日曜日のひとりごと 2013 

 

2013年12月29日(日)

今年もあと僅かとなった。

40周年パーティはなんといっても大きな行事だった。

毎年続けている世界ジャズフェステバルへの旅。

プールで倒れて救急車で運ばれた事。。未だに。

水漏れの改装工事で大変な思いをした‥‥。

いろいろあったけれど全て無事終わる事が出来た。

27日はプール納め、皆にありがとうの挨拶をする。

休館日に入るのでこのところ毎日泳ぎつづけた。

それにしても日本人って数字にこだわりすぎる。

40周年と言うと急に態度変わる、中味見てない。

この事はいつか又ゆっくり書きます。よいお年を

 

 

2013年12月22日(日)

今週は本当に忙しかった

家族が旅行に出かけているので、その間に、

いろいろやっておこうと思って一週間の予定、

を立てたその中の1つ、新宿西口まで通っている、

大学病院の事、もう6,7年通っている。最初は、

近くの眼科で診てもらっていたのだが‥‥。

思わしくないので紹介状をもらって精密検査を。

その結果眼底出血(もっとむずかしい名前}と

診断され即手術を受けた。とても結果がよく、

それからずっと通うことになった。しかし毎回

思うのだが何でこんなに待たせるのだろう。

その為か患者の一人一人を患部だけしか、

診ていない、医者と患者の大事なつながり、

なくなってしまっている、心の通う病院であって、

欲しい、この日も1日がかり、ものすごく疲れた。

 

 

2013年12月15日(日)

ひとりごとは毎週書いていくつもりだが、

必ずしも今週のこと書くとは限らない。

心に残ったこと、これは書きたいと思ったこと、

ちょっと日にちがずれていても残していきたい。

パーティが終わって次の日あたりだったと思う。

未だそんな雰囲気がいっぱい残っていたお店に、

4人づれの40代位の男性が来店した。そして、

みんな同じものをオーダーした、私は聞かれるままに、

巷のように営利が目的ではない好きなレコードを、

かけてあげてとても喜んでくれるお客さんのために、

これが私のライフワークそんなこと話したのだが、

帰る時一人の男性がお会計のほかに40周年、

おめでとうございますといって一万円を置いていった。

見ず知らずの人だった、本当にびっくりした。

 

 

2013年12月8日(日)

今週は私の誕生日、親しくしているsさんが、

お寿司で乾杯しようと、3人で出かけた。

彼はいろんなところへ行くのでお店をよく、

知っていて、通好みの店よりもう少し、

バラェティにとんだ北海道直通の新鮮な

魚を食べさせるお店を捜して下見までしてくれた。

やさしい‥‥家族の一員になったよう。

こんなに祝ってもらって今私は最高にしあわせ。

15行にこだわることなく自由に書きます

 

2013年12月1日(日)

40周年パーティ大成況の中に無事終えました。

椅子が足りなくなって立ち飲みパーティになったが、

大勢の人が集まってくれて本当にうれしかった。

yさんもギタリストと一緒にかけつけてくれて数曲、

歌ってくれた、思いがけないプレゼント。

後半予期しない飛び入りライブが始まってしまった。

昔の常連が女子ジャズの娘(as)に演奏させて

ほしいと連絡を受けていたのだが、彼女はposyの

パーティに幼児の頃よく来ていたのでその頃を、

知っている常連はびっくりショックを受けたようだ。

ここまでやれるまでに成長した事への驚き‥‥。

みんなリズムをとってとてもたのしそうだった。

ちょっと考えさせられてしまった、私は深く探求して、

いくジャズ、これからも続けていきます

(来週から記録として残していきたいと思います。)

 

2013年11月25日(月)

40周年パーティは予定通り無事終わりました。

ものすごく皆さん歓んで楽しんでくれたようです。

パーティのことはもう少し落ち着いてから書こうと、

思って次回に廻しますそれにしても40年とは、

やっぱり長い年月です。トイレットペーパーが、

無くなると大騒とりながらぎした1973年(昭和48年)にopen,

したのだがあの頃はめちゃめちゃに忙しかった。

後ろからつつかれているようなじっとしていられない、

毎日だった何も考える事も出来ず馬車馬のように、

働いた、その頃は未だコンビニもなくてコンビニの、

前身は手づくりのトーフ屋だった、駄菓子屋も近くに

あったし煙草屋のおばさんも若かった。余りさえない、

この街すっかりお店が増えてきて変わってしまった。

繁華街からはずれていてとても落ち着いていて、

いいなと思っていたのに、でも変わらないでいきます。

 

 

2013年11月17日(日)

今年の40週年パーティは区切りなのでお知らせの

意味も込めてたくさん出した。宛先を間違わないように

一人一人調べて大変だった。とにかく昔のお客さんが

元気でいらっしゃるのかどうか知りたかったのだが

そうしたら本当になつかしい方々から連絡があった。

Oさんもその一人。年賀状も途絶えがちだったので

ちょっと心配だった。今は珍しい木造建築しか

扱わないという一級建築士、ばりばりと仕事を

していた50代の頃よく来店した。雑誌にも

太い丸太棒の木をそのまま階段に使った写真が

載っていた。ビルの仕事などは大喧嘩して一切

止めてしまう程の今は珍しい豪放な大物だった。

80歳を過ぎてお酒も飲めなくなったとか。

そうそう、この建築家にあこがれて建築の仕事を

するようになったお店の常連もいた。なつかしい !!

