1997年2月1日から11日間、ジャズ発祥の地、アフリカへ向かった。旅行会社のツアーで、二人から催しますとのことなので参加したが、結局私たち二人しか集まらなかった。
パキスタン航空で(後から聞いたらとてもこわい航空会社だとか)、成田→マニラ→バンコク→カラチ(ここでトランジット)→ドバイ→と、給油しながら20時間近くかかって、やっとケニア・ナイロビ空港に到着した。
乗ってて面白かったのは、経由地で乗ってくる人の顔が、先に進むにつれてどんどん濃く、黒くなっていくことだった。ナイロビ空港に迎えに来ていた私たちのガイドは真っ黒だった。
その夜は疲れていたがバーベキューパーティーで歓迎してくれた。串に刺した大きな肉は、ワニなどめずらしいものもあったが、固くて食べられない。
次の朝、用意してくれたサファリカーで、ガイドとドライバーと私たちの四人は出発した。
道はほとんど舗装されてなくガタガタで埃まみれ、日中の気温は40度を越す暑さ。そんな中でサファリカーは走る走る。
6時間かかって、アンボセリ国立公園にやっと到着。キリマンジャロ山が目の前にそびえる、素晴らしい眺め。
2月は乾期なので、動物たちは水を求めて他へ移動してしまうらしいが、キリンやゾウ、サイやチータ、ハイエナ、ヌー、トムソンガゼルなどたくさんの動物たちを見ることができた。こっちをじっとみている。
アンボセリのロッジで二泊し、また6時間ぐらいかかって、アバーディア国立公園へ。アバーディアのロッジは、現在のエリザベス女王が王女だった頃、泊まったことがある由緒正しいところ。さすがにボーイも礼儀正しい。
このロッジは相当山の上に建てられており、泊まり客は皆荷物を預けて歩いて登った。部屋はコンパクトながら、とても素敵なインテリア。
翌朝、バルコニーから夜明けのコーヒーを飲みながら動物たちを眺める。森の向こうから、朝日が登ってくる。
その日の昼、何千羽というフラミンゴが集まってくるナクル湖へ。
ナクル湖のロッジで一泊してから、いよいよマサイマラ国立公園へ。せせらぎのきこえる鬱蒼とした、なかなかいい感じのロッジ。
このロッジに、インドのハイクラスの家族が泊まっていた。食事のときもばっちり正装していて、あれこれ注文をつけてボーイも応対にたじたじの感じ。貧富の差を感じる。
ライオンをあまり見ない。今度こそライオンを見つけようと、ドライバーは張り切る。他のサファリカーと連絡を取りながら、やっと昼寝しているライオン一家を発見!メスライオンがぐったり寝ている側で、10匹ばかりの子供のライオンがじゃれついている。すごく可愛い!!
オスライオンは孤独だ。家族と離れて別行動している。車が近づいてもゆうゆうと歩いていくが、なぜか淋しげに見える。
最終日、私が一番行きたかった、マサイ人の住む村に立ち寄った。
牛の糞で作った家。家の中は相当暗く、何か煮物のにおいがする。
黒い体に赤い布をまとった人々、牛の血と肉しか食べないから、皆とてもスリム。
寄ってくる子供の笑顔が素晴らしい、本当にすばらしい。
何もなくてもこの人たち幸せなんだ、むしろ文明など求めないほうがいい。
彼らと写した写真は、一生の記念になるだろう。
車を走らせていたとき、通りすがりの子供たちが近づいて、「アメくれ、アメくれ」と手を出した。
そのとき、いつもおだやかでにこにこしていたドライバーが、急に怖い顔になってムチのようなもので彼らをピシッとぶち、「あっちへいけ」と叫んだ。
同じ国の人間同士なのに、いまだにこんなことをするなんて。 すごく憤りと矛盾を感じた。
便利に豊かになった分、何かを失っていく。
健康で家族一緒に暮らしていくことができれば、それが一番。
私はアフリカの子供たちの笑顔を見て、目がさめる思いだった。
ジャズの原点を求めて出かけたアフリカの旅だったが、直接何かを得られることはなかったものの、黒人の宗教音楽はいろいろなジャンルで原点になっているのではないかと思った。
蛇足だが、帰路カラチでトランジットのため一泊したのだが、パキスタンのビザをもっていなかったため、空港でパスポートを取り上げられた。なぜ取り上げられたのかさっぱり理由がわからず、いつ返してもらえるのかもはっきり分らず、カラチのホテルで不安な一夜を過ごした。
結局再度空港に入る際返してもらえたが、旅行会社が一言その説明をしておいてくれたらと思った。その不親切さのために今までの楽しさがぶっ飛ぶくらいの緊張感を味わった(あの物乞いや浮浪者が渦巻くカラチ空港の恐ろしさが忘れられない)。
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