配されるもののようです。

ジャズは(この場合ビバップハードバップを指します。}

滔滔と流れるアメリカ音楽の支流の1つと考えます。

それはとっくに本流に呑込まれていろんなジャンルに、

微かな二ユアンスを残しているものと思います。]

この文を読んでふと考えてしまったのだがしかし、

ジャズはアメリカが生んだ最高の芸術なのです。

50年代60年代のジャズは永遠です。

 

6月28日(日)

郵便受けをのぞいたらこんな本が郵送されていた。

「散歩は出会い 散歩は愛」荒木経惟トーキョー・アルキ。

実は去年この取材受けたことすっかり忘れていた。

「この先にいつもガラガラだけどいいジャズバーがあるんだよ。

Posyっていうんだけどさ、初めて入った時、俺が

ミルドベィリーのロッキンチェアーレディが好きだといったら

探してくれてかけてくれたんだよLPで、

最近みんなCDになっちゃってるけど、すごいだろ。

ここ、ここ、なっ。閉まっているわけではないんだよ。

ほらベルを鳴らしてくださいと書いてあるだろう。

めったにお客さん来ないんじゃないの、だからね。

ママ久しぶりだね、元気だった?、相変わらず美人だねえ。

今日はサッチモを聴かせてよ」(以上文そのまま)

うれしかった、彼一流の語り口の中にとても暖かいものを感じた。

これからも体の続く限り悔いのないようつづけていこう。

 

6月21日(日)

先日渋谷のJBSというジャズ喫茶に出かけた。

その日は東大キャンパスでお茶をしてそのまま渋谷まで歩いた。

道玄坂を登って信号のある交差点を左に

少し行くとJBSという看板が2Fに見える。

JBSとはジャズブルースソウルの略らしい。

いろいろ聞いていたので驚きはしなかったが、

長い事レコードを集めていたコレクターが、

仕事を辞めて集めたコレクションを公開したのだろう。

しかし店はレコードを何回もかけるのだから、

消耗品になってしまうということ判っているのだろうか。 

コレクターは集めるのが目的だから買ったら直ぐ

CDに移してレコードは大事に閉まってしまうそうだ。

集めるだけが目的なら切手や絵画と同じだと思う。

本当の喜びはレコードの枚数や知識ではない。

本当に感動したアルバムを何枚もっているかだと思う。 

 

6月14日(日)

やっと母べえという映画を観た。

やっぱり山田洋次監督はすばらしい。

何度もこみあげてくるものがあった。

思想犯と言われて獄中で死を迎える夫。

献身的に尽くす母そして2人の子供。

この暗い時代をこまやかに忠実に、

暖かいまなざしで描写する山田洋次監督。

主演の吉永小百合の自然な美しさ。

クロールで泳ぐシーンさすがです。

山ちゃん役の浅野忠信印象に残った。

ぶきっちょで涙もろくて泳げない山ちゃん、

家族っていいなーとしみじみ見つめる所。

いつも出ているバイプレヤーの人人、

どこにでているのか捜すのも楽しみ。

山田洋次監督の作品追い続けていこう

 

6月7日(日)

一品持ち寄りパーティ無事に終わった。

いろんな人が来てくれてとても楽しかったです。

印象に残ったこと。

毎回出席して下さるご夫婦がいるが、

20数年前から知っている彼のこと書こう。

大学時代16ミリ映画創ってしまった程映画好き。

今は忙しくて中々ちゃんとした映画観られなくて、

つまらないどうでもいい映画も観てしまう。

しかしどんな映画でもその中に楽しさを見つける。

本当の映画のおもしろさを知っているから。

とても楽しそうにそんな映画の話している。

今おかれている環境の中で楽しさ見つける、

どんな環境でもその中に楽しさ見つけられる、

すばらしい人だと思う。

こんな人になれたら幸せです。

 

5月31日(日)

今回1年位だけど町会のお世話をした。

この地に住み着いて36年近くなるが、

最初の10年は隣に誰が住んでいるのかも

わからない位忙しい毎日だった。

やっと最近町会のお世話をさせてもらった。

隣近所の人々と知り合えてとてもうれしい。

昔はずいぶんつっぱっていたなーと思う。

性格は生まれつき変わらないと思うが、

その後の環境で人は思いがけなく変わっていく。

私も少しづつ変わっていったと思う。

今はとてもおだやかとても充実している、

お店は皆が入りやすいように考えていこう。

町会のお手伝いをしてほんとによかった。

生まれつきいやな人はいないみんないい人。

どんな人にもにっこり笑顔で接していこう。

 