 

 

2013年11月10日(日)

先週久しぶりにYさんの家に出かけた。

バスに乗るのだが、電車でいくより、

乗り換えなしでいけるのでとても便利。

Yさんとは40年以上のお付合いなのだが、

ちっとも変わらない、始めて会ったのは、

軽井沢のジャズフェスだったが子供が、

未だ小さくてだっこしていたのだが、

すてきな人だなと思ったのが始まり‥、

それからつかず離れず、最近は何故か、

親しくなっていろいろな事話し合うように、

なった。ジャズシンガー一筋に何十年、

さっぱりとしたさわやかな感じこの人柄が、

皆に好かれて仕事続けてこれたと思う。

恋多き女性‥こんな人生すばらしい!。

パーティに来てくれるとのこと、うれしい!。

 

 

2013年11月3日(日}

11月に入った。今月はパーティがあるので、

ちょっと気持ちひきしめています。精一杯やる。

先日来店したお客さんとても印象に残っている

のでノートに書いてくれたコメントをそのままを、

載せようと思います、”念願のポジーさんまずは

40周年おめでとうございます並大抵の事では、

達し得ない素晴らしいことですね、コルトレーン、

かけて頂いてありがとうございました”etc‥‥。

うれしかったこんなふうに評価してくれる人が、

一人でもいてくれたら又明日もやっていける、

どんなに苦しくてもこの一言で勇気を出すこと、

できるありがとうございました、忘れません、

40年たしかに辛い苦しいこといっぱいあった。

しかし苦しみの先によろこびが必ず待っていた、

これからは全てを 執着から離していくつもり。

 

 

2013年10月27日(日)

先日は久しぶりに小石川近辺を歩いた。

午前中に家を出て茗荷谷駅から(丸の内線)、

桜並木を小石川植物園へ、その日は休園日、、

がっかり、そこから少し歩いて伝通院という、

千姫のお墓があるというお寺に参拝した。

まるで都会とは思えない静けさお茶をいただく。

そしてシビックセンターの(文京区区役所)

25階の展望台まで上る、この日は曇っていて

富士山は見えなかったが新宿池袋が遠く霞んで、

見えた。‥聞いたことのあるシビックホール

近くのカフェでお茶を‥文京区って昔の名所、

まだまだいっぱい残っている小石川後楽園を、

のぞいて飯田橋から電車に乗る、小さな旅、

5k位歩いた歩いただろうか、実は町会の案内の、

なかで見つけた記事を参考にして歩いたのです。

 

 

2013年10月20日(日)

先週の日曜日福島の新鮮な野菜を売っている、

店にランチを食べにやっとでかけた。すぐ近く

なのになかなか身軽に出かけられなくていた。

Sさんとnさんが厨房を任されていてSさん(女性)、、

は前にも書いたが福島から出てきてスタッフとして、

n さんは(男性)優秀な料理職人の腕をもっていて、

ボランテアとして遠くから通っているとのこと。

とにかくランチのおいしかったこと、お客は次々と。

この日はごぼうを主体とした品目でごぼうの春巻き、

野菜のおひたし、かぼちゃのスープ、つけもの、

野菜たっぷりの味噌汁、ごぼう入りの混ぜごはん、

それに葡萄のデザート、まあほんとうに手の込んだ、

野菜のオンパレード、営利を目的としていない心の、

こもった営業みていて違います、手ぬぐいかぶって、

にこやかに応対いきいきとした笑顔すばらしい!!。

 

 

2013年10月13日(日)

7月末で隣の床屋が閉店して田舎に帰っていった。

いろいろお世話になったし仲良くしていたので、

ショックだった、ずっと続けていくのかと思っていた。

大きな声で挨拶をするさわやかな青年だった。

子供に最初会ったときは男の子ばかり5歳3歳0歳、

幼稚園に2人も通っていて毎朝2人の子供と手を、

つないで送っていく後姿よく憶えている制服制帽、

とてもかわいかった。それからもう3人共小学生に、

子供の成長ってすごくはやい、のびのびと田舎で、

子供を育てようと決心したのだろうと思う、えらい。

田舎に帰ってもこの仕事は続けていってください。

やわな父親のイメージが強い世の中とても自然に、

大らかに生きている、流されないで真っ直ぐに、

子育てしている、どんな大人になるかほんとうに、

楽しみです何年か先会ってみたいなあと思います。

 

 

2013年10月6日(日)

昔の友達k子が40周年パーティに来たいといってきた。

20周年と間違えていてひどくびっくりした様子だった。

昔々ほんとうに昔k子とは共通のやりたいことに向かって、

熱く燃えていた、まわりは人を押しのけても、這上がろう、

とする人ばかりだったが彼女はおっとりとしていた。

一緒にスキーに行った写真送ってきたことがあった。

色が変わってしまった古い写真急に涙があふれてきた。

本当に今思い出しても胸がいっぱいに、なつかしい‥。

その彼女、いろいろあって、子供を離して離婚した。

一生十字架を背負って生きていくのねと当時ひどいこと、

いってしまったがその後新しい家庭つくって暮らしている、

人間の一生なんて誰でも一冊の本がかけてしまうほど。

その彼女がパーティにきてくれるといっている、でも、

その気持ちだけですごくうれしい、いつまでも元気で、

長生きしてほしい、夜は大変だから昼間逢いましょうね。

 

 

2013年9月29日(日)

もうすぐ今月も終わり月日の経つのはほんとに早い。

住めば都というけれどここに住み慣れて何時の間にか、

愛着を感じるようになってきたいろいろあったけれど、

40年も経てば全てが古くなるでもこの古さを大事に、

していこう後何年やれるのかわからないでも最後まで、

自分らしくここで最後までやれたらほんとうに幸せです。

最近20代30代の若者が来店、話をする機会が増えた。

ジャズのことから今の若者の考え方までそしてこの、

雰囲気をとてもよろこんでくれる、なにか独特の雰囲気、

いつの間にそんな空気が感じられるようになったのか、

ごくごく自然のうちに長い間かかってそうなったのだろう。

もう何にもしなくても黙っていても気持ちが落ちつくという。

うれしいこんなによろこんでくれるなんて話をしていても、

私もとても楽しい、もっともっと人のお役にたてるように!。

自分のできる範囲の中で人のお役にたてるように!!

 

 

2013年9月22日(日)

九月に入って毎週通っているスイムレッスンに

出かけたら何とコーチが変わってしまっていた。

バタフライだけ教えてもらおうと思って参加したのだが、

他の3種目も月ごとにやっているのでみてもらう事に。

長い事自己流で泳いできたのでそれなりのくせが、

ついてしまっていてなかなか変えていくのは大変。

でもとても楽に泳いでいると言われてうれしかった。

体力がおちているのでまるで力が入らない想像以上。

しかしゆっくりつづけていつまでも泳ぐことは出来る。

30年以上も泳ぎつづけてきたもう生活の一部にも。

今更レッスンなんて必要もないだろうと思えてきた。

自分なりの泳ぎ方でずっとずっと泳いでいきたい。

友達ほしくてグループに入る人も健康のために入る、

人もそこで知り合った人皆それぞれちがうけれども、

みんな仲良くしてたのしかった、いろいろとありがとう。

 

 

2013年9月15日(日)

旅から帰ってほっとする間もなく住まいのキッチンの、

どこか判らないのだが水漏れしているのが見付かった。

水道屋さんに見てもらったら土台から痛んでいると、

云われて大工事になってしまった。床をはがして台所、

用品すべてを取り替えることに未だ使えるものもあった、

毎日現場で立ち会っているうちに何ていい加減だろう

時間は全然守らない8時からといっているのに何処か、

掛け持ちしているらしく一日待っても来てくれない、でも

早くすすめてほしいと予定をきいて待っていたが‥‥、

精神的に限界にきてしまった言うべき事はいいます、

怒らないでこの考えをどこまで持続できるか試されて、

いるよう工事の人達も本当はいい人なのです何処かで

こんなふうに生きていくことを憶えてしまったのでしょう、

私はいまどんな人とも仲良く心を開いていくつもりです、

延びに延びてやっと終わった、貴重な体験が出来たと思う。

 

 

2013年9月8日(日)

翌朝はお昼頃やっと起きてホテルのカフェに行く。

この泊まっているホテルのカフェ若者に大人気、

摩天楼の一角に斬新なデザインすごくかっこいい。

今夜はお気入りのジャズクラブジャズスタンダードで、

ミンガスオーケストラを聴く事にまだまだ良心的な店、

ワンドリンクで(勿論ライブチャージは別)ダイナミックな、

サウンドを堪能出来た予想外の収穫だったこれからも、

最後の夜は今回のお目当てバードランドにトリオ3を、

ライブは小さい所でじっくりとこれが私の最高の贅沢、

いい席取ろうと早めに行ったら一番前の特別席だった、

オリバーレーク、レジーワークマン、アンドリュウシリル、

それに白人のピアノ入る常に新しく進化している様子、

ワークマンと仲良しになった人柄がとてもいいのです、

明日も来ないかと云われて正直うれしかった、しかし、

翌日は予定通り帰路に着く思い出いっぱいの旅だった。

 

 

2013年9月1日(日)

ジャズが何なのか判っても判らなくてもいいです。

この日は一年で一番たのしくくつろげる日なのです。

ジャズフェスの楽しみ方ってこんな盛り上がりが最高。

昔来れなかった必ず来ようと思っていたが達成した。

1958年ニューポートジャズフェスという映像の美しい、

すばらしい映画があったが今はそのような優雅さは、

感じられない誰でも楽しめる気楽なものになったよう。

チックコリア{相変わらず貫禄}ジュシアレッドマン、

{もう40代です}パキートデリベラ{キューバ出身}、

スティーブコールマン{聴き続けよう}ロイヘインズ、

{この元気さ}ジムホール{あの音色忘れられない}、

ニューポートジャズフェスは一時中止していたが、

今はすっかり伝統的な趣きのあるジャズフェスに‥。

帰り夜7時出発したが渋滞に巻き込まれてニューヨーク

に着いたのは夜中1時近く、まさに弾丸ツアーだった。

 

 

2013年8月25日(日)

次の日59丁目ニューポートジャズフェステバル行、

バスが出るコロンバス・サークルまでそんなに

遠くはないけれど早朝5時出発なので、タクシーで

行くことにした。気温27度ちょうどいい。

当日長距離バスは止まっていたが係りの女性、

スタッフが未だきていないとか遅刻です。日本とは

だいぶ違う、宣伝の割にはいいかげんなところ多い。

遅れて出発したが誰も文句言わないなれている。

すがすがしい朝の光が射してきて気分は晴れ晴れ。

チケットパンフレットもらってそれぞれ会場へ別別。

しかし海からの風はさわやかだが日差しがすごく、

暑いでも誰も熱中症だなんて心配している人、

いないようだこの違い日本の騒ぎ方異常では?