5月24日(日)

5月も半ば恵海ちゃんのお見舞いに行った。

お見舞いだからそれらしく着るもの決めていこうと思う。

近くの花屋ですてきにアレンジメントされたバラを買う。

池袋で西武池袋線に乗り換え練馬高野台で下りる。

病院はレストランやカフェもあってとても開放的。

訪問者が患者とゆっくり集えるコーナーもある。

やっと恵海ちゃんに逢える、思ったより元気でした。

しばらく逢わない中に又少し大人になって、

益々自分の世界を広げているように思える。

2時間以上もの大手術だったというが、

その苦しさしんどさはいかばかりだったと思う。

そんな時でも冷静に自分を見つめられるなんて。

これから長いリハビリ始まるというが、

いろんなこと入院ジャーナルに載せてください。

前向きな恵海ちゃん早く完治しますように。

 

5月17日(日)

今年も又5月の一品持ち寄りパーティが近づいた。

毎年思うことだけれど来られる人だけでいい、

たとえ2、3人でもやりますと強がっているけれど、

本当は一人でも多く来てほしいと思っているのです。

何か特別なことをするわけではないのですが、

(ライブはお店に合わないと思うのでやりません)

皆が集まって楽しい時間を過ごしてほしい、

誰とでも仲良くが今のわたしのモットーですが、

これがなかなか出来ていない自分に気づくのです。

10人10色皆それぞれ違うけれど生まれた時は、

皆真っさら、みんな良い人なのだから。

気になる事があったら口に出して言えばいい。

昔のような騒ぐパーティにはしたくない。

このお店らしくグラス片手に会話をたのしむ、

そんな大人のパーティにしていきたい。楽しみです。

 

5月10日(日)

友達がイギリスのマンチェスターという所に出かけた。

映画”嵐が丘”で有名なヒースの丘へ行くのだそうだ。

その前から新インフルエンザの兆しが見えていた。

しかしフライトもホテルの予約もとってしまったし、

やっとの休暇だったので気をつけていくしかないと。

メキシコやアメリカでは死者もでているし、

ヨーロッパでは感染者がどんどん増えている。

スペインでは人から人へ感染が一気に飛んでいる。

旅行をしてないのに感染しだしたのは怖い。

これから大流行になるかもしれない。

大丈夫だろうか現地で足止めされないだろうか。

毎日ニュース見ながら心配していたら、

成田に無事着いたとの元気な声が聞こえてきた。

正直ほっとした、がくっと気がゆるんだ。

あとは6日から8日間気をつけていかなくてはと思う。

 

5月3日(日)

隣の床屋のお兄さんには3人の子供がいる。

見たところとても若々しくてどう見てもお兄さんです。

口数は少ないけれど会えば必ず爽やかに挨拶をする。

2人の男の子といつもベビーカーの中にいる女の子、

去年まではすぐ近くの幼稚園に2人通っていた。

幼稚園の制服に帽子かばんを背負って、

彼が2人の手をつないで送っていく後姿なんともいい。

下の子はまだよちよち歩きだったのにもう歩いている。

上の子は幼稚園面白くないなんて言っていたが、

今年小学校に入学したそうだ。話しを聞くと、

近くの花見堂小学校では今年の入学者は18人だそう。

あまり少なくて可哀そうだからちょっと遠いけれど、

お友達の数の多い代沢小学校に入れましたとの事。

人間を第一に考える世の中にならなければ、

子供の数はどんどん減っていく。子供たちを見守ろう

 

4月26日(日)

隣の床屋のお兄さんのこと。

3月も終わりの頃だったと思う。焼き物をしていたら、

グリルの中がぱあっと赤く燃え上がった。

受け皿に残っていた油がガスの火に点火したらしい。

あわてて開けようとしたらめらめらと炎が噴出してきた。

その炎を見た途端もう気が動転してしまった。

とっさに走って隣のお兄さんに助けを求めた。

彼は丁度手が空いていて直ぐ飛んできてくれて、

消火器と叫んだそして思いきり水をかけた。

彼は冷静で沈着に火を消してくれたばかりか、

そのあと心配して何度も見に来てくれた。

今思い出してもあの炎のおそろしさ一瞬頭は真白。

助けてくれた隣のお兄さん(BarBarのオーナー )

前から感じのいい人だと思っていたが益々親近感が‥

次回は彼と3人の子供の事書きたくなりました。

 

 

4月19日(日)