お客はこの日を楽しもうとお弁当やアイスクーラーや

大きな椅子シート持ち込んでピクニック気分次回へ。

 

2013年8月18日(日)

8月2日-8月8日迄NYニューポートに出かけた。

4回にわけて記録として残しておきたいと思う。

先月は体調を崩してしまって自分の体に自信を、

失いかけていた時だったので大丈夫かなと、

それだけが心配だったが家族に全てをまかせて、

自分の体のことだけを考えて無理をしないように、

心掛けた。ニューポートジャズフェスティバルへも、

片道4時間という長さ、しかし決めてしまったこと、

行くしかないデルタ航空も直通で12時間かかる、

機内ではなるべく体動かして足ぶらぶらさせる。

8月は学校が夏休みに入っているせいか集団の、

旅行者が多く機内は満席、眠剤を飲んで眠る事に。

午後の3時頃NYJFK空港に余り疲れてはいない。

Eラインの地下鉄で51丁目のホテルに無事到着。

何度もきているせいかあまり緊張感が感じられない。

 

2013年7月28日(日)

先日なつかしい人に声をかけられて道で話をした。

40年も前posyの近くで焼き鳥屋をやっていた人、

今は駅近くに進出して和風の店をだしている。

まだ子供達が小さくてお互いの店の奥いったり、

来たりして楽しそうに遊んでいたのを思い出す。

男の子2人共今はお店で働いているそうだ。主人

は今もあまり変わっていないが、しかし10年前、

大手術をしたそうで未だ借金が残っているという。

人それぞれだが無理をしてはいけないなと思った。

posyは変わらないことを信条としてやってきた。

最初はめちゃめちゃ忙しかったが今は本当に

マイペース10人中10人のお客さんが気になって

いた店だというそして帰る時どの人もありがとうと

言ってくれる、こちらこそありがとうを心から‥‥。

都合でひとり言2回お休みさせていただきます。

 

2013年7月21日(日)

山田洋次監督の”東京家族”という新作を観た。

うーむ山田洋次監督の姿勢は全然変わっていない。

人間に対する深い愛情世の中に対する厳しい批判、

庶民に対する優しいまなざしそして未来への希望。

小津安二郎監督の”東京物語”からのあらすじだが、

只のものまねではないストーリーや登場人物は、

借りていても全く違う作品に仕上がっている現代が、

抱えている核家族の問題を痛烈に指摘している。

だめだだめだと家族に思われてきた下の息子だが、

実は一番人間的な生き方をしている胸がいっぱいに、

なった、強くなくてもいいやさしい思いやりのある、

ここを描きたかったのだと思う人の心をしっかりと、

見つめて、寅さんで有名になってしまった監督だが、

ほんとうはこんな派手な人ではない、私の一番の、

おすすめ彼の代表作”家族”をぜひ観てほしい!

 

2013年7月14日(日)

翌日かかりつけの先生に昨日の事を話して、

心配だからMRIの検査をしたいとお願いして、

紹介状を書いてもらった、相変わらずの猛暑、

3年前に検査受けたことあったので同じ病院に

歩いていくのに何の疑問も持たなかったのに。

(後日暑さの中歩くのは止めてといわれた。)

検査が終わった後ちょっと心配の結果がでた

ので資料を持って帰り主治医の所に寄るよう

に云われた。主治医は脳の中に小さな血液

の塊が発見されたが意識がはっきりしている、

吐き気もないし言葉もおかしくなっていない。

脳梗塞の兆候は全くないプールで歩けなく

なったのは朝飲んだ風邪薬のせいだといった。

念のため血圧が上がらないよう薬を飲むよう。

先生が大丈夫というのだから。先生を信頼して。

 

2013年7月7日(日)

先週金曜日救急車に乗ることになってしまった。

この日はいつものようにプールに出かけ、

泳ぎ終わり水を飲もうとプールから上がったら

急に足や腰が立たなくなって体が崩れた。

意識ははっきりしているので自分でびっくり。

立ち上がろうとしても全然力が入らない。

あれあれどうしたんだろうと座り込んでしまった。

スタッフに助けられてベットのある休憩室で

休んでいたが歩くことが出来ない。

遂に救急車のお世話になってしまった。

そして三宿の救急病院に運ばれた。

まるで自分の体でないような気がした。

夕方になっても歩けないので家族を呼んで

やっとタクシーで帰ることが出来た。次回に続きます。

 

2013年6月30日(日)

先日三茶に買い物に行った帰り昔からの、

知り合いの店に何故かこんちわと入って、

店番をしているお父さんと立ち話をした。

いつも通り過ぎてしまうのに不思議だった。

お父さんは未だ70才前なのにすっかり、

白髪になってしまったが昔よりおしゃべり、

をするようになった、もういつ死んでもいい、

急に倒れても直ぐに救急車呼ばないよう、

急いで運ばれると助かってしまう事多いから。

お墓はあるが入る気はしない業者に頼んで、

どこかに撒いてもらう(これはちょっとね)。

ほんとにいつも思っていること大声で、‥

思い切りしゃべった、とても自信あるように。

でもお店は最後までやい続ける人だと思う。

何故か楽しく大笑いしながら時間を過ごした。

 