この間薔薇族の伊藤文学さんに道でお会いした。

ブログ読んでいますよと言ったら、

嬉しそうににこれからもどんどん書きますと云っていた。

倒産して住んでいた家まで失ったというのに、

何時会っても屈託がなくて変わらない。

自分のやりたい事をやってきたからだろうか。

しかしブログの内容は同性愛の内面暴露

こんなこと書いていいのと対談相手にいわれる程、

ちょっとすごいです、おかげでフーンと判った。

とにかく彼は書ける人だから(何冊も本出版している)

小笹のおやじさんが亡くなった時の話し、

77歳のお誕生日に77本のバラの花束をもらった話し、

原稿をパソコンに入力出来なくて情けないという話、

世の中ぎすぎすと生きている人達が多い中、

なかなかおしゃれで自由人、魅力的だ。

 

 

4月12日(日)

目黒川の桜とてもきれいだと聴いていたので、

思い出して早速出かけることにした。

せせらぎの緑道を三宿池尻方面に歩いて、

国道246号を向こうに渡った途端、

しだれ桜が川の中ほどまでしなだれかかって、

目黒川を蔽いつくしている、このすごさびっくり。

家の近所も相当きれいだと思っていたが、

木々の大きさや花々のうつくしさは相当なもの。

家から歩いていける範囲内に(30分位)

こんなすばらしい桜並木があるなんて‥..‥

近頃やっと散策をしたりする余裕ができてきた。

勿論その時間は自分で作っていくのだが、

昔のように時間に追われる生活とは大違い。

これから先の事はわからない。

でも健康な今のこの時間大切にしていこう。

 

 

4月5日(日)

今週とてもうれしいことがあった。

水泳をずっと長くつづけているのだが、

いつも同じ時間5、6人のグループと一緒になる。

一人で泳いでいる人は黙々と泳いでいるが、

団体になるとどうしても賑やかになってしまう。

ちょっと気になって近づけなかったのだが、

その中の一人の女性バタフライとてもかっこいい。

思わずきれいですねと声をかけてしまった。

そしたらその女性とても丁寧にバタフライの基本、

チャイムがなるまで、みてくれていた。

一人で勝手に泳いでいても中々うまくならない。

基本だけは身につけた方がいいと今更思う。

誰とでも仲良くと思いながらどこか選んでいる。

又1つ気づかせてもらった。

誰とでもやれるこんな事又又感じた一日だった。

 

 

3月29日(日)

藤沢周平文学を熱く語っていた人の話を聞いて、

夜中のラジオ深夜便で"蝉しぐれ”という、

ラジオ小説を聴いていたらすごく読みたくなった。

文庫本ながら読み出したら止まらなくなってきた。

こんなに夢中になって読み続けたのは珍しい。

おもしろかった。とにかく一気に読み終えた。

”淡い恋、友情、悲運の忍苦‥‥‥、

過酷な運命の中を成長していく少年藩士を、

清流と木立ゆたかな光の中に描いて、

何ともいえない哀惜の情感をたたえた物語です。

こんな解説者の名文句そのとおりです。

最終章は無理にこじつけたようでちょっと残念。

切腹をよぎなくされた父の遺体を荷車に乗せて、

家まで辿りつく主人公の汗と苦悩の姿泣けてきます。

 

3月22日(日)

Posyのアナログノート久しぶりに見る。

この店でバルネ・ウィランやハリー・アレンを知った。

自分の最も好きな音に出会えてとてもうれしいと。

この店に座っているとニューヨークの小さなクラブで、

仲間とリラックスしている気分になってくるとか。

10年近く経って現われた元東大生の2人組みは、

自分の原風景のひとつを見つけたようだと言っている。

そしてジャズ魂にあふれた店だとか夢の世界に、

入りこんだようだなんて書いてあるものもある。

皆この店をよろこんでくれている。

皆とても幸せな気分になると書いてある。

帰る時ありがとうと言ってくれる人もいる。

この店少しでも皆のお役に立っているのだ。

うれしい !!

もっともっとこの仕事深めて人々のお役に立とう。

 

3月15日(日)

1ヶ月位前だろうか夜遅く一人の男性が来店した。

そしてランディ・ウエストンをかけて下さいといった。

訊けば5年もの間サックスに夢中だという。

しかし何年か前突然統合失調症にかかり、

或る日全裸で街中を自転車で走りまわり、

1年半もの間病院生活をすることになってしまったと。

いまでも病気が悪化すると後先かまわず、

物を買ってしまい親に随分迷惑をかけたという。

よくる見るととても真面目で礼儀正しい。

チャーリー・パーカーも発狂してホテルに放火した。

天才だからと許されるわけではないが、

この男性もちょっと異常(セシルテーラーに似ている?)