 

2013年6月23日(日)

柴田とよさんという女性の”くじけないで”

という詩集を家の中で見つけてなにげなく、

読んだ亡くなられたけれどこの頃の写真は、

96,7才だとおもう、おだやかな顔が‥。

この素朴な語り口やはりこの年にならないと、

書けないと思う。一例をあげてみてみると、

”今週は看護士さんにお風呂に入れてもらい。

ました。倅の風邪が治って二人でカレーを、

食べました。嫁が歯医者に連れていって、

くれました。なんて幸せな日の連続でしょう。

手かがみの中のわたしが輝いています”。

一人暮らしの動けない毎日眼に見えるよう。

昔はどうでもいいこの心境ぐっときました。

全てを自然にまかせて相手の事思えるよう、

今日はすばらしい!it's a wonderful day!

 

 

2013年6月16日(日)

福島から出張して近所で野菜や加工したもの、

宣伝している人達と知り合うようになった。

以前から何かお役に立ちたいと思っていた。

たまたまお店にお客さんとして来てくれて、

話をしている中に少しでもいいから野菜を、

買うようにしようと思いたった。小松菜は3時間、

前に取れたばかりときいて早速家に帰って、

ゆでてみたらほんとやわらかくておいしい。

そのうちキャベツ持ってきてくれたり小さな、

大根が3つ4つついている菜っ葉をもってきて、

くれたり元気なお姉さん、ボランティアのお兄さん、

忘れていたかまえない自然なお付合いが‥。

囲っていたもの少しづつはがされていくよう。

(キャベツ固くしまっているが一枚一枚はがし、

スープに入れて煮込むとすごくおいしいです)。

 

2013年6月9日(日)

昨夜ラジオから”桜んぼの実る頃”という曲が、

(シャンソン)聴こえてきた。クラボケールという、

女性が歌っていた、名前は間違っているかも。

たしかこんな名前だった。忘れられない曲です。

戦争に行かされて帰って来ない恋人を待って、

今年も桜んぼの実る頃になった。しかし彼は、

帰って来ない、何時になったらこの戦いは、

終わるのだろう、私は待ち続ける‥こんな歌詞

だったような気がするが、彼女の低く静かな、

つぶやくような声、反戦歌です、大声で叫ばない、

強烈な反戦歌です。胸にぐっと突き刺さるほど。

昔昔失恋をして泣き崩れていたあの頃の友達、

只聞いてあげるだけだったがその喫茶店内に、

この曲が流れていた、はっきり憶えている。

中央線の阿佐ヶ谷駅近く、ああ、なつかしい!

 

 

2013年6月2日(日)

先日25日恒例の一品持ち寄りパーティ無事終えた。

毎年続けているのだけれど今年も楽しかったです。

一品何でもいいから持ってきてもらうのだけれど、

手作りの自慢の料理を持ってきてくれたりワイン、

かわきもの、などさまざま、皆誰彼の区別もなく隣、

に座っている人と話をしている、年齢も職業も全く、

違うのに対等にできるってすばらしいなと思います。

一品持ち寄りパーティと周年記念パーティと同じ、

集まりだと思っている人がいたけれど意味合いが、

違います。次回40周年パーティには40という重み、

かみ締めながら楽しんでいただけたらと思います。

世の中どんどん変っていくけれど、この店だけは、

変らないでこのまま最後まで続けていきたいと、

思っています。変っていくのが当たりまえなのかも、

しれないがこのまま続けます、応援してくださいね。

 

 

2013年5月26日(日)

エリアカザン監督の”草原の輝き”という映画を観た。

昔観た事があって渋い映画だが心に残っていた。

つたやでレンタルしたのだが さすが旧作が多い。

ドラマは軽いものばかり本当にいいもの置いてない。

ナタリー・ウッドやっぱりいいすばらしくきれいな時。

ウオーレン・ビューティまだ駆け出しの頃だろうか。

初初しくてすごく素敵彼はシャーリー・ホーンの弟。

久しぶりにちゃんとした映画を観たこの監督だもの

1950年代の映画だが時代は1928年のアメリカの、

田舎町カンサス未だこんなに封建的だったのか。

今もこの中西部あたり考え方すごく保守的だとか。

”草原の輝き”とはワーズ・ワースの詩からのもの。

草原の輝きは失われても嘆くことはない、そのまま、

でよい、輝きは失われてもそれとは違う何かが‥。

この頃の映画ちっとも古くない永遠に輝いています。

 

 

2013年5月19日(日

ラジオ深夜便の名画名曲名セリフという番組で、

(大杉まさあき氏の熱い語り口がとてもいい).

"グリーングリーングラスオフホーム”という曲が、

紹介された誰でも知っている有名なあの曲が、

実はものすごく重たい内容のものだときいて、

ほんとにびっくりした、列車を降りるとやさしく、

ほほえんでいる父と母いる、なつかしい故郷、

子供の頃一緒に過ごした草原の中の我が家。

はっと眼が覚めるとそこは暗く狭い独房の中。

彼は死刑囚だった‥最後に神父と歩いていく先は、

死刑台への道を暗示しているそうだが日本では、

この暗い部分はカットされてしまっているらしい。

誰が作詞をして誰が作曲したのかはしらない。

胸が締めつけられるような場面うかんでくる。

いい曲ですねえ‥まさに名曲、すばらしいです。

 

 

2013年5月12日(日)

しばらく会っていなかった姉から電話があった。

弟が私に会いたいと云っているのだそうだ。

自分で電話してくればいいのに相変わらずだな。

弟は今年も従兄弟会の主催者として出欠の、

葉書を送って来た、その中に近況をお知らせ、

くださいという欄があったので私は自分で決めた、

人生歩いていますと書いて出したのだが‥‥。

多くの人が生活の為に自分が望んではいない、

道を止む終えず歩いているのではないだろうか。

それなのに私は曲がりなりにも自分の方向に。

やりたいことをやってきている、やりたいことが、

あってとてもうれしい、つらいこときびしいこと、

いっぱいあるがうれしかったこともたくさんあった。

もう駄目だと思った時必ず救いの手が現われた。

このままいこう。全ての人を想える日が来るまで。

 

 

2013年5月5日(日)

先日東京都庁にパスポートの切り替えにいった。

ウイークディのせいかびっくりする位空いていた。

何度も電話して細かく聞いて確かていったので、

ミスもなくスムースに申請出来た。それにしても、

昔未だ都庁が有楽町にあった頃旅券の係員に、

古いパスポート返さないと罰則になるといわれ、

怖くてぴりぴりしていたこと思い出すそれに比べ、

今の変わりよう言葉の使い方まで考えている、

この写真では駄目です取り直しですと言わない、

もうちょっと大きめのサイズのはありませんかと

やわらかに云ってくる結局撮りなおしなんだけど。

時代が変わるとこんなにもサービスが良くなる。

帰りホテルのロビーでお茶をする新緑が美しい。

6日後10年有効のパスポート無事手元に入手

さあ、あと10年もすばらしい年になりますように。

 

2013年4月28日(日)

映画イーストウッド主演の”人生の特等席”を観た。

うーんイーストウッドが最後にたどりついた心境。

それは富でも名声でもない家族との幸せだった。

今迄の最近の映画はいつも家族とのつながりの、

ない孤独な人間像を演じていたような気がする。

しかしここでは父娘の究極の幸せを描いている。

彼の役はすっかり年をとって眼も不自由になり、

仕事に支障をきたすようになっても未だ好きな、

仕事(野球のスカウトマン)辞めようとしない父。

6歳の時に親戚に預けられその後寄宿生活を、

強いられて親の愛に飢え親を憎んでいる娘との、

確執、彼を最も理解してくれる友達の計らいで、

父と娘は少しづつ判りあって行くとても自然だ。

イーストウッドますますがんこな老人役、一年、

一作毎年創り上げていくその力やはりすごい!。

 

2013年4月21日(日)

三国連太郎が4月半ばに亡くなった。90才。

TVで突然アナウンスされた時はどきっとした。

なにか大切な人身近な人を喪ったようだった。

”飢餓海峡”直ぐに頭に浮んだ彼の代表作。

私の日本映画のベストテンの中にはいつも、

1,2を争うかたちでこの映画はいっている。

鮮明にあのシーンが蘇えるその都度熱く‥

あの若者の初初しいかがやき、おにぎりを、

むさぼるように食べるトロッコでのシーン、

もうそれだけでいい私だけの強烈な思い出。

こんな映画の思い出持っているだけでとても、

人生しあわせにさせてくれます、私生活は、

相当はずれていた人だったらしいがそんな事、

どうでもいい、なんかスウさんの役で知られて、

しまってとても残念、彼はそんな役者ではない。

 

 

2013年4月14日(日)

30年以上も来店してくれている常連さんがいる。

どんどん御客さんは代わっていくのにこの、

この男性全然代わらないで隣の街から自転車で。

こうゆう人って派手なことしないいつも静かに、

今かかっている音楽を聴いていて解説読んでいる。

いつかちょっとお酒の量が増えたかなと思った時、

始めてジャズを知った頃の事話した事があった。

でもその後は又その話は全然しなくなってしまった。

口数少ない人だがやはり青春の思い出を大事に、

しているのだろう、それが原点になってジャズを、

聴くようになったのだろうとひそかに憶測している。

この男性先月大ファンのウエイン・ショーター4を、

聴きに行った帰り珍しく興奮した様子で新譜のCD、

置いていってしまった、いつもそんなことないのに。、

こんなお客さんもっといたらなと思うこの頃ですが。

 

 

2013年4月7日(日)

やっと4月に入った3月はなにやかやと忙しく、

ひとり言続けるかどうしようか考えている、

暇もなかったのでもう少し続ける事にした。

毎週通っているスイミングいつもの時間に、

帰ろうとしたら昔の仲間2人に偶然会った。

きけば又昔習った事のある4泳法の時間、

昼間の時間帯に戻ってきて始まったという。

コーチもとても丁寧に教えてくれた男性の、

コーチだという(感じいいなと思っていた)。

あれから何年も経って4泳法出来るように、

なったけれどやっぱりみてもらうとちがう。

直ぐ出来なくても注意されたことしっかりと、

憶えているそのとうり練習している、体力が、

落ちてきて心配だがもうワンクール受けよう。

もうちょっときれいに最後まで泳ぎ続けたい。

 

 

2013年3月31日(日)