親が甘やかしているのではと思ったが、

自立しようとして毎日3時間働いているといった。

家族の話もいろいろしたが又入院かと心配している。

 

3月8日(日)

今年は出来る限り都内のいろいろな所を歩こうと、

今回は皇居のお堀を一周することにした。

千代田線で日比谷駅下車。

日比谷交差点のお堀端から歩き始める。

土曜日のせいか走っている人が多い。

日本人もずいぶん健康志向になったなーと思うが、

追い抜いていく大勢の老若男女を見ながら、

何でもアメリカ追従型これもその1つかなと思う。

ブームに乗るのではなく自分なりの、

地道な運動を見つけてほしいものだ。

北の丸公園に入ってやっと静かになってほっとする。

東京のど真ん中にこんな公園があるなんて、

それから千鳥ヶ淵→半蔵門→三宅坂と一回り。

やっぱり終わったあとの一杯のコーヒーすばらしい。

この次も都内のどこかに出かけよう。

 

3月1日(日)

先日下北の街を歩いていたらファーストキッチンの前で小出先生を見かけた。

ちょっと違うかなと躊躇したが走っていって声を掛けた。

お元気そうですねと言ったらわりと元気ですとしっかりと答えた。

しかし見たところ一人で歩いていて足がふらついているし、

前より一回り小さくなったような気がする。

顔色が白くむくんでいるように見える。

最後のご奉公だよと言って86歳で医師の仕事を終えて一年余り。

前にも書いたけど赤ひげ先生のように人のために尽くした。

若い時はものすごく元気でバリバリ働いたであろうに‥。

ああ、人間はいつしか弱って体が動かなくなっていくのだ。

胸が一杯になって立ちすくんでしまった。

こんなに人間として信頼できた先生はいなかった。

こんなに医師と患者との信頼関係を築けたことはなかった。

いつか人は枯れて朽ちていく。

だからこそ、今を精一杯生きよう。

 

2月22日(日)

又又、今回は烏山緑道を蘆花公園に向かって歩いた。

前回と違ってよく晴れて、手袋もいらないくらい暖かい。

一度も道を尋ねることなく、目的地へ。

公園入口近くの徳富蘆花記念館へ入る。

明治の頃の風景や家族にまつわる写真、

服やバック、小物などがたくさん残されている。

その頃はこの辺一帯何もない雑木林だったようだ。

作家徳富蘆花の代表作は“ほととぎす”。

蘆花はトルストイに心酔していて、

あの頃船と汽車を乗り継いで3ヶ月もかかって

モスクワまで逢いに行ったと記されている。

簡単に外国へ行かれる今の時代とは大違い。

裕福な家に育ったけれど生活は質素。

いつも煮豆を用意して来客をもてなしたと言う。

すごくロマンを感じます。

 

2月15日(日)

筑紫哲也の”スローライフ 緩急自在のすすめ”という本を読んだ。

引用や人名が多くてちょっと読みづらいなと思った。

でも私が一番不思議に思ったのは、

これだけスローライフを提唱した発起人が、

1秒を争うテレビのキャスターをつづけてきたということだ。

そのためのストレスは大変なものだろうと思う。

今の世の中この社会から外れなければ、

スローライフなど出来ない仕組みになっている。

私はマイペースで毎日過ごさせてもらっているが、

これだって一朝一夕に成り立ったものではない。

この本の緩急自在のすすめということは、

世の中で急な仕事をして残りの時間で緩の生活をしようと、

いっているような気がする。

本当は24時間ゆったりと豊かに生きることが、

真のスローライフではないかと思うのだが。

 

2月8日(日)

雪がちらちらと舞い落ちる寒い週末、

北沢緑道を→梅が丘→豪徳寺→赤堤→桜上水→、

上北沢→蘆花公園と歩いた。

途中から緑道がなくなってしまったので、

逢う人ごとに聞きまくってやっと8号線に出た。

向こうから来る人に聞いていったのだが、

地元の人ではないのか皆の云うことが違う。

歩くのはなれているが少し疲れた。2時間半位。

蘆花公園って意外に思ったより小さく簡素。

徳富蘆花が住んでいたゆかりの地。

わら葺屋根の静かなたたずまいが残されている。

かえり京王線の千歳烏山駅近くでお茶を。

歩いたあとの熱いコーヒーとてもおいしい。

この次は烏山緑道から挑戦してみよう。

 