もう20年以上路上でよく会うKさんに、

(エホバの証人)先日はっきりと伝えた。

挨拶する程度だった彼女が今回近くでの、

イエスキリストの死ヲ悼む聖書の集まりに、

どうしても来てほしいとなんども誘ってきた。

いままで黙って聞いていたのだがあまり、

しつこいので貴方もっと謙虚になってほしい。

そのままの態度では誰もついていかない。ねん

先ず貴方の人柄と人格で示してほしい。

追い詰められて始めて本当の事が判ると、

思う貴方ももっと聖書を深く勉強してねと。

顔色が変わった誘うのはもう諦めましたと。

しかし私はその人を否定したのではなく、

ことがらを否定したのだからいつもと同じ、

道で会ったらにっこりこんにちわといいます。

 

2013年3月24日(日)

最近家族がしばらく旅行出かけた間のこと、

今まで同じことを何回もくりかえしていたが、

今回ほど無事に帰って来てほしいと何故か、

心配したことはなかった。やはり年月が、

だんだんそうさせるのだろうか何事もなく、

帰ってきた時のうれしさ言葉ではいえない。

いつも思っていることだけれどまわりの人、

どの人にもこんな思いかけられたらと思う。

自分の家族のことばかり考えるのではなく、

他人のことすべての人のこと想えるように、

昨夜もお店にご夫婦らしき2人連れが見え、

帰る時ありがとうありがとうと喜んでくれた。

アナログデスクでじっくり聴けすばらしかった、

この雰囲気のなかできけたことよかったと。

小さなことでいい人のお役にたててうれしい!

 

2013年3月17日(日)

先日最近親しくしているご近所のNさんの

お母さんが亡くなった後日85歳だったと聴いた。

いつか遊びに伺ったときは眼の具合が悪くなり、

一人では歩けないといっていた外は車椅子で。

でも話す事はしっかりしていて昔のことを、

迷惑かけてほんとに申し訳ありませんでしたと、

しきりに謝っていた読書家で病院で合った時も、

待ち時間静かに本を読んでいた。眼が見えなく

なってさぞかし辛かったのではないかと思った。

お寿司屋のおかみさんにはとても見えなかった。

お店のお客の車が立ち去るまで外に走って出て、

何度も何度もおじぎをしていたのを思い出す。

仕事人のおやじさんとの絶妙のコンビだったと、

云う人がいるが陰で支えてきた力は大きい。

Nさんに看取られて眠るように逝かれたそうだ。

 

2013年3月10日(日)

今週新宿のナルシスというジャズの店に出かけた。

前からこの店のことはいろいろ聞いていたので、

一度いってみようと思っていた実は何年か前に、

2回入り口までいったのだが開いていなかった。

風俗関係の客引きが道の真ん中に立っていて、

ちょっと入りづらかったが思い切ってドアを開けた。

お店の中は普通の感じでほっと安心、よかった。

フリージャズの店という振れこみだったので最初、

セシル・テーラーをリクエストしたが今はそれだけ

ではなく他のものもかけるという、御客さんの中に、

ヨーロッパフリージャズ系の関係者がいて好きな

ミュージシャンを呼んでライブするようになったそう。

ママはとても気さくな人でなんでも話が出来そう。

オーナーの個性でお店はそれぞれ違うナーと思う。

レオ・スミス,ペーター・ブロッツマンなど話はずんだ。

 

2013年3月3日(日)

今週はお隣に越していらしたTさんご夫妻の、

こと書こうと思うもう3・4年も前になるけれど、

引っ越していらした夜お店に挨拶に来られた。

ご主人は音楽家で宝塚の有名な男役だった、

F・Sさんの息子さんで奥さんも宝塚出身の、

歌手だそう、とても明るい方で私の友達が

Tさんご夫妻とも、知り合いだということが、

偶然わかってとてもびっくりしていたようだ。

そういえば何年かまえ友達のコンサートに、

ご主人が(Ⅴokal)出演していらした‥‥。

毎年暮れにファミリーコンサートを開くのが、

一年のしめくくりだそう、2人の息子さんも、

参加して、家族全員で楽しんでいるという。

ぎすぎすと現実ばかり考えている人多い中、

こんな生き方してる人もいるすてきだと思った。

 

2013年2月24日(日)

今週の水曜日明大前のマイルスに出かけた。

体調を崩してお店休んでいると聞いていたが、

ネットで調べたら19時頃より22時半頃まで、

やり始めたとわかった元気な中にもう一度と。

10年位前30年位前と2度伺ったことあったが、

階段も店内ももっと広かったような記憶がある。

コールマン・ホーキンス、レスター・ヤングなど、

スイング系がかかっていたママは相変わらず、

静かな様子だが結構気配りまわりにしている。

50年というこの生活が身に沁みこんでいる。

一緒に行ってくれたNさんは高校生の頃から、

来ていたそうでその頃は男性のオーナーが、

やっていたそうだいろいろとても参考になった。

これからのPosyの事自分の事考えていこう。

帰り道ディスクユニオンのYさんにばったり会う。

 

2013年2月17日(日)

最近プールでいろんな人と話すようになった。

別に特別なこと話しをするわけではなく、

只日常的なことをさらっと話す皆それぞれ、

生活が違うのだけれど裸のお付合いです。

泳ぐ時は皆自分で決めたノルマを黙って、

泳ぐのだけれど更衣室でのなにげない会話、

皆同じ人間同士だと意識がはっきりする。

この間熱心にリハビリをしている男性から、

きれいに泳いでいらっしゃると言われて、

とてもうれしかった30年以上も泳いでいるが、

こんなふうに云われた事なかったと思う。

不器用で運動神経のにぶいところ自分が、

一番わかっているので自分流でいいから、

4種目できるようになりたいとつづけてきた。

自信がついたこれからもマイペースでいこう。

 

2013年2月10日(日)

しばらく歯医者にいっていなかったが12・1月と、

集中して新しい歯医者に1週間ごとに通った。

別に具合が悪くなったわけではなかったけれど、

一応定期的に診てもらおうと思っていたので。

近いところがいいと何軒か探してみたのだが、

昔いっていた古い歯医者はもうとっくにない。

跡形もない(頑固だったがいい歯医者だった}。

訊くところによると歯医者の数はコンビニの

2倍あるそうだ下北もあちこちやたら眼につく。

数年前家族が通っていた歯医者に行ってみたが

表面はいいが心が感じられず行かなくなった。

やっと見つけた飾らない実直そうな歯医者。

虫歯の治療に何回で終わりますとはっきりと、

云ってくれる、とてもいいここに決めようと思う。

 

2013年2月3日(日)

近くのディスク・ユニオンに久しぶりに出かけた。

最近レコードは殆ど買っていなかったなと思う。

Posy長い間にとても落ちついた雰囲気のある、

店だと自然に言われるようになってきたようだ。

この雰囲気を大事にしていろいろ話もできる、

”jazuBar”にしていこうと思っているけれど‥。

50年代60年代を中心にレコードを掛けていこう。

フリージャズは大好きとても関心があるけれど、

お店では余りかけないようにしていこうかなと。

1970年頃子供を連れてプールの帰り渋谷の、

ユニオンに毎週通ったその頃公園通りにあった、

ユニオンはハンズの前に越してきていたと思う。

1980年代1990年代やっぱりプールの帰りに

毎週必ず寄った、そのまえに伊勢丹を周って。

顔を憶えられてしまったほど、なつかしい!!

 

2013年1月27日(日)

毎週日曜日プールの帰り、或る親子連れに会う。

親子連れといっても相当の年のように見える。

ちょっと判断難しいが80歳近くに見えるお母さん、

40代半ばかなと思える優しそうな息子、

少し登り坂の道を、いつものようにお母さんが

ショッピングカートのような歩行器を押して歩く、

そのそばを、手を貸さないで、後になったり、

先になったり、遅い歩みに合わせついていく。

私のカンで、この人絶対息子だろうと思った。

それに独身、いつもは働いていて休日には

一人では出かけられないお母さんを、一生懸命

歩行器を押していくお母さんを見守っていく。

先日思わず声かけてしまった、こんにちはと。

息子は黙っていたが、お母さんにっこりと、

寒いですねえと言った。何故か印象に残る。

 

2013年1月20日(日)

あれやこれや過ごしている中に1月も半ばを、

過ぎてしまった今年もしっかりと毎日をと思う。

14日の大雪にはびっくり朝起きて窓を開たら、

何と横なぐりのもうれつな雪あっという間に、

外は銀世界だ昔のように気持ちが高揚して、

よろこぶ気にはとてもなれない落ち込んで‥

アダモの”雪が降る、あなたは来ない、ああ”、

こんな歌思い出してしまった、せつない歌。

気持ちがどんどん沈む雪はもういいなと。

翌日は天気快晴あちこちで雪かきが始まる。

どうしても渋谷に行く用事があったので、

凍ってしまっているいつもの道を歩くことに。

滑らないようにおそるおそる足を踏みしめて。

時間がすごくかかってしまった疲れました。

住めば都というが雪国の人は大変だなと思う。

 

2013年1月13日(日)

元日は例年通り砧ファミリーパーク迄歩いた。

もう恒例になって何十年になるのだろう。

歩こう会というグループがあるのだけれど、

私はいつも単独で歩きつづけて来た。

最初は道がよく分らず世田谷通りを真直ぐ、

環八まで歩いていたのだが最近になって、

裏通りにとてもすてきな道を見つけた。

”歴史と文化の道”という標示がされていて、

昔の旅人がこの道を通って東海道筋まで、

歩いたのだろうといろいろ思いを馳せた。

遠く富士山がくっきりととても気持ちがいい。

あれこれ考えていたらいつの間にか到達。

公園はいつも静かで人影もまばら広々と、

した空間何にもないのがいいすばらしい。

東京で一番好きな公園です来年も歩こう。

 

2013年1月6日(日)

2013年、新しい年に入りました。

ここまで来てやっと光が見えてきた

ような気がする。無我夢中で生きてきて

このところジャズのこと教えて下さいという

言葉よく聞くようになってきた。不思議です。

ジャズとは何なのかもう一度本気でしっかりと

勉強しなおそうと、思い立ったことと‥‥。

ジャズのこと教えてくださいと言う人と‥。

ジャズは教えるものではない、一人で好きな

曲から始まって次はこのメンバーは

どれかと広がっていってわかってくる。

面白くなってジャズの歴史が見えてくる。

ジャズはBGMで何となく聴く音楽ではない。

一生追求していく価値のある音楽だと思う。

この一年体に気をつけ、深く深く聴いていこうと思う。