2月1日(日)

先週に引きつづいて、

ジャズと映画がとても接近した時期、

けっこう有名なミュージシャンが映画に使われている。

”勝手にしやがれ”は映画史に燦然と輝くヌーベルバークの傑作。

マーシャル・ソラール(仏ジャズピアニスト)がこの映画を、

担当しているのだが5つで出来たメインテーマを基に、

音の配列やテンポを変えて全く違う曲にしているのだそうだ。

ベルモント演じるチンピラのテーマもセバーク演じる、

アメリカ娘のテーマもほとんど同じ音で出来ているそうだ。

そうは云われても画面に夢中であまり残っていない。

映画音楽ってそれなりにあとで思い出されるのがいいなと思う。

危険な関係のブルース、死刑台のエレベーター等、

もう立派に独立してジャズアルバムになっている。

くわえ煙草のジャン・ポール・ベルモント、セシールカットが、

大流行したジーン・セバーク、今観ても全然かっこいいです。

 

1月25日(日)

ジャズが映画の中に使われているという特集を読んで、

ガントレット(1977年)というアクション映画を観た。

証人護送中に降りかかる数々のトラブルに、

一人立ち向かう刑事の活躍を描いたものだ。

クリント・イーストウッド(この映画の監督)は大のジャズ好きで、

チャーリー・パーカーのバードという映画まで創ってしまった。

この映画にもアート・ペッパー、ジョン・ファデス、バド・シャンク等、

そうそうたるジャズミュージシャンを起用しているのだが、

雰囲気はそれらしいけれど映画の中にジャズが、

あまり生かされていないと思う。

はっきり行ってこの映画面白くなかった。

ひと時映画観るのは卒業しようと思っていたが、

未だ溝口健二の作品で観てないのがある。

昔のように名画を観させてくれる所もうどこにもないし、

フィルムセンターにいくしかない。

 

1月18日(日)

去年病気して体動かせなかったので、

ちゃんとした本を一冊読んでみようと、

大和明著”ジャズ”という本を取り出した。

というのは昔一通り読んだことがあるのだが、

むつかしかったのと判らないことも多かった。

しかし今読んでみてあれはこうゆうことだったのかとか、

あのアルバムは私と同じ考えなのだなと共感した。

残念なのはこの本は1980年頃までなので、

その後出てくるウイントン・マルサリス、ペトルチアーニ、

マイケル・ブレッカー等には触れられていない。

その後のこの人の書いたものを読みたいと思う。

この方は高校の先生だったそうだが、

これだけの洞察力、探究心、すばらしいと思う。

とても静かな品のいい方と想像しているのだが。

リタイアされてお元気だろうか、一度お逢いしたい。

 

1月11日(日)

1週間のプール休みが明けて今年も5日からスタート。

去年病気して大分泳げなかったので、

体が鈍ってしまっているようで早く泳ぎたいと思っていた。

これからは無理なく気持ちよく泳ぎたいと思う。

ゆったり自分流に、終わったあとは勿論気持ちいいが、

泳いでいる最中とても気持ちいいと感じられるように。

まだまだ上手くなりたいと思う気持ちはあるが、

バタフライなどつづけて泳ぐと苦しいのでゆっくりと潜る。

窓から差しこむきらきらとした光を浴びながら、

水深が深ければ深いほど何ともいえない気持ちよさ。

全然力をいれてないのねと言われる位力が入っていない。

でもこれでいい、私流のゆったりきれいな泳ぎめざして。

週3回泳ぐのはけっこう忙しいがもう生活の一部に。

それにしても皆どうして水が汚いとかきれいとか言うのだろう。

どこもそんなに変わらないのに。

 

1月4日(日)

新しい年を迎えて、

大晦日はいつも通り12時までお店開いていて、

その時来てくれた人達と乾杯した。

外国では皆集まって大騒ぎするらしいけれど、

お店はとてもささやかにハッピーニューイヤーを祝った。

思いの外知らない人ともグラスを重ね合わせた。

元日は恒例の砧ファミリーパークへと歩く。

最近は体力がなくなってきているので、

しっかりと最後まで歩けるかちょっと緊張気味。

しかし朝はとても気持ちがいい。

ぴりっとした空気風は冷たいけれどすばらしく空は青い。

2時間位かけてやっと目的地が見えてくる。

さすがに足は重くなってきた。でも爽快です。

2日は代々木公園へ3日は駒場公園そして4日は緑道を歩く。

今年も予定通り無事に達成です